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6「あなたはうつ病だから、ドナーにはなれません」

 昨日、移植外来に行ってきた。

 予約時間の三十分前に病院についたが、一昨日が祝日だったせいか異様に混んでいて、三人がけの椅子で隣の男性に頼み荷物を退けてもらうことで何とか二人で座ることができた。
 きちんと診断されたわけではないが、恐らく処方されている薬から見ても私には多動性を伴う発達障害がある。
 人目のないところでは無闇にウロウロと歩き回ったり、体を揺すったり、バタバタしたくなったり、寝転んだりしたくなるのだ。
 ただ人目のあるところでは怖くてカチコチに固まってしまい、人目が気になっておいそれと動くこともできない。最近は少し外出恐怖症(正式には広場恐怖症という)も疑っていて、パニック発作を起こすのではないかという不安もあった。
 精神疾患は複合的に色んな要素が絡まっていることが多く、難しい。
 仕方がないのでX(旧Twitter)で、「人多くて怖い」「待ち時間長くてつらい」など散々弱音を吐いて誤魔化しながら、私は長い時間を待った。

「715番の方、診察室二番にお入り下さい」

 そんなアナウンスと共に待合室から一人消え、二人消え、刻一刻と時間は過ぎていく。そうして待つこと三時間。とっくに先生や看護師さんの定時も過ぎている。いつの間にか待合室には、私と夫以外誰もいなくなっていた。

「大変お待たせしてしまい、すみません」

 番号を呼ばれて中に入ると、思いの外穏やかに移植外来の先生は私たちを迎えてくれた。ベージュのスクラブに白衣姿。やたらと目が充血している。激務で眠れていないのか、それとも季節的に花粉症なのか。
 診察室には前回の受診の時に親切にしてくれた看護師さんもおり、少し気持ちが軽くなった。

「ぷに子さんの主治医の意見書を読ませて頂きました。色んな検査結果と共にすごく細かく書いていてくれていましたよ。以前の受診でも、意思決定能力に問題はないと思ってはいたのですが、私も何の根拠もなく簡単に例外を認めるわけにはいきませんでしたからね。すみませんでした」

 移植外来の先生にそういわれて、鈴木先生……!(仮名。メンタルクリニックの主治医)と思わず泣きそうになった。患者の移植のサポートなんて専門外に違いないのに、一体どれだけの時間を割いてくれたのか。

「なので、具体的に移植の話を進めていきましょう」

 移植外来の先生にそう言われて、私は正直びっくりした。前回門前払いされたことから、十中八九断られると思っていたのだ。もし断られた時のため事前に別の病院もピックアップしていたのだが、断られたらべこべこに凹む自信があったので、頓服薬を事前投与していたほどだ。

「どんどん進めていっていいですか?」

 先生の質問に、一も二もなく私たちは頷いた。早いに越したことはない。
 HLAタイピングやリンパ球クロスマッチなどの適合検査の他に、やることは山ほどあるのだ。採血や採尿、心電図や呼吸機能検査を始め、レントゲンやCTなどの画像検査、感染症の検査、癌が見つかれば癌の治療がまず優先されるので胃カメラ大腸カメラ、マンモグラフィー子宮がん検診など、移植の前には実に様々な検査が行われる。もたもたしている暇はない。

「では一応決まりとして、ぷに子さんの方は一週間後に一度うちの精神科を受診してもらいます。そこで問題がなければ本決まりとして、4月の初めに二人で移植外来をもう一度受けてもらいます。問題ないですか?」

 私たちはまた「はい」と頷いた。夫の職場の上司には既にカミングアウト済みだし、全面的に協力してくれるという言質も得ている。
 今回の受診は前回から一ヶ月待たされたというのに、一度決まると早いものだ。
 今の夫の最新の血液データが欲しいというので、明日の土曜日には夫のかかりつけ医の元に足を運ぶ予定である。

 時は少し遡り、夫のかかりつけ医に移植か透析かの二択を提案された一ヶ月前のことだ。
 夫のかかりつけ医の受診を終えた後、今の現状を伝えるため私たちは夫の両親に挨拶に行った。
 移植外来を受診し、門前払いされたのは、そのすぐ翌日のことだ。
 私はひとしきり泣いた後、夫に今日のことは夫の両親には言わないでほしいと頼み込んだ。二人をがっかりさせたくなかったし、何より二人に顔向けできないと思ったからだ。
 なかなか予約が取れず次の受診日は昨日だと嘘をついてもらい、昨日までの一ヶ月不安を抱えながら過ごしてきた。
 待合室で待っている間に、夫の両親から「今日実家寄ってくよね?」とLINEが届いていた。
 昨日もし断られていたとしても、寄らないわけにはいかない。待合室で待っている間、正直気が気ではなかった。
 だからこそ移植に向けて前向きに検討してくれた移植外来の先生の言葉がどれだけ嬉しかったことか。

 夫の実家に着くまでに涙を止めようと思っていたのに、車の中では涙が止まらず、信号待ちの度に頭を撫でてくれる夫に更に涙が溢れた。
 目と鼻を真っ赤にして家に上がった私に、夫の両親は内心『やっぱりダメだったのか……』と思ったに違いない。
 何も言えずにいる私の代わりに、夫が「GOサイン出たよ。次は一週間後で、その次は4月の初めに受診」と説明してくれた。
 本当は一ヶ月前に門前払いされていたこと、とても二人には言えずに黙っていたこと、私の主治医の意見書と移植外来の先生のご温情もあって今回なんとか少し進展があったことを私も泣きながら何とか説明した。

「そうかそうか、大変だったね」

 そう言ってお義母さんは泣きながら私を抱きしめてくれた。気のいいお義父さんも釣られて泣いていた。
 私は実の母親と三番目の父とはすっかり没交渉で近くに友達もいないので、夫以外でこんな風に誰かに抱きしめられることなど久しぶりだった。
 お義母さんに抱きついてわんわん泣き、夕食に手作りのカレーとお土産のおはぎといちごを頂いて帰宅する頃にはすっかり遅くなっていた。

 次の精神科のテストは不安だが、とりあえず昨日やっと一つハードルを越えられた。
 応援してくれた人には心から感謝の意を述べたい。

 ここからは時間との勝負だ。
 夫のX(旧Twitter)アカウントのフォロワーさんには、一ヶ月後に移植が決まっていたにも関わらず直前に尿毒症で入院し、透析を受けている人もいる。病気は決して待ってはくれない。
 どうか間に合って欲しい。間に合ってくれることを、信じたい。









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