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レイコの自分⇔自分 お悩み相談室   2005年41歳「乳がんになっていました」 

30代後半頃から、毎年の健康診断で「乳腺組織が発達している」という指摘を受けていました。
いわゆる「高濃度乳房」と言われるものだったと思います。これ自体は病変ではないので、治療の対象ではありませんが、乳がんのリスクは高いとされているようです。
それでも、実際にがんに罹っているとわかる日まで、「がん」という病気を、全く自分事として捉えてはいませんでした。

 
今のレイコ(以降「レ」):どうして乳がんだってわかったんだっけ。
41歳のレイコ(以降「41」):健診は年一回受けてたんだよね。 で、毎年、乳腺が濃いって言われてたんだけど、そういう体質なんだって思うくらいで気にしてなかった。
:大きな病気って、なんとなく自分とは遠いところにある感じだったもんね。
41:そうなんだよね。でも、右胸が冷たいような感覚があって、次の健診はまだ何カ月も先だったんだけど、近所の病院に行ったんだ。そしたら、がんの疑いがあるってことで大学病院を紹介されて、再検査を受けて。
:担当のお医者さんが検査結果を説明してくれて、「乳腺の石灰化が多くあって、これは良性の場合でも悪性の場合でも発生する」って言うから、「がんじゃない可能性もあるんですか?」って訊いたら、「いえ、がんですよ」ってあっさり言われたね。
41:そうそう。覚悟をして告知を受けたってことじゃなくて、なんだかすごいことがいきなりグサー、って入って来たなーって感じ。
 
:はじめは実感が湧かなかったね。
41がんなんて、他人事だったからね。診察の支払い待ちしてる時になって、やっと「なんでわたしが?」って思った。
:今は、がんも早期発見で治る確率も高いから、治療中や治療後にどう過ごしていけばいいかに焦点が当てられるけど、この、20年くらい前の頃はまだ「死」を強くイメージしちゃう病気だったからね。
41:胸にしこりもなかったんだけどね。でも、マンモグラフィの画像では乳腺全体がくっきり真っ白に写ってたから。
血液検査、MRI、超音波、骨のシンチグラフィも受けて、転移してないのはわかったんだ。治療方法は、外科手術、放射線、抗がん剤からの選択になるんだけど、適用は右胸の全摘出だって説明されたよ。
:ステージを言われた記憶はないんだけど、しこりも転移もなかったから、多分0から1だったんだろうね。でも、胸を残せば再発や転移のリスクも残る
41:うん。だったら、生き残る確率が一番高い方法を取ろうって思って、迷わず全摘してもらうことにしたよ。
:当事者のわたしより、ダンナの方がショック受けてたね。
41:子供もいないから、わたしが先に逝っちゃったらダンナ一人になっちゃうし。親より先に逝くのもイヤだな、って思って。だから、とにかく胸より命だ、って。
:入院は10日間くらいだったけど、両親や弟、親戚の伯母さんたち、会社の人や友達も、たくさんお見舞いに来てくれたね。お菓子や果物、マンガも差し入れてくれて。
41:ほんとにね。有難いよね。ダンナも毎日来て、着替えを洗濯してきてくれて。
:手術した日の夜なんて、起き上がれないから看護師さんがベッドで歯磨きまでしてくれた。入院の経験が初めてだったから、こんなことまでしてくれるんだ、って驚いたね。
 
:入院中に不便だって感じたことは?
41:そうだねぇ。
手術後は、胸の患部に身体の中でいらなくなった液のようなものを出すためのチューブが入れられてて、その液を受ける袋をポシェットみたいに下げてた。痛みはないんだけど、自分の身体の中にチューブが入ってる状態って、なんかシュールだったし、寝る時もポシェットの袋をつぶさないように気をつけてたから、あまり深くは眠れてなかったかな。
あと、栄養の点滴がされてる間はトイレに行くにもスタンドごと移動しなきゃならないから、それはちょっと煩わしかった。
:点滴が終わったら、療養食になったね。
41:そう。消化のよさそうなおかずと、おかゆ。でも、胃や腸の手術をしたわけではなくて、内臓は通常運転だから、すぐにお腹が空いちゃって
だから、点滴スタンドもなくなった身軽な身体で、病院の地下の売店やちょっと遠い新館にできたコンビニまで行って、アイスとかお菓子とか買いまくってた。
:当時入院してた病棟は建て替えられて、今はもうピカピカに新しくなってるよ。
41:そうなんだ。
:退院後も検査で半年に1回通院してたけど、行く度に受付や支払いの仕組みもどんどん変わって便利になってた。
 
:10日間くらいの入院だったけど、経験しないとわからなかったことがいろいろあったね。
41:昼間は寝ないように言われてた。規則正しく起きて食事して、歩くようにって。でも、手術後1週間くらいは、手術した方の腕を肩から上には上げちゃダメだって。
:手術して切った傷口が安定してないからね。
41:歩いてもいいのに、お風呂は退院直前まで入れなくて。だんなが来てくれたときに背中だけは濡れタオルで拭いてもらってたんだけど。どうにも髪の毛が落ち着かないっていうか、かゆいっていうか、我慢できなくなって、手術して3日目くらいに洗面所の大きなシンクがあるとこで、ザバーってシャンプーしちゃったんだ。
:それ、看護師さんに見つかって怒られたよね。
41:まあ、当たり前だよね。
:なんかさ、今思うと、いろいろ病人扱いされたくなかったんだな、って。
41:そうなんだろうね。どこか痛いわけではないし、食欲はあるし。でも、家にはまだ戻れない。
身近な人たちが何かと気にかけてくれて、辛いとか悲しいとかもあまり感じてなかったから、気持ちが落ち込むこともなかったけど。
ただ一度だけ。ベッドでテレビ観てた時に朝の情報番組で東京の街の風景が映った。
何でもない普通の風景だよ。なのに、それを観たらなんか、泣けてきちゃって
病院も東京の中だよ。でも、「今、あそこに自分はいない、帰りたい」って思っちゃったんだ。
:退院の期限も決まっている。基本的に元気で、闘病という意識も薄い。それでも少しは、何か抑えているものがあったんだろうね。
 
右胸がなくなったことに関してはどう?
41:手術直後はまだ、ガーゼをつけたままでいないといけなかったから、自分で手術痕を見てはいなかったんだ。
退院が近くなった日にお風呂に入れるようになって、病院のお風呂場で初めて自分でガーゼを剥がして、鏡で胸を見た
:覚悟はしてたね。
41:うん。納得して手術を受けたし、後悔もなかったけど、やっぱり変わってしまった身体を見た時に自分はどう感じるのか、っていうちょっとした怖さはあった
:胸を見た瞬間、何を感じたっけ。
41:それが、自分でもびっくりしたんだけど。頭に浮かんだのは「すごい、ブラックジャックの世界だ」だった。
:そうだったね。なくなった右胸の手術痕がきれいなラインだったからね。
41外科医の仕事って、こんなに見事なんだ、って思った。それで思い浮かんだのがブラックジャックだったんだ。
:子供の頃から好きだからね、マンガ。
41:自分の手術痕を見て「ブラックジャック」って思うなんて、身体のかたちが変わっても、わたしの中身は全然変わってないんだな、って、わかった。実感した
なんか妙に安心して、笑っちゃった。
:洋服のシルエットが偏るから、パッドは必要だけど、いいものをいろいろ選べるし。胸の再建ていう選択肢もあるけど、今のこの身体は自分に合ってるって思う。
41:20年後もそんなふうに元気でいるなら、自分にとっていい選択ができたってことだね。



【病気を通じてわかったこと】



生まれて初めての入院体験でした。
思ってたより早く死んでしまうかもしれない」というひんやりした思いの後にすぐ浮かんできたのは「敗ける気がしないな」という謎の自信でした。
 
同じ病名のつく病気でも、人によって症状も受け止め方も違い、治療に一定の方向性はあるものの、何が正解かも人によって違うと考えています。
わたしの場合はたまたま、骨や他の臓器に転移がなく、手術中に行うセンチネルリンパ節生検でも脇のリンパ節にも転移がないとわかったため、リンパも残され、予後が軽く、退院して半月後には仕事に復帰しました。
 
退院後の療養中は、乳がんの手術後に着ける下着やパッドを販売しているメーカーを調べ、販売員さんとマンツーマンで個室での試着ができるということで、予約をして行きました。
入院中、シャンプーをしてしまいましたが、やはり、手術をした方の右腕は手術前よりは上がらなくなっていて、家で毎日意識して腕を上げるようにしていました。
記憶の範囲の中では、それほど時間もかからず、元通りに動かせるようになったと思います。
 
ウイルスが原因のがんもありますが、乳がんの細胞はそもそも自分自身の細胞です。
保険会社に提出するために、主治医に書いてもらった診断書の原因の欄には「不明」と書かれていましたし、退院のときに、食べてはいけないものはあるか、と聞いたら「制限は何もありません」と言われました。
がんに罹っているとわかったとき「なぜわたしが」と思ったことへの明確な答えは不明のままです。
 
がんになる確率を上げるような行動は存在するようです。喫煙や多量の飲酒、暴飲暴食などは原因となりうるものとして挙げられています。でも、わたしの曾祖母は缶ピースのチェーンスモーカーでしたが、92歳まで生きました。
これをやれば絶対がんにならないとか、これをやったから必ずがんになるというものはない、と気づきました。
ならば、ここは「なぜ」にフォーカスするのはやめて、この経験を自分の中で活かしていけばいい、と思いました。
 
手術を受けて何年も経ってからやっとわかってきたのは、この病気の経験は自分にとって結構大きなターニングポイントだったのかもしれない、ということです。
見た目はとても大事。その見た目をつくりあげていくためには、自分の中身を自覚して、そのまま受け入れればいいんだな、と40歳を過ぎてやっと気づいたわけです。

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