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孤独について

孤独、とはなんだろう?
周りに誰もおらず、一人だけで空気を吸っては吐き、食べ物を食べ、趣味を堪能する。
……そういうことを指すのだろうか?
あるいは。
近しい人たちの中にいて、突然音が止まったように、映像がぎこちなくなったように、自分が世界から隔離される感覚を言うのだろうか。それを孤独と言うなら、僕は立派に孤独というものを経験している。
あの感覚。
まるで、周りにいる人たちが生きていないような、自分が生きていないような。この世界は自分の世界ではなく、目の前がスクリーンのように不自然に揺れ動く。その時、音さえも耳から通り抜けてどこかへ行ってしまう。
とても怖くて、懐かしい感覚。
それほど遠くない過去、書いた作品を読んでくれた人にこう言われた。「主人公の目の前で、出来事が完結している」と。
嬉しかった。
あの感覚を、僕はきちんと言葉にして、文字に起こすことができていたと、認めてもらえたような気がした。
きっと、僕の生き方はそうなんだと思う。いつだって、物事は目の前で完結していく。まるで映画のように、景色が作り物めいていて違和感を刺激する。ふとした瞬間、取り残されたような気持ちが湧き上がる。
それに不安を覚えたこともあった。今でも、精神状態が悪い時には酷く不安になる。けれど、それを恐れたことは一度もなかったと記憶している。
あの孤独を、怖いとは感じない。寧ろ、時としてそれは心地好いものだった。自分だけの世界で揺蕩う幸せを与えてくれた。
僕は独りでいることが好きだし、それを悪いことだとも思わない。誰だって、独りの時間は必要なのだ。僕は、その時間を多くとらなくてはいけないというだけ。
……そう言えば、僕が少し前に好んで読んでいた、坂口安吾の小説に「男はもう、孤独を恐れる必要はありませんでした。男が、孤独自体でした」というような文章があった気がする。
『桜の森の満開の下』という短編小説だ。好きで、何度も読み返した。あの山賊が、とても羨ましく思えて。孤独に生き、孤独に散った、哀れで愛おしい山賊。
その文を読んで、僕は思ったのだ。
僕も、孤独を恐れることはないと。
そして、僕が恐れるのなら、それは『孤独を恐れること、それ自体』であると。
僕は、人と上手く付き合えない。上手く付き合えているように振る舞うことはできても、どうしても心の奥底まで"上手さ"が浸透しない。それはつまり、僕の中で、僕はいつでも孤独だということだ。
だからこそ、僕は孤独を恐れることが怖い。
孤独に生きるはずなのに、それを恐れるなんて! たったひとつの大切な宝物を、この世にひとりの、大切な親友を恐れるなんて!
僕はそれが怖い。
孤独でありたい心を忌避すること、それは僕に降りかかる不幸の中でも上位の不幸だ。最大の自己否定。
僕は今、均衡を保って生きているのだ。
あの奇妙に歪んだ世界で立っているための均衡を。人と相容れようとは思わない。
無理にそんなことをしなくても、僕は生きている。兎が、下手に縄張りに異物を入れられるとストレスで死んでしまうように。バリアを張り、周りを警戒して、注意して。
心を明け渡すものを虚構の世界のみと定めて、それを守っている。愛するのは、虚構の世界に生きる、作られた人たちだけだ。それだけで、僕は十分に生きていける。
だから、そう。僕は桜の森の満開の下を怖がることはしない。
その森の下に愛を感じること、それが僕にとって何にも変えられない幸せだから。

──孤独とはなんだろう?
それは、"僕の世界"だ。

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