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episode5:タクシードライバー

「タクシードライバーって映画知ってる?」
日野は、コートの裾をパタパタと弄びながら問い掛けた。店内掃除をしながら、速水は肩を竦めてみせる。なんとなく、名前くらいは聞いたことのある映画だった。
「ロバート・デ・ニーロのやつ?」
「そう、それ。知ってるじゃないか」
「観たことはないけど」
「お勧めだよ」
「ふぅん……どんな話?」
速水が訊くと、日野はポケットから棒付きキャンディを取り出してくわえた。そして、天井を眺めて沈黙すると、静かに口を開く。
「孤独のお話」
「は?」
速水が手を止めて日野の方を見ると、彼は飴玉を口の中で遊ばせながら、苦笑いを浮かべていた。
「主人公のベトナム帰還兵トラヴィスが、タクシードライバーをしながら生きる様子を描いてるんだ。時々、彼が自身の日記を読むのをナレーションにして。ずーっと主人公は曇天の下にいる。実際に、じゃなくて心の内でね。だから、物語の雰囲気も曇り空って感じ。トラヴィスは日記に、自分は孤独だって何度か書いてるんだ。でもきっと、それを埋める方法は知らない。不眠症で、社会の汚さに諦観を抱いてて、孤独で、愛されたくて……なぁんか、物悲しい主人公だったよ」
日野は、やれやれと言うように首を左右させた。
「タクシードライバーをしながら、トラヴィスは知的で美しい女性に出逢うんだ。運命の人だと思ってアタックして、なんとなくいい関係になる。でも、ちょっとしたすれ違いから、結局はダメになっちゃうんだけど。そのこともあって、トラヴィスは更に人生の希望とか、人間関係への信頼を失くしていくんだよね。でも、根は優しくて人情味溢れた青年だったんじゃないかと思うんだ。たった一度助けを求めてきた娼婦の女の子を気にかけて、この街を抜け出せって、その手助けをするって説得するくらいだから。元々、曲がったこととか歪んだことを見過ごせない人だったんだろうね。その気質のせいで彼は孤独だし、病んでいくけど。…………病んでいく、とは違うかなぁ。なんだろう、元々持ってた暴力性と正義感が、斜め上に突き抜けた感じ?」
話しながら、日野は腕を組んで考え込む。椅子を回しながら呻く彼を、速水は白い目で見ていた。
「とにかくさ、彼は最後の方でとんでもないことをやらかすんだよ。娼婦の女の子のために。それと、自分自身の欲望と正義のために。これネタバレになるけど、まぁ最終的に彼は日常に戻るんだ。なんか、僕はそれが物凄く悲しくてさ。残念なような、切ないような気持ちになったよ」
「残念?」
「そう、残念。だって、あれだけのことをしたのに、トラヴィスは日常に戻ったんだ。彼を孤独にしていた日常ってやつに。それって、考えようによってはすごく悲しくない? 彼は日常とかいう怪物に飲み込まれて、結局は孤独なままの人生が続くんだ。彼が腐ってると思う街の中で、ひっそりと」
日野は、少し不満げに言い募る。ほとんど拗ねているようにさえ見える表情を浮かべていた。
速水は、首を傾げつつも掃除を続ける。
「お勧めしといて、面白くなかったってこと?」
「いや、面白かったよ。僕、最近70年代の映画をいくつか観たんだけど、あの時代って、なんだかこう……気力と行動力さえあれば何でもできるような、エネルギッシュさがあると思うんだ。社会派というか、重ためのテーマの映画も観たんだけど、それでさえ、エネルギーを感じた。選ばれた人間じゃなくて、普通の、見ようによっては落ちぶれた人間でさえ、抜け出したいと強く願って行動することができれば、物語が起こるっていうのかなぁ。うん、だから曇り空だよ。その後晴れるか雨が降るかは、運と実力次第ってね。トラヴィスもそう。自分のロマンの実現のために、あらゆる努力をした。その結果、確かに"何か"は変わった。でも、それが彼の生活に大きく影響を与えたかと言うと、たぶんノーだ。相変わらず、下町でタクシードライバーやって、仲間と他愛のない話をして、それでも独りぼっちでいる。もちろん、精神面に変化はあったのかもしれないけどね。そこまでは、僕には知りようがないし。傍から見れば、彼の生活は何も変わってないってのが大事なんだ。綺麗で儚くて、残念な結末だね」
日野は、からりと飴玉を鳴らすと、また天井を見上げて黙った。
「……今度観てみる」
「うん。観たら話し合おう」
「今日はフィッシュアンドチップスにするか」
「いいねぇ。こんがりトーストもつけて」

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