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母のひみつと私のひみつ

母が、先日亡くなった。
癌が見つかって約5年とちょっとが過ぎていた。
当初、医師に言われた余命は2年。オリンピックまでだった。
病気がわかった時に私のお腹にいた息子はもう5歳。
母は余命と言われていた2020年に新しく携帯を購入し4年の分割支払いにしていた。
犬を飼いたいと言っていた。
母は、不思議な人だった。

私が小学2年生の頃、母が初めての病気をした。
それは早期胃がんで手術をしたら治るのだけれど、祖母は私たちに言った。
「お母さんは早く死ぬよ。」
その言葉は何度も何度も私と兄を苦しめた。
祖母は看護師なのに何故か根拠の無いことを言う人だった。だから自分が全財産をあげる、何てことはしないし何の救いもなかったんだけど。

手術の日、待合室で兄と座っていると、突然1人の男の人が来た。
「お父さんだよ。」
え?
初めて見る男の人。身体が固まった。父と思われる人は私たちを連れてレストランに行き、私は嫌いなクリームの沢山のったパフェをご馳走になった。(緊張しすぎて嫌いと言えない)ねっとりとした生クリームの気持ち悪い食感だけが記憶に残っている。
兄はご機嫌を取るように良く喋った。おもちゃ屋さんに行き、兄にゲームソフトを買った父は
「今度一緒にやろうね。」
と適当なことを言って、兄を待たせていたくせにもう二度と会うことはなかった。
父はそんな人。

その後間もなく、母は父と離婚した。
母は明るく私たちに
「お父さん、もう帰って来ないから離婚していいかな?」
と言って私はすぐにウンと返事して兄に怒られた。
ずっといないのに離婚も結婚もない、と私は思った。いないはずの人が突然現れるのももう嫌だった。

汚い字が書かれたシワシワの封筒が、何度か父から届いた。すごく嫌な感じがした。

それから母が父の話をすることはなく、ただ大人になってきた私は
(こんなに我が家が貧乏なのは父が養育費を払ってないからだ)と恨みに思っていた。それは当たっていた。父はどこに住んでいるのかどんな人かもわからない。
ただ、映画好きでO型の、若い頃ちょっと男前だった人。情報がなさすぎて想像するのをやめた。

20歳を過ぎた頃に大阪のハローワークで父に会った。
珍しい苗字だし同姓同名ですぐに気付く。心臓が飛び出そうな位ドキドキしながら
(私に気付くな、話しかけるな、放っておいて)と思いながら耐えた。何故か涙が出た。
帰り道、振り返らず自転車を全速力で漕いだ。何もなかった。ただヨロヨロの小さな男の人の後ろ姿を見た。

祖母にふとその話をした時、
「あんたは知ってるの?」
と話してくれたのは、私が赤ちゃんの頃の話。
父が仕事場の女と不倫して家に帰らず、母は赤ちゃんの私を抱き、兄の手をひいて女の家を訪ねた。
何度かそれを繰り返して父は消えた。
最低すぎて笑えた。昼ドラみたいな話に少し泣いたけど、昔からある嫌悪感がただ強くなっただけだった。
その血が自分に流れているだけで気分が落ち込んだ。どこかが父に似ているんじゃないかと気持ち悪くなって消えたくなったりした。

母は全く話さない。母は死ぬまで父の話をしなかった。私が苦しんでいたのを知っていたのかもわからない。ただ、離婚した当時のことを
「しんどすぎて記憶がない。」
とだけ話していた。

私には母に言えなかったひみつがある。
ここに書いて昇華したい。むしろ母は知らなくて良かったよ。寿命がもう少し縮んでいたはず。
父がいないことで不安定だった高校の頃。
夜中2時に布団の中に毛布を詰め込み、窓から外へ出て歳上の彼氏とドライブしていた。
ある日、仲良しの友達の家に泊まりに行った時にその彼氏から連絡があり、
男2人、女2人で夜中抜け出してドライブに行った。山道を走りお喋りして朝方また山道を帰る。それだけだった。
けれど彼氏の友達はヤンチャで、帰り道何故か異常なスピードで車を走らせ、車はカーブを曲がりきれず壁に激突し横転した。
一瞬のことで何だかわからないけど目の前で物が浮いた。気付いたら鼻から血が止まらない。
みんな無事だったがみんな鼻血を出していた。
そこから記憶は曖昧だが、私は友達と近所の人に助けられて最寄り駅まで送ってもらい帰宅。
家族には
「友達の家で階段から落ちて鼻を打った。」
と嘘をつき、祖父に病院に連れていかれた。
お医者さんは
「鼻の小さな骨が折れたみたいだから顔が真っ青になるけど大丈夫。でも、耳にガラスの破片が刺さってるよ?」
祖父はサッと顔色を変えたが、帰り道
「女の子なんだから気をつけないといけんよ。」
とだけ言った。
母は学校の先生に呼び出され、何があったのかを問い詰められたらしい。
私は母が死ぬまで言わなかった。言えなかった。
毎日仕事で疲れて帰ってきて座ってウトウトしている母に聞かせられなかった。それに随分グレていた。全然懲りてなかった。

母は不思議な人。絶対に怪しい私の言い訳に納得したフリをしたり、
不倫女と逃げたとんでもないバカ男をずっと待っていた、不思議な人。
ありえない。

母が死ぬ前に、父のことを一緒にボロクソに言いながら笑い飛ばしたかったけど、決してそんなことはしない優しい人だと知っていた。
もしかしたら死ぬまで好きだったのかも。
それはそれで良いよ、と今は思える。
お母さんには自分の人生があって、一生懸命生きたのだから。

本当はお互いのことを良くわかっていて、わざと聞かなかったひみつだった。
知らなくて良い。知っても何も変わらない。
喧嘩して「もう帰るな」と言いながら待っていてくれる母。
寂しくても「帰ってきてほしい」とは言わなかった母。
お互いに言わなかったことが多かった気もするけど、似た物同士だし、そこは許しあおうね。

母が亡くなるちょっと前、言葉を発しなくなっていた母は優しく私の頭や顔を撫でた。まるで小さい子にするように。
ずっとそうしたかったみたいに感じた。
私と母は今でもずっとそこにある。


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