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銭ガール 第6話(最終話)

 刑事から取り調べを受けるのも初めてだ。
 頬からの血でシャツを赤くした私は、どんな角度から見ても見事な被害者だった。医務室で当ててもらったガーゼが顔の半分を隠している。
 いつもなら、机の天板を割りそうな勢いで叩き、怒鳴り散らしているだろういかついおじさんが、苦り切った顔で事実を確認していく。
「仕事の進め方でおたがいの意見があいませんでした。お酒も入っていて、つい、反抗してしまって。すいません。大人なのに」
 しおらしく頭を何度も下げる。
「お嬢ちゃん。顔に派手な傷がついてるけど、大丈夫かい」
 同情までしてくれる。このおじさんもロリコンなのかな。きっとそう。私の勘は外れない。
 二時間ほど前、ホテルの正面玄関は落ち着きのない赤のライトで照らされた。光っては消える雨粒の角度がきつい。
 私と女王を見送る重役の顔は、パトカーの赤い回転灯の光を浴びても、血の気が失せていることが見てとれた。
 なぜ私たちが争ったかは、察しがついているだろう。どうもみ消すか、冷や汗にまみれて名案をしぼり出してくれ。
 傷害罪は親告罪ではないが、被害者の意向を重視するのだと刑事が丁寧に説明してくれた。
 訴えるのは、傷跡が残るかどうかを見て決めます、のひと言で調書を取る運びとなった。今日のことは、警察の記録に残るというわけだ。愛するわが社よ。私と女王のぬくもりに満ちたやり取りを、うやむやにできるものならやってもらおうじゃないか。
 なぜ、私が傷ものにされたのか、話の経緯は伏せておく。
 今ここで警察に枕営業を訴えても、女王にきついお灸がすえられるだけで、終止符が打たれる予感がする。
 録音を添えれば、少しは腰を入れるだろうが、あれにはもっとふさわしい使い道があることに気がついたのだ。
 会社と女王にとって、なにがなんでも公になってはならないことを、私はつかんでいる。やつらは、どんな要求にも応じる操り人形。少しでも渋れば、レコーダーをちらつかせるだけで平和的な解決がなされる。
 このほうが、女王を蹴散らすよりも実入りは大きい。利用できるものは、なんでも使わなくちゃ。ふふ、上出来よ。
 こみ上げる笑みを封じようときつく結んだ口もとが、深く反省しているように見えるおまけ付き。おじさんがお茶をいれてくれた。
「いただきます」
 湯呑を傾けるたびに、頬が痛む仕草をする。
 刑事が腕を組み、鼻から大きく息をぬいた。いたずらがばれてしょげている子供を見るような目で、私のことをながめている。しょうがねえなあ、と今にも無精ひげに囲まれた口がもらしそうだった。
 このお茶を飲み終わったら、私は釈放かな。
 ホテルへと戻ることに気が進まず、ゆっくりお茶を口にふくみ、ずるずる時間を引きのばしていたら、なんと警察の取り調べ室に、待ちに待った朗報が飛びこんだ。
 日本の警察は優秀だ。娘をすぐに割り出して居場所までつきとめ、手早く公費で飛脚をとばす。
 あわただしく訪れた制服の警官が、刑事にぼそぼそと伝える声が聞こえた。
 父親、仕事先、高速道路、タイヤ、バースト、死亡。
 耳たぶをなでる単語が私の心を浮き立たせる。
 会社の仕事さえしていれば、世間が認めてくれると信じていたバカにはふさわしい最期だ。くけけけけけけけ。ダメだ、笑うな。絶対に笑うな。ここで喜びを見せるんじゃない。弱々しい目で、光の消えた目で、無精ひげを見つめるんだ。不安を抑えることのできない少女の演技。
 実際に不安はある。この不安がなければ、いかに我慢を強いても、私は声を上げて笑っていただろう。
 駆け寄って、問い正したいほどに気がかりなことがある。
 私の実行した策が、果たして成功したのか、それとも失敗だったのか。夢の自由人かリアルの囚人かを決定付けることが、まだ未確認なのだ。でもそれを私から尋ねることはできない。
 ちらちらと私を見る刑事の顔には、これを俺が伝えなければいけないのか、と困惑が貼りついている。あるいは哀れみ。私を怪しむ色は一切なし。
 扉が締まる音とともに警官は消え、困り顔が私へと一歩踏み出した。
「落ち着いて聞いてほしいんだが」
 私は歓声を上げぬよう歯を食いしばり、目の前の顔を凝視する。生理現象はありがたい。まばたきをとめたことで、眼球が熱くなる。下まぶたに涙が溜まるのがわかった。
「少し聞こえていたかもしれないが、落ち着いて聞いてほしい」
 その後も、百戦錬磨の刑事が何度も何度も、落ち着いて、をくり返した。そのたびに私は心を強くする。
 ばれてない。私がカッターでタイヤに細く長い芸術的な切れこみを入れたことに、警察は気付いていない。
 トリックは単純なほど見破ることができないというのは本当だ。あんな単純な仕掛けを、時間という魔法が覆い隠してくれる。
 勤務中に亡くなりました。高速道路を走行中、前のタイヤが破裂して、運転不能となったようです。自損事故ってわかりますか? 誰も巻きこまずに亡くなりました。
 警察にとっては交通事故による死者の数が「1」、プラスになるだけの出来事なのに、慰めをたっぷり入れた優しい声で教えてくれた。見た目は怖いけど、いい人ね、おじさん。
 大笑いしたいのをこらえているうちに、顔のあちこちの筋肉がおかしな具合に動き出した。制御不能。面白いように涙がこぼれる。感情が高ぶり気が変になった女を完璧に表現していた。
 人をだまくらかすために演技を訓練したその成果が今、お釣りがくるほどに発揮されている。
 刑事の仕事を離れた心配顔が、さらに自信を与える。この先、私が疑われることはない。私の勘は外れない。
 崩れた顔をさらし続けることに気が引け、両手で覆った。手の中で遠慮なく、ただし声には出さずに笑った。
 相続人は私一人。独り占め。なにもかも私の望み通り。でかしたぞ、会社虫けら。くひひひひゃひゃひゃひゃひゃ。のどが引きつり、背中が大きく揺れる。どうやっても止めることができない。だがいい。他人の目には、激しい嗚咽にしか見えない。
 もう会社辞めてもいいかもね。パパの投信に死亡退職金。この二つだけでも相当なもんなのに、勤務中に死んだとなれば、割り増しや弔慰金も期待できる。これはたまらん。
 だけどいきなり辞めちゃうのって、目立つよね。冷却期間を置いたほうが万全だよね。
 事故で亡くなった人のまわりで、急激な変化があるのは保険会社も怪しむかもしれない。そこが私の人生プラン崩壊の糸口になるとも限らない。焦っちゃダメダメ。
 会社にとって、私は超特大の爆弾。少しでも揺らせば、会社の社会的信用を吹っ飛ばすことができる。私にはなんの手出しもできない。せっかく弱みを握ったんだ。活用しなくちゃ。
 しれっと復帰して居座るか。私の望む部署で静かに雇い続けられる。出向など打診すれば、自殺行為となることぐらいはわかっているはず。
 あまんじて飼い殺しを受けてやろう。
 そうだ。いっそのこと定年まで勤めちゃおうか。会社なんか利用してなんぼ。結婚して産休育休フル活用。出産手当金と育児休業給付金をかっさらい、時短で復帰。
 後進のために前例を作ってあげる。ザ・社会貢献。はっはーん。似合わなーい。
 でもなあ、私、結婚したくなるかな。人を愛することなんてできるのかしら。お金のためになら結婚してもいいけど、お金はもういらないし。
 まあこれから、九ケタの資産が私のものになるんだ。ゆったり時間をかけて考えましょう。
 本当、お金があるって自由だわ。
 あ、そうだ。どうかパパが自損事故特約に入っていますように。そうしたらね、さらに私のもとにお金が転がりこむのよ。うふ。

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