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──とある、小さなダイナーにて。

「俺はさぁ、エンターテインメントってのはこの世界で一番自由なモノだと思ってるわけ」
日野は、そう言ってテーブルに寄りかかった。年季の入ったソレはぎしりと悲鳴を上げるが、お構い無しに体重を預ける。
「どういう意味?」
呆れているような、続きを楽しみにしているような声で速水は問いかけた。待ってました、と言わんばかりに日野が笑みを深める。
「俺、映画とかドラマとか、終わる度に死んでんだ」
「はぁ?」
「俺はね、その世界で生きて、エンドロールと共に、その世界から消えるんだ。エンドロールと共に死ぬ、って言い換えても良し」
質問の答えになっていない、それどころか脱線して長くなりそうな雰囲気に、速水はやれやれと息を吐いた。こうなった日野は、結論に至るまで喋り切るまで止まれないのだ。
決して長くはない付き合いでも、それくらいは把握していた。
「映画もドラマも、もう一つの俺の世界なんだって思ってんの。自分が生きてたかもしれない、パラレルワールドみたいなもんだね。それを疑似体験してるんだよ、短い時間で。だから、俺は物語の中で生きて死ぬ。死んだら、この世界に戻ってくる。すごいよねぇ、俺ってば不老不死っていうか、転生者だよ。何度も何度も、生まれ変わるみたいに色んな世界を行き来してるんだ」
舞台役者の真似事のつもりか、大袈裟に抑揚を付けて語る日野の顔を見つつ速水は薄らと笑った。それから、小さく欠伸をする。日野の、長々と続く演説は深夜のラジオのように耳に入ってきた。
聞き流してもいい、でも聞いていて悪くはない。
「速水は、生まれ変われるとしたら同じ人生を選ぶ?」
聞くだけに徹していた耳に、唐突な問いかけが届く。一瞬、言葉の意味を考えてから速水は困ったような笑みを浮かべた。
「……さぁ、どうだろう。別に、何度も経験したい人生ってわけじゃないし。あ、別に不満はないけどさ。嫌な人生じゃないからな」
その返答は日野の中で満点だったらしい。
その証拠に、彼の目は爛々として、口元はむにゅりと弧を描いていた。
「そう、大抵の人間はそう答えるはずだよ。別に、同じ人生は望まないって。だからこそ、エンターテインメントは存在するんだ。俺が好きなのは映画ドラマ音楽だから、狭い意味でのエンターテインメントになっちゃうけど」
「やっと結論が見えてきそうだな」
「話の脱線を楽しんで、速水。まぁいいや。それで、最初の自論に戻る」
日野は、テーブルに寄り掛かるのをやめて服の裾を正した。ついでにキャスケットの位置を直し、ピンと人差し指を立てる。
「答えは簡単、自分が好きに生きられる世界だから」
「自分が、好きに……」
オウム返しに呟くと、日野は軽く腰を曲げて速水に顔を近付けた。
「そう。だってさぁ、映画やドラマを見てて、等身大の自分を投影する? 何かしら、バイアスをかけて見るんじゃない? 刑事、医者、探偵……役どころはなんだっていい。自分のなりたい姿を、そこに映し出すんじゃないかなぁ。少なくとも、俺はそう。物語に合いそうな、カッコイイ自分を作り上げて見てる。それが楽しいんだ。もう一人の自分を、その世界で気ままに生きさせる。そこには、遠慮も作法も、他者の目も要らない。ただ、好きに自分を飾り立てて生きればいい」
「だから、エンターテインメントは、この世界で一番自由……か」
速水が小さく頷きながら呟くと、日野は嬉しそうにニンマリとした。五歳児のような飾り気のない笑顔に、速水は苦笑いする。
「本当にエンターテインメントが好きだな、お前」
「当然。アレ無しの人生なんて、肉じゃがにジャガイモが入ってないみたいなもんさ」
「エンターテインメント博士、だな。知らないことはなさそうだ」
「ははっ、それは買い被りだねぇ。俺、偏食家だから。当たり前に、見てない映画ドラマや、聞いてない音楽の方が多い。映画好き芸能人とか、たまに見かける音楽通とかに比べたら、子どものお遊びみたいなもんさ。でも、エンターテインメントはそれを気にしない。気にするのは、それを楽しむ人間だけだ。生み出された作品は、静かに誰かの目に触れるのを待ってる。義務はない。……だからいいんだよねぇ。付き合い方は千差万別、好きって気持ちがあればそれだけでいい。作品は、俺の好きって気持ちを批判も否定もしない。ひたすら、あらゆる世界を見せてくれる。俺は、そのおかげで色んなことを知ったし、経験したし、感じてきたよ」
最後には必ず勝つヒーローを語る子ども──速水の頭に、そんな言葉が浮かんだ。
日野は、尚も話続ける。
「たった二時間やそこら、あるいは三分やそこら。そんな短い時間で、価値観がガラッと変わることもある。すごいと思わない? エンターテインメントは、究極のコミュニケーションだよ」
言いたいことを言い終えたのか、日野は傍に置いてあったジュースを飲み干す。その様子を見ながら、速水は頬杖をついた。
「……今日は、チーズハンバーグにするか?」
「わぁ、いいね。あ、なら作って食べてしてる間面白い話してあげる。丁度いいから、シェフの映画のお話」
「そりゃ楽しみだ」