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【鏡の実践】大嫌いな人、見下してる人=救世主

【自分=まわりの人】という鏡の法則を使って、自分の身近にいる人、なにか引っかかる相手(両親や、パートナー、職場でムカつく人などなど)を見ていくこと、自分と相手を等しく見ることを【鏡の実践】と呼んでいます。


自分にも、相手と同じようなところがあった!相手と同じことを、自分もやっていた!という気づきを得ていくたびに、自分も相手も癒されていって、

私は私のまんまで愛されて良かったんだ、そして過去もいまもずっと愛されていたんだ~と実感できるような奇跡を、体験として受け取ることができます。


なかでも、もう大っ嫌いでたまらない、憎くて憎くて〇してやりたい、あんな人と私が同じだなんて思えない…!と思っている人ほど、鏡で見て、自分とイコールにすると、受け取れる癒しも大きいものになります。

が、毎度おなじみの【エゴ】は、大嫌いな相手と自分をイコールで見る、ということをものすごーく嫌がります。

なぜなら、【エゴ】は自分と相手を分離し、「私の方が優れている」「私の方が勝っている」「あの人と比べて、私はなんて惨めなんだろう」などなど比較することが大好きで、悩んだり苦しんだりすることが【エゴ】のお仕事だからです。

なので、大嫌いなあの人と、自分を等しくなんて見たくない、そんなの信じられない…というときは、【エゴ】が抵抗しているんだな~…と淡々と感じて、そんな自分をまずはマルっと認めてあげましょう。ハグしてあげましょう。


「大嫌いなあの人と、自分を等しく見れないと、私は奇跡を受け取れない、癒されないんだ…!なのに、それができないなんて、なんて自分はダメな人間なんだ⤵」と落ち込んだり、自分を責める必要はありません。(私は、この罠によく引っかかっていました…笑)


大嫌いなあの人と、自分を等しく見ることが、いまの私にはできないし、信じられないけれど、もしかしたらそうなのかもしれない。

こんなふうに、ふんわりとでも思っているだけで、ある日「大嫌いなあの人が自分を映し出している鏡かどうか、見てみよう…かな?」と、気が向くときが来たりするものです。

【鏡の実践】は、無理にやろうとするより、自然と気が向いたときにやるのが、意外とコツかもしれません。

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ちなみに、私にとって、なかなか「自分=相手」と見ることができなかった、見たくなかった相手はズバリ「母」でした。

母が映し出してくれていたのは、私が「こんな自分では誰からも愛してもらえない、認めてもらえない」と否定していた、隠していた私自身の姿でした。

母や、母以外の、私にとって大嫌いだった相手、見下していた相手というのは、「どんな自分でも、愛されて良いんだよ」と教えてくれていた救世主、天使さんたちだったのでした。

まわりに大嫌いな人が多い人というのは、それだけ、自分が愛されるためには〇〇でなくては、こんな自分でなくてはいけない!と、自分が愛を受け取るための条件を、たくさんたくさん抱え込んで、自分を縛り付けてしまっています。過去の私のように。

でも、私たちは本当は無条件で愛されて良くて、そのことを私たちが分かるように、自分が嫌っている/赦していない自分の姿を、目の前にいる他人というカタチを通して神さまが教えてくれているのです。

気が向く方、ちょっとやってみようかな?という方は、ぜひ紙とペンを手にとって、嫌いな人のどんなところが嫌いなのか、なぜ嫌いなのか?を書き出してみると、自分で握りしめていた「愛されるための条件」が見つかるはずです。

そして、その条件を今後も持っていたいか?自分にとって本当に必要なものなのか?自分に問いかけてみてください★


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