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赤い鳥②

臆病であることは、自分にとって嫌なことであり、どうしようもないことだ。
一貫しない主義主張も、流されやすい性質に苛立つ自分も、なりたい自分になれない現状も、臆病であるが故の弊害と言える。それは勿論、心の平穏には素晴らしく悪影響だ。
気分の上がり下がりがジェットコースターさえ凌駕して、疲れ果てても止まることは許されない。如何に粗悪な遊びか。
しかし、創作物はそう言った、不平不満や満たされない苦しみによって生まれるという。内面を抉る泥濘を、美しいとは言えないまでも、何とか見られるものへ昇華する。
芸術、文芸とは、苦しみの副産物だ。
臆病であれば、満たされていなければ、そうであるほど創作物は活力を増す。寧ろ、満たされた人間の作るものは人の心を動かせない。満たされてしまっているから、そこで完結しているのだろう。
その場で終わってしまえば、人の心に届く前にそれの命は尽きたも同じだ。
心を満たすために作る、そのためには満たされてはいけない。ささやかな矛盾。
目を閉じ、音の少ない空間で息をしていれば、自分の脳味噌は恐ろしく色々な考えをまとまりなく吐き散らす。それは数秒と止まらず、絶え間なく思考の点の塊となってあちこちから押し寄せる。
明滅が、忙しく踊る。
それを見て感じて、掴めるのは自分だけ。
──あの赤い鳥は、目的地を見失ったのだろうか。
透明人間のような、取るに足らない、空間の片隅にいるだけの自分を自覚する。
赤い鳥が、燃え尽きて落ちるイメージが頭にこびりつく。
あの鳥もまた、どうしようもなくて燃えたのだ。灰になって、尽きて、目を閉じる。苦しみ悶える声こそ聞こえないが、酷く辛そうだと思った。
けれども、助ける術もないのだ。
自分も、鳥も、漏電気味に這い続ける。