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挨拶×親心×母の日①

⭐挨拶


今日は日曜日
雨降ってるし車も洗ったばかりだし、まったり🍵😌✨

と思ってたのだが忘れてた‼️
DYから予告されていた(^-^;
そう「今の彼氏と同棲したい。彼が一度挨拶をしたいと言っている」、とそれが今日だった…
慌てて準備~

人の親として、こういう日がくることは想像していたが、何だか実感が湧かない。
自分が若かりし時は、星飛雄馬の父親のようにちゃぶ台を引っくり返す事を考えた時期もあるが、何だかそういう感じではない。

逆に、何だか嬉しい気分なのだ。
身内と言ってもDY自身の事でもあるし、自分が同じような年齢だった時の事を考えると、そこまでしていたか…と自信がなかった事もある。

⭐親心

それと、DYが無事に育ち、就職して、好きな人ができ、同棲をしたいと思う人ができた事…淋しい…より、嬉しいがうわまわっている。
というのも、DYが産まれたのは7か月で、783gで未熟児で産まれた事もある。出産時に、今日の事まで想像できただろうか…
保育器で育ち、その半年後に退院したが、産前は50%の確率で障害が出ると言われ、心臓中隔欠損症とも言われた。

出産時は、WAはマグロのように腹を切られ(本人談)、医師の右手の上にのせられて出てきたのが初対面だった。
保育器とNICU育ちであった事もあり自宅で過ごすようになってからもあまり泣く事がなかった事も記憶している。
小さく産まれた事で小学生まではよく病院にも通った。特に、3~4際頃は中耳炎で月一回病院通いしたが、その頃には歩けるようにもなっていた為大変だった(嬉しくもあり)記憶がある。

小、中学校は、ちゃんと学校には行っていたが、習い事や部活をしては辞め、自宅で過ごすことの多いインドア派だった。
高校になると何故だが、吹奏楽部に入る。人と関わりを持つ事が得意でないと思っていたが、先輩の推薦で部長を務める。これには驚いた…が、筋を通し、協調性を重んじ(本人の元来の性格は協調性はない🤭)、使命感があったからではないかと思う。

高校を卒業する際、ブライダル関係の仕事をしたいと言っていたが、WAと相談する中で未熟児に産まれた事を思いだし医療の道へ進んだ。これも、嬉しく思った記憶がある。

仕事をするようになっても、倹約家で貯金が趣味のDYだったが、ここ半年外出する機会が多くなった。気にはなるがいい年頃の子に「どこに行くのか」など聞く勇気はなかった(-_-;)

そして、今日に至るのである。
彼氏がいても、いつものDY…食事しながら肘をつくDY(^-^;
一応、ここは先方のご両親に会う時は気をつけるよう話したが、DYは苦笑い😁💧
まっ、我々の育て方が悪かったとしかいいようがないのだが…

いつもの変わらないDY
なんだが嬉しい

WAは、彼から「結婚を前提に…」と言われた際涙ぐむ…、マグロのように腹を切られた時からの事を回想したのだと思う

幸せになってね🎵

追伸
私自身も舞い上がって食事の画像を撮るのを忘れておりました(-_-;)

②へ、つづく

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