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漫画版「風の谷のナウシカ」の本質

急に漫画版のナウシカを思い出して、なぜか無性に読みたくなって全巻を図書館に借りに行きました。30年以上前の作品ですよね。なんだろうあの色褪せない感じは。

腐海の森にいるマスク姿のナウシカのシーンから始まって「そうか、そういえばここの世界でもマスクだった」と。昔ならこんな風には思わなかったですよね。しかし向こうの世界では5分で肺がダメになるといってるんだから、私たちの世界はまだマシですが、マスクをしないといけないという環境はなんだか今の私たちと似通っているように感じました。

話の中では、人類にとって腐海の植物も虫も人に害を加えるという理由から悪者扱いで、あれこれ使って排除しようとしながらも、自然を破壊するだけで、返ってその脅威にどんどん追いやられていく人類の姿が描かれております。

自然を敵に回してそれらをなんとか収めようしようとしながら、同時に自分たち以外の国や民を制圧しようとして戦争を繰り返します。それぞれが戦う理由はさまざまですけど、共通しているのは自分たちのエゴのためです。不老不死だったり財宝だったり自分が1番の権力を持つことであったり。次第に勝つためにはなんでもありになっていき、その戦いに虫や腐海の毒を利用していくわけです。

ナウシカや一部の存在は腐海の毒は大地の浄化のために起こっていることを理解していて、自然が深いふかーい愛情の元に存在していることに気がついています。そして人が争えば争うほど、自然を敵に回せば回すほど、自分たちの首を絞めることも多くの存在が犠牲になることも分かっています。

何も見えていないのはエゴで戦う権力者たちだけです。

なんだか今自分の住む世界が見えないものと戦うような世の中になって、この話から考えなければならないことがあるような気がしてまして。人類が自分たちの都合でなんとかしようとする動きと、大地や地球などが本来進んできた自然の流れや動きと。

何か言おうとすると綺麗事になってしまうけど、この話を読んでいると、なんだか自然の方向に目や耳を向けなければいけないような気持ちになってくるんです。

話の最後の方に人々の全てが満たされる幻想のシーンがあります。自分の理想が叶う天国のような場所です。でもリアルではないんです。でも自分の理想が叶うのだから絶対に幸せなんです。食べたいものは食べられて、美しい音楽が流れて、争いもなく、会いたい人にも会えるんです、亡くなった人にさえ。

これもなんだか今の世の中の流れと似てませんかね。

これからの時代は仮想の空間で感覚だけをある場所に持っていって、肉体はそのままに、そこで自由自在に自分の好きなように過ごせるようになるって。

どっちがいい悪いではないと思います。イメージの世界でいろんな経験ができることも豊かじゃないですか。人類の技術はすごいです。

でもそういうタイミングだからこそ、自分にとっての幸せはなんなのかということを真剣に考えていかないといけないような気がしてます。自分はバーチャルとリアルの線引きをどこでつけるのかという。

ナウシカはリアルな世界を選びました。痛かったり傷ついたり不安定な世の中だけど、それでもまだ自然は美しいと思ったんでしょうか。その美しさに従って生きていこうと決めたのだと思うんです。

「自分の体で感じるもの」を大事に生きることを選んだのだと思います。

そしてそのことが分かった瞬間に、私もそうありたいなと思ったんです。もしかしたら今が健康でなんの不自由もなく幸せだからそう思えるのかもしれません。何か辛いことがあったら仮想の世界に行きたくなるかもしれない。でももしそうなってもできる限りリアルを選ぶぞ、と今このタイミングで選びたいと思いました。少しでも自然に動物らしく生きたいなと。

やっぱりこんなことを言うのは綺麗事かもしれない。何かあれば技術のお世話になっているのだし、大自然に放り投げ出されて生きていくすべもないです。

でも自分の中の心のバランスの話です。ナウシカのような価値観を忘れずに生きていたいなと思ったんです。自分の肌で感じるとか匂いを嗅ぐとか味を感じるとか、体を使って生きていきたいなと。そして自然の声をできるだけ感じ取れるようにありたいなと。自然は何を求めているのかなと。ナウシカみたいに感じとれたらいいなと。

宮崎さんはすごいですね。こんなお話をずっと前に描かれていて。何か普遍的なものを描かれているから月日が変わってもこうして読むことができるし、読むたびに気づきが生まれるんですよね。

また10年、20年後くらいに読み返したくなる日が来るかもしれない。そのころはどんな世の中になっているのだろうか。


おわり


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