シン・大学生活環境論 カルト脱退の難しさ編――外山合宿で宗教やめ...れてません――

※はじめに
 用語や細部にフェイクを入れているので、もしあなたが「?」の思ったところはおそらくフェイクです。ご承知おきいただきたい。

謝罪とお詫び

 前回記事で「外山合宿で宗教やめました」と高らかに宣言し、「そして僕は宗教をやめた」と記事を締めくくった私は

その後

宗教を

辞めれて…

いません。

ここにお詫び申し上げるとともに、徹底的な自己批判を行います。
(正確には、施設に足も運んでないし連絡も絶ったので関係は断ててはいるが、正式には辞められておらず籍が残っている)
 合宿最終日に「辞めます」と同期とOBOGと外山氏に誓い、noteで高らかに辞めた宣言を行い、日夜ツイッターであらゆる気に入らない組織に「昔いた宗教みたい」というパンチラインdisを飛ばす私であるが、公式には未だ敬虔なる組み手(信徒のこと)なのだ。
 某◯福の科学の教祖の長男であり、教団と決別し役者や映画監督などマルチに活動している宏洋氏がYouTubeで教団を批判する活動を始めたのは、「教団とまだ繋がっていると思われ、業界から忌避されることを避けるため。『決別した』ときっちり示すため」であったらしい。実質的には辞めたも同然とはいえ、籍を抜いていない状態では「辞めた」と言う資格はないのではないか(実際辞めれてないって言った時に合宿同期にそう怒られた)――しかし、言い訳させてほしい。カルトは辞めるのもまた一苦労なのも事実なのだ。
 本稿は、宗教辞めましたと言って辞められてない私の、自己批判7割、言い訳2割、そしてカルトへの注意喚起1割で構成された記事である。


結局どんな宗教にいたの?

 本題に入る前に、前回触れていなかったことーーすなわち、具体的にどんな宗教にいたかについて触れたいと思う。隠しているのも良くないだろう。
 手かざし系で、厳しい方の宗教と言えば、新興宗教事情に明るい諸氏はお分かりだろう。そうでない方も、少し検索してもらえればすぐ見つかるはずだ。最大の特徴としては、「手かざし」がある。手をかざせば、運命が良くなったり魂が浄まったりするーー勘違いしてはいけない。公式の教義においても、手をかざしても病気が治ったり、壊れた物が直るわけではない。手をかざして浄まるのはあくまで霊だ。霊が浄まるから、霊の状態の向上が精神や肉体の状態の向上をもたらし、病気が治ったりするのだ。はいそこ、「エクスキューズじゃないですか」とか言わない。
 そして、どのような生活を送ってたかと言うと、

土日朝7:30集合夜6時解散で無償奉仕させられたり、真夏でも(青年部の)制服のブレザー着なきゃいけなかったり、どんな幹部でも「神が選ばれた最高指導者が選ばれた方」だから内心ですら逆らってはいけなかったりと、大金取られるとか監禁されるみたいなありがちな話よりもウェットな話ができますよ

https://twitter.com/LBB_4523/status/1783847532243956196

8月の炎天下の中、「「喜びと感謝を持って」」3時間軍事教練やりたいですかって言ったら宗教入るやついなくなるでしょ

https://twitter.com/LBB_4523/status/1783850046406201423

という感じの団体だ。別に大金取られたりはしないが、とにかく時間と労力と精神を削られる。これについては特に私が教団の青年部に所属していたことが大きい。上意下達の「活動」で、週2・3日は潰れ、しかも、「副部長」に準ずる役割にあり、新入隊員の教育係を担当していたため、幹部と保護者と下の者の板挟みになっていた。いわば無給で中間管理職をしていたのだ。
 今年度担当していた新入部員2人の親はどちらもベテラン教徒で、事あるごとに嫌味を言われたり、親同士で私からどんな連絡が来たかを裏で共有していたりした。非常にやりにくい。しかしこういう時も、「鍛え」だとおもって、「感謝」して当たらないといけないわけであるーー彼らに教えにある「許し」の心を求めてはいけない。

宗教に内在する問題点

 しかもたちの悪いことに、宗教では内心すら自由ではないーーどれだけ辛いことに対しても、「ほほえみ」と「感謝」を持って当たらないといけない。辛いことは神が与えられた試練だから。あるいは、苦難を通じて前世の罪を贖うことができるから。あるいは、不平不満を抱くと(抱くだけで)霊が曇るから。精神的苦痛を与えてくる相手に対しても、唯々諾々と従わなければならない(内心から!)。彼の言葉は、私への試練として神が言わせたものであるから、もしくは前世において彼の先祖を害した報いであるから。

 私が宗教の問題点であると考えるのは次の二点である。一つは、内心についても善悪の価値判断をすることだ。例えばパワハラを受けて、怒りや悲しみ、悔しさを抱くことは当然である。しかし、その感情すらも「悪」と断ずることは、自然に生まれる感情や思考を嫌悪することに繋がり、自己否定感や不安定な精神状態につながる。
 もう一つは、上位の者に対する絶対服従(しかも内心から)の風土が生まれることだ。幹部は、元を辿れば最高指導者が選んだ者であり、その最高指導者は神に選ばれた者である。つまるところ、幹部は神に選ばれた者であるから、そんな者の言葉に逆らう訳にはいかないということになる。先に挙げた、「悪感情の否定」も絶対服従を助長する。

辞めようとした経緯――未完の冒険譚――

 前置きだけで2000字を超える勢いになってきたので、そろそろ本題に移ろうと思う。すなわち、辞めようとした、もしくは辞められなかった経緯である。

帰郷と母親ーー第一ラウンドーー

 四月一日の朝、夜行バスから降りる。まだ肌寒さの残る大阪の地に帰ってきた。どこから帰ってきたかと言えば、福岡、外山合宿からだ。外山合宿での日々についての紹介は下の記事に譲るとして、

名残惜しすぎるほど名残惜しい合宿、人生の「一時停止」あるいは「猶予期間」――「猶予期間」は後にも「与えられる」ことになるが――だった合宿を終え、私の人生の「再生」ボタンが押された朝だった。
 用事を済ませ家に帰ってきたのは午後三時頃だった。母親がいた。もう少しで宗教施設に向かうようで(よくあることだ)、支度をしていた。今しかないと思った。今を逃せば、もう告げられないかもしれない――「宗教を辞めたい」と。
 母親を呼び止めた。私の覚悟が決まるために数秒間が費やされた。そして、「宗教辞めたいんやけど」と言う。その後の数秒間の静寂は、おそらく彼女の理解のために費やされたのだろう。彼女は「えぇー……」と言い、また数秒空けて、「とにかく『部長』に相談しいや」と言った。そして彼女は宗教施設へと向かった。

部長の引き止めーー第二ラウンドーー

 母親が去り、家に一人になった私は、彼女の言ったことを実践した――「部長」にラインで「今日か明日の夜お電話大丈夫でしょうか」と送った。すぐに返信が来た、「今日大丈夫だよ!」と。
 ここで、「部長」について紹介しよう。彼は、私が所属する支部付の青年部のトップだ。ユーモラスで下の者の話もよく聞き、めったに怒らない人だ。母親は、いきなり降り掛かってきた問題をとりあえず部長に解決させようとしたのだ。
 そして夜が訪れた。電話をかける。「おっ、どうしたん?」といつもの陽気な声が聞こえる。そこに「実は宗教辞めたいと思ってて…」と打ち明ける。声のトーンがにわかに落ちる。「中間管理職」が辛いこと、「『互いを愛し合おう』、『互いを許し合おう』という教義の割には、支部に行っても少しのことで注意されとても気が休まらない。矛盾ではないか」と私は理由を伝える。しかし、彼は「そうは言ってもね」と引き止めにかかる。結局、「一回改めて考え直せ」という結論になった。翌日、近所の地区拠点(支部の下にある)で「手かざし」を受けながら再び話そうということで、話は持ち越しになった。

 翌日夜、地区拠点で彼と合流した。合宿から帰ってきて初めての参拝だ。参拝した際は御本尊にお参りをするのがしきたりであるが、かつては感じていた神々しさはもう感じられなかった。その後、彼から手かざしを受ける。彼に合わせ、半ば反射のように御本尊に頭を下げた後、彼が「神の光で頭を浄める」ために私の後頭部に手をかざす。彼が神に、私の「邪念」を祓えかしと祈っているだろうことは想像に難くなかった
 暫くの沈黙の後、私が話を切り出す。「昨日の話なんですが、やはり気持ちは変わらないです」。すると部長は私の主張に反駁を始めた。無論、「僕もそう思うんだ」と言って一緒に辞めてくれるとは思っていなかった。多少の引き止めも覚悟していた。しかし、私が「辞めたい」と言っている以上、最終的には辞める手続きには移れるとは思っていた。私が甘かった。

 彼の反駁は次の三点で構成されていた。まず彼は言う、「ここで辞めたら勿体ない」、「後になれば辞めたことを後悔するかもしれへんで」、「続けていたらやがて良い運命が訪れるかもしれへん」と。これまで十何年青年部で頑張ってきて、今辞めたらそれまで積み上げてきたものが無駄になるということらしい。
 典型的なサンクコスト効果――事業を続けても利益が見込めないにもかかわらず、それまでの大きな投資が無駄になることを惜しんで事業をやめられない状態――である。因果応報論や「神の試練」論の問題はここにある。無関係なことを無理矢理関連付け、宗教を辞めたら悪い運命が訪れるかもしれない、続けていたら良い運命が訪れるかもしれないと思わせるのだ。

 次に「今の緩みきった世の中でこんな鍛えられる機会はない」、「社会に出てもこんな厳しいことはあるよ」と言われた。それはそうかもしれない――クールビズの世の中だ。真夏でも(屋内とはいえ)制服のブレザーを着なければいけないここの方が厳しいだろう。
 しかし、仮にそうだとしても、私はもう十分鍛えられたのだ。仮にこの教団で学ぶことがあるとすればそれは十分学びきった。それに、確かに「社会に出れ」ば、よりきついことはあるのかもしれない。そうでなければ「ブラック企業」なる言葉はないだろう。しかし、仕事は少なくとも給料が出る。奉仕活動では金は出ない(どころか交通費等で出ていく)。

 最後にはこう言われた、「今辞めたら『逃げ癖』がつくで」、「任された仕事はどうするつもり?」、「今後辛いことがあったらまたそうやって逃げるん?」。これは苦しかった。実際、今年度は副部長クラスの仕事を任せていた。部下も担当の新入部員もいた。
 だが、そこで「やっぱり続けます」と言うわけにもいかない。無論方々に「辞めます」と宣言した手前というのもあるが、何よりも、合宿で「主体性の物語」を学んだ私は、やる意味を見いだせない活動を惰性で続けることはもうできなくなっていた。そもそも、公式で「辞めたい場合はお止めしませんので幹部にお申し付けください」と言っているのだから、辞めたところで何も恥じることはないはずだ。宗教団体というのは自分が居たいから居る、望まぬなら抜けられてしかるべきものだ。なお、このように一部の宗教団体は、一定以上浸かってしまうと辞めようにも「逃げ癖」とまで言われて非難されるので読者諸氏は注意いただきたい

 部長に手かざしを受けていた1時間強の間、彼から上のような引き止めを受け、私はここに書いた1/50くらいの内容と勢いの反論を行なった。結論としては、「自分(部長)としては『辞めたい』と言われて『はいどうぞ』とは言われへん」、「だが君が辞めたいという気持ちは変えられへんから」と言われ、「支部長と面談しよう」ということになった。

 ちなみに、部長との話し合いに向かう前、「どうしても辞めたいんか」から始まった母親との会話の中で、「辞めたら地獄に落ちるよ」と言われたことが忘れられない。それを聞いて戸惑ってしまった私は、いま思えばまだ(もしかしたら今も)宗教的思考の呪縛から逃れられていなかったのだろう。

祖母の支え

 家の近くを流れる川に、登りがいのある木がある。そして、その近くに母方の祖母の家がある。先の話し合いの翌日、その木に登ってから祖母の家に向かった。

「木登りの34期」外山合宿34期としては、木登りはルーティンである。ちなみにこの木は件の木とは何も関係ない。

なぜか。それは、祖母が筋金入りの宗教アンチだからだ。母は、祖母に「息子は巻き込まない」と誓って入信した(実際のところ私もゴリゴリに巻き込まれたわけだが)。
 私は祖母に「実は宗教に属していたこと」、「辞めようとしていること」を明かした。彼女は、「アンタがそんなアホなことしてると思ってなかったわ」と言ったあと、「親も『息子が辞めたい』と言ってるのにそれに反対するのはアカンなあ」と言ってくれた。「ここで辞めれるか、負けてズルズル続けるかが人生の山場やで」との祖母の言葉に強く背中を押された。

拠点長の宥和ーー第三ラウンドーー

 その後、拠点長から母親づてで「お話ししませんか」という話が来た。これは、支部長との面談に向けた話があるのではないかと思ったーーようやく宗教を辞めれるのではないか。しかし、その期待は裏切られた。3時間にわたる話し合いは、単なる私の宥和の試みでしかなかった。

 拠点長が私を呼んだのは、私の母からしか話を聞いていなかったので、私に直接話を聞きたいからということだった。
 拠点長は善い人だ。60代の人で、物腰柔らかく、いつも会うたびに声をかけてくれた。今回の話し合いの中でも、終始その穏やかな態度を崩さなかった。
 拠点長からは、「なんで辞めようと思ったの?」と聞かれた。なので、「担当の新入部員の親が介入していてやりずらい」、「そもそも『許しの心』を説いている宗教の施設で、信者たる親からそれが感じられずいびられ続けるのは矛盾である」、「だから信仰自体に疑いが生まれた」と話した。すると、彼女は「それはひどいわね、それは親が悪いわよ」と言ってくれた。そこまではよかった。
 その後、彼女は「今辞めたらもったいない」と言ったーー部長と同じ言葉だ。しかし、その理由付けは違った。曰く、「君のおかげで問題点がわかった」、「これからは思ったことをしっかり言って奉仕活動をしていこう」、「みんな君の味方をしてくれるわよ」ということだった。そして、あれよあれよと言う間に、私が「復帰」する体で話が進もうとした。
 2時間ほど彼女の宥和に耳を傾けた。私は人が話しているならばとりあえず最後まで聞かないと失礼と思っているからだ。しかし、私の心は変わらなかったーーもはや、「苦難=鍛え」論や因果論といった構造上のレベルで、私はこの宗教に納得できなくなっていたのだ。
 私は言う「やっぱり辞めたいです」。すると、彼女は「じゃあ支部長と面談しましょう、私から支部長が空いている日にちを確認してみます」と言った。「これで後は日程を合わせ、支部長と面談するだけだ、宗教アンチの祖母にもついてきてもらおう」と思った。
 話し合いの間、机の上には合宿中に拠点で作られた「夢をあきらめないで」というテーマのポスターがあった。それは、今度支部で行なう、勧誘イベントで貼られるはずのものだ。そこには、私のこれまでの経歴と、私の将来の夢が書かれていた。帰る前、拠点長はポスターを指して「これまでずっと頑張ってたわよねえ。みんな君のことを素晴らしいと思っているわよ」と言った。

そして僕は宗教を辞め……れてないです

「猶予期間」

 そして、支部長と面談し、晴れて宗教を辞めた。支部の門ーーもう二度と足を踏み入れないだろうーーをくぐり、見上げた空は青かった……とはならなかった。
 拠点長との話し合いの翌日、母親が告げた。「支部長は面談する気ないらしいよ」と。「なんで?」と返す。「とにかく、今は『猶予期間』だって言ってたから、ちょっとの間考え直しなさいってことや」。……どうやら支部長に取り合う気は薄そうだ。私の気持ちが一過性のものだと思い、考えなおす「猶予」を与えているつもりらしい。数日後、母親から今度は「自分で支部長にアポ取って面談お願いしいや」と言われ、じゃあ支部に電話しよう、祖母にもいつ空いてるか確認して同行お願いしようと思った。祖母に電話してみる旨を伝え、空いてる日の確認を済ませ、あとは支部の電話番号をスマホに打ち込むだけだ。

誰にだって難しい……はず

 …のはずが、今の今(4/30 21:27)に至るまで通話ボタンを押せていない。なんなら、数週間前に「実はまだ辞めれてない」と言って合宿同期にバチボコに叱られたにも関わらず未だ正式に辞められていない(ごめんなさい)。  全て私の弱さのためだ。というのも、支部長に電話して、何を言われるかと思うとどうしても二の足を踏んでしまう。要するに怖いのだ。電話して日程を調整して支部ーー当然ながら信者しかいない空間だーーに出向く時間・気力的コストを辞める宗教に払いたくないというのもあるが。

 ただ、言い訳になってしまうが、「前科三犯!893番!」の挨拶で知られる「元暴力団員(wikipediaより)」の懲役太郎氏ですら、「バイトを辞める際にはその旨を親に代わりに言ってもらった」と言うから、組織を辞めること――特にそれが宗教になれば――はそれだけ難しいものなのだ。

今後の展望

 しかし、これほどnoteで書いたりツイッターで宗教ネタこすったりしておいて辞めなければさすがに示しがつかなすぎる。同期にもまた怒られるし。ということで、今後辞めるための案を考えてみたい。

①支部長と面談する
 …すみません、無理です。どうしても二の足を踏んでしまうし、時間・気力的コストを払いたくない。

②「絶縁状」を送る
 某学会を辞めた長井秀和氏は、「辞める際は書類一通送ってそれで済ませた」と語っている。そこから、支部に「絶縁状」的なものを送るだけで良いかなと考え出している。学祭が落ち着いたらこの策を打とうと思っている。逃げと言われれば逃げだが。

③破門作戦
 合宿にて、外山氏は私の「組織の辞め方を教えてほしい」という相談を受けて、「ある左翼組織には、辞めたいがためにあえて捕まって『破門』された人間がいた」と教えてくれた。ということで、カルトの話題で講演とか動画出演の依頼募集中です。

 ということで、ここまで宗教辞めたと言って辞めてない自己批判にお付き合いいただき感謝に絶えない。カルトは辞めるのも一苦労ということで、この記事をあなたの「シン・大学生活環境論」※1としてもらえれば幸いである。カルトに限らず、サークルやバイトなど組織を辞めるのはとてもとても難しい(ESS葬送記事参照)ので、新入生・在学生問わず組織の出入りは慎重を期してほしい。

※1弊学には「大学生活環境論」という名の、カルト啓発や薬物乱用防止などを内容とする新入生向け生活指導集会がある。


みんな、カルトには気をつけよう!


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