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原体験の旅〜英語「で」何をするのか

いまでこそ35カ国旅をして、ひとりでも誰かとでも旅をするような、「旅好き」になったが、そんな私にも「はじめての旅」というものはあった。

カナダ、バンクーバーへ


はじめての海外旅行は、高校生16歳の夏、カナダのバンクーバー。British Colombia大学でのサマースクール参加とホームステイだった。サマースクールでは、午前中は英語を勉強して、午後は街歩きをしたり観光地を回るアクティビティをするプログラムだった。
そのためにパスポートをとり、家族を説得して、たった一人で飛行機に乗り込んだ時の不安感と高揚感は忘れられない。

ホームステイ先は、カナダへ移民してきたフィリピン人の家族。ホテルに勤めていて料理上手のパパ、美人のママ、そして元気いっぱいの盛りの8歳くらいのトトという少年の3人家族だった。
2週間ほどのホームステイだったが、私専用の北東向きの部屋が用意されていた。部屋は小さな小花柄のベッドカバーで品よくまとめられていて、小さな花が飾られていた。

小さなトトは、好奇心いっぱいの黒い瞳をかかがやかせて、私に話しかけてきてくれた。当時の私は英語が下手で、いくつか上手く言えない言葉があった。その一つが”Would”だった。トトが言うには、私の発音は”Wood”で、”Would”と聞こえない、というのだ。そこで、夕飯のあとは暖炉のまえで、トトに何度も何度も、練習に付き合ってもらった。帰国する数日前になって、やっと”Would”が言えるようになると、トトは飛び上がって喜んで、「パパ!ママ!彼女、とうとう言えるようになったよ!」と走って報告に行ってくれたほどだ。

思い出のランチタイム

パパは毎朝、学校に行く私のために、ランチボックスを作ってくれて、その中にはサンドイッチ、リンゴ、ジュースをオレンジ色のプラスチックケースに入れてくれた。他のホームステイの友達は、ランチとしてホームステイ先のファミリーが持たせてくれるのはバナナだけ、とか、チキン一本、ということもあって、ずいぶん羨ましがられたものだ。

それを大学の青々とした、広い芝生のうえで広げて、お弁当を交換したりしながら食べた。サマークールに来ている学生は、主にアジア、日本や中国、台湾、韓国の高校生で、ランチタイムのあいだ中、恋話や受験、就職、家族との関係を飽きることなく話し続けた。英語が苦手でも、普遍性があるのか、そういうことはなんとなく分かるのが不思議なところ。

それでも逆に、自分の置かれている状況との差異を痛烈に感じることもあった。中国の女の子の受けるプレッシャー(当時はまだ一人っ子政策中で男子が優遇されがちという話だった)、韓国の子の受験戦争やルッキズムの苛烈さ、台湾の子が、政治的背景や不安から、将来は海外に出て行かなければと自国を憂う気持ち。それゆえに、英語ができることは当たり前で、さらに自分の専門性も確立していくのだ、という考え方を持っていた。それは、16歳の私には驚きだった。そういう切実さを考えたことはなかったからだ。

英語を学ぶのではなく、英語で何をするのか

高校生の私は、それまで日本の自分の高校の中の友人や価値観が全てだった。だから、各国から来ている学生たちが置かれている状況が違うことは新鮮だった。それぞれに、与えられたカードが違う、それを恨んだり羨んだりするのではなく、自分が持っているカードを、どう活かすのか。
そして、英語を学んで楽しい経験をできればいいや、と気楽に思っていた私は、「英語を学びにいくだけでは足りない」「英語で何かをしなければいけないんだ」と大きな思考の転換を迫られることになった。

それから何年も経って、いま、私は外資系の会社で、幸いにも英語で仕事をしているけれど、ふとした瞬間に思い出すことがある。トトと”Would”を練習していた自分。友人たちから示された「自分に渡されたカードで何をするのか?」という命題。そのときの瞬間が、いまの私につながっている。

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