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彦根の歴史はあなたが作る ~彦根市シティプロモーション~

こんにちは。
彦根市シティプロモーション戦略推進委員会(情報発信G)の若林です。田中さん、畑中さんと同様、2023年度から活動に参加しています。
 
 
私は生まれも育ちも彦根ではありませんが、小さい頃から、毎夏、お墓参りに合わせて彦根の祖父母宅に滞在し、ツアーガイドのように友人に彦根を案内してきました。
 
これまで、どちらかというと、外から見ていた「彦根」ですが、シティプロモーションの活動に参加してから、私が感じる「彦根」の魅力は、どんどん変化しています。

花しょうぶ通り・治部少丸


彦根には彦根愛が深く、情熱的な人が多いと思いませんか?

他県から大学や仕事で彦根に来た人も、彦根に愛着を持ち、彦根の街をより良くする活動をされている情熱的な人が多いと感じます。
 
もしかすると、彦根という土地がそういうエネルギーを持つ場所であり、良い意味で、彦根藩初代藩主・井伊直政公の「激しさ」を受け継ぐ場所だからかもしれません。

再興湖東焼・一志郎窯


直政公は遠江・井伊谷出身で、徳川四天王の一人として活躍し、彦根藩の祖となりましたが、気性が激しかったと伝えられています。

「井伊の赤鬼」とも呼ばれ、恐れられていた直政公。その性格はどこから来たのでしょうか?

 
井伊谷は、現在の静岡県浜松市に位置し、直政公が生まれた頃から始まった「浜松祭り」の凧揚げ合戦は、「喧嘩凧揚げ」とも言われるほど、激しく熱いものだそうです。この地域には、「遠州のからっ風」と言われる強い季節風が吹き、気候的に凧揚げに好条件のようです。
 
静岡県は伊豆、駿河、遠江(遠州)の3つの国から成りますが、東西の分岐点だったからか、地域によってかなり文化が異なるようです。遠江の人は気性が荒く、経済感覚にシビアだと言われています。
 
性格は気候の影響を受けることが知られています。遠江出身の直政公の気性が激しかったというのは、「遠州のからっ風」の影響を考えると、あながち作り話とも言えないでしょう。
 

そして、井伊家は国替えすることなく、一貫して彦根藩を治めたことから、彦根は近江(江州)でありながら、遠江の影響を受けている場所なのかもしれません。

彦根城


彦根には、シンボル彦根城があり、地理的には京都に近いですが、「小江戸彦根」とも言われ、歴史や文化が豊かな街です。

また、「士魂商才」というような、一見対極に見えるものの融合が得意な、ユニークな魅力を持つ街です。市長が毎日のようにひこにゃんと公務を共にするのも、とてもユニークです。

2023年には、ひこにゃんのライバル、わるにゃんこ将軍が誕生しました。彦根は、伝統を重んじる街でありながら、新しいものを柔軟に受け入れる、そんな風土があると思います。

四番町スクエアのイベントに登場するひこにゃん


歴史は、今、作られている出来事であり、今は未来に繋がります。
彦根はこれからどんな街に進化していくのでしょうか?
 
私がシティプロモーションの活動に参加して実感しているのが、彦根市の行政と市民の距離がとても近いことです。


シティプロモーションはあなたの目の前にある活動であり、主役はあなたです。「一期一会」の精神を大切に、一緒に彦根の歴史を作っていきましょう!