見出し画像

お祈り=神さまへのラブレター

私たちが苦しんだり、悩んだりすることの本当の原因は、外側の出来事や誰かのせいではなくて、


たった一つの愛/ワンネスの状態から、個別の肉体を持ち、分離したと思い込んだことによって、神さまを裏切り、傷つけたという罪悪感を持っていることにある、ということを前回の記事で書きました。

私たちが誰かや何かに感じる罪悪感というのは、内なる神さまへの罪悪感を、そのまま外側の世界(現実の世界の誰かや、何かの出来事)に対してそのままスライドして、投影をしているだけなのですが、


神さまを裏切った/傷つけたということ自体がそもそもの勘違い
なので、罪悪感というのも、本当は存在しない、幻想のようなものなのです。


***

神さまは、傷つけられてもいないし、私たちのことを、いつでも無条件の愛で全肯定してくれていて、いつでも、私たちが望むものを与えようと待っていてくれています。


けれど、私たちは罪悪感や、分離の思考(優劣/比較/被害者意識…などなど)といったエゴと同一化して生きていたので、それを手放すことも恐いし、

なにより自分たちが傷つけた/裏切った神さまが、自分たちのことを赦してくれるわけがない、愛してくれるわけがないと思い込んでいます。

それも、私たちの勘違いです。神さまは、どんな私たちのことも赦してくれているし、愛し続けてくれています。


だから、私たちの方から、ずっと背を向け続けてきた神さまに歩み寄っていく、神さまとの信頼関係を深めていくために、お祈りをします。例えば、こんなふうに。


*神さま、私が罪悪感や恐れを持っていることは、私の勘違いでした。自分は罪深い存在だとか、ダメな人間、価値がない人間だという信念を手放したいです。このことが、あなたによって訂正されることを、いま、受け入れます。


お祈りをすることは、私の表現だと、仲違いしていた恋人=神さまへラブレターを渡すような感じかな…と思ってます。

こんなにも私のことを愛し続けてくれていた神さま、いままで、そのことに気がつかなくてごめんなさい、本当は私もあなたのことが大好きだったけれど、あなたの愛を受け取ることが恐かったのです。でも、私はあなたの愛を、もう恐れません。


こんな感じで、神さまと仲直りする、神さまの愛を受け入れる決意をする、それがお祈りです。


目に見えない世界を信じることは、私たちは、エゴは、とても恐がるけれど、でも、その目に見えない世界での神さまとの関係が、目に見える世界、外側の世界に反映されていきます。











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?