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好かれること、嫌うこと

「どうしたらいいんでしょうか」
ユラは、溜め息を吐いてカウンターに突っ伏した。
今の今まで、散々に不安を吐き出していた口は、もう乾ききってへとへとだった。心做しか、頭に酸素が巡っていない気もする。
酒場の店主は、何も言わずにユラを見つめていた。もちろん、カウンターの木目の拡大版を凝視しているユラは気が付かないけれど。
「いつも同じ失敗をするんです。言葉が多いというか、甘えすぎるというか。気を許すと、どこまで踏み込んでいいのか、踏み込ませていいのか、判断できなくなって」
がばりと起き上がって、悲痛な声を出す。
ユラは、昔からそうだったのだ。
良く言えば自分を飾るのが下手、悪く言えば頭が足りない。人との距離の掴み方がわからず、離れすぎたり近づきすぎたりして、友人も少ない。
──ひとりが好きなわけじゃないんだけど。
そんなユラの弱音を、店主は黙って聞いていた。その表情は凪のようだったが、少なからず哀れみを感じてくれているらしかった。
手を止めることなくジョッキを洗っているが、話すのを止めさせる気はなさそうだ。
ユラは、また溜め息を吐いた。
「きっと、人との関わり方が下手くそなんです。依存心も強いし、懐ける人がいたら飛びついちゃって。いい人でいたいけど、そんなに強くなれないし。だから、訳が分からなくなって最後は嫌われちゃうんです」
頭の中が落ち着かなくなり、ユラは手元にあったジョッキを思い切り煽った。一瞬、店主が目を見開いたがすぐに眉を寄せ、なんとも言えない表情になる。
ユラは、飲み終えたジョッキをカウンターに置き、俯いて鼻をすすった。
「なんだか悲しいんです。本当の自分じゃ、誰にも好かれない。でも、なりたい自分にもなれない。ひとりでいればいいんだろうけど、ひとりは怖いんです」
夜中に飛び起きて親のベッドへ駆け込む子どものような声が出ていた。悪夢が怖いのだと、母の背にしがみついた頃を思い出す。
大人になってもその頃から成長できていないのかもしれない、と思う。
子どもの頃から、何か周りとは打ち解けられないような違和感があった。本気で誰かと喧嘩をしたり、好きになったり。そういう、中身のある関係性への恐怖心と言い換えてもいい。
──いい子でいないと、楽しい人でいないと、何かが怖い。
特別、そんな思いをするような大きな出来事など、ユラの記憶にはないのだけれど。
けれど、それが一層ユラを惨めにする。寧ろ、酷い目に遭ったから自分はこうなのだと思えた方がいい気持ちさえ湧いてくる。
──贅沢だ。どうしてこうなんだろう。
きーんと音がしそうな耳に、ペンの走る音が届く。ユラは、何事かと顔を上げた。
店主が、何やら紙の切れ端に書き込んでいる。
ゆっくりと書かれていくそれを見つめるユラの手元に、切れ端がそっと置かれた。
それと店主とを見比べ、ユラは瞬きを繰り返す。店主は、相も変わらず読めない表情でユラを見ていた。
しばらく固まっていると、店主が紙の切れ端を指で示す。
ユラは、はっとして目を通した。
『本当の自分では好かれない、のはどうして?』
短い、純粋な疑問だった。
ユラはこの店に来て初めて口ごもった。
──どうして、どうしてって。
「……なんででしょう。わかりません。でも、どうしてもそう思えて仕方ないんです。自分が自分を好きじゃないから、きっとみんなにも好かれない。これじゃだめだって、わかってるんです。こんな自分じゃだめだって。ひとりぼっちになっちゃう」
いよいよもって大声で泣き出しそうな気分だった。初対面の相手に、酒の力を借りておかしなことを言っている自分があまりにも情けない。
けれど、どこにも吐き出すあてのない気持ちを溜め込むのも疲れてしまっていた。目の前の店主なら、顔色も変えずに聞いてくれるような気がした。
店主は、少しユラの顔を見つめてから、また紙に何か書き出す。
書いては消し、書いては止まり、そんなゆっくりとした進み具合だった。
ようやっと差し出された紙は、水やら何やらのせいでくしゃくしゃだった。それでも、ユラは飛びつくようにそれを読んだ。
『自分を嫌うのは苦しいでしょう
気持ちはよく分かります』
在り来りな言葉だったが、どこか真に迫って、おざなりではないとわかる言葉だった。ユラは、恐る恐る店主の顔を見やった。
店主は、やはり表情を変えていない。
「店主さんも、自分が嫌になることがありますか?」
ユラの質問に、店主は考えることもせずに頷いた。
そして、また紙にペンを走らせた。
『それでも、僕は僕なんでしょうね
良くも、悪くも』
諦めたような、前向きなような、不思議な響きを秘めた文字だった。少しがたついた形は、店主の心なのかもしれない。
伺うように見上げると、店主は眉を下げてユラを見つめていた。
「あっ、ごめんなさい……客とはいえ、自分の話ばっかりしてしまって。酔っぱらいの話なんて、聞き飽きてますよね」
慌てて言うと、店主は首を横に振った。そして、またメモに何か書き始める。
ユラはそれを、じっと見つめていた。
『なんでも、全部聴かせてください
貴方の話は、貴方にしかできませんから』
店主の言葉に、ユラは初めて笑うことができた。目からは涙が止めどなく溢れ出るのに、嬉しくて安心して、堪らなかった。
──こんな簡単な言葉だけだったんだ。きっと、欲しかったのは、こんな。
店主は慌てた様子できょろきょろとしていたが、やがて肩を落として、ユラが泣き止むのを待つことにしたらしかった。
「店主さん、あの、お酒、ください。あんまり強くないものを……」
涙を拭い、照れ隠しのように言った。店主は頷くと、カウンターの下から何本かのボトルを取りだし、酒を作り始めた。
ユラはその姿を、どこか遠いもののように見る。この酒を最後に、今日は帰る気になっていた。
やがて、一杯の酒がユラの前に置かれた。
少し濁っていて、淡く綺麗な色をした酒だった。
「これ、なんていうお酒なんですか……?」
店主は少しだけ微笑むと、またメモにペンを走らせる。さらりと書かれたそれには、たった一言だけが記されていた。
『泣き上戸のネムリグサ』
ユラには、その名前の意味はわからなかった。
けれど、口に運んだその酒は確かに優しく眠りに誘うような味をしているように思えた。

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