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syamu、ネットが生み出した10年代ネットの影の王のその軌跡

昔YouTubeをふと観ようとした時にある男を見た。
今はチャンネルこそ完全に消えてしまったがその名はsyamu.game
私は彼の動画で既製品に既製品を合わせただけの物をオリジナルメニューと言い張る姿に驚愕、そして無性に出てくる笑いを彼は提供してくれた。
当時見た時はわからなかったが昔見た時何故syamuはあそこまで面白かったのか

そして彼が何故二度目のチャンネルを失敗したのか、
長い話は皆嫌いだと思うのでこれはそのsyamuの10年に及ぶ軌跡と受けた要因を考察していく


まず初めにsyamugameとは誰か?

個人情報は乗せられないが

2010年10月3日 にゲーム実況をスタートさせ、その後2014年12月18日 -に引退をしてしまったゲーム実況者である。
その後は何度か復活や引退を繰り返している
何故彼がここまで受けたのかというと、ニコニコ動画を中心とした様々な素材を使った良質的なmad動画が作られる事やオフ会0人という響きの良さであり

それによりsyamuが受けたのは運が良かったなどsyamu自身はつまらなかったなど意見はあるが
私自身の意見ではあるがそうではないと思う
syamuが受けたのは我々が一度体験した道を再認識してくれたという点である

かつてYouTubeにはオリジナルメニューという物が流行っていた。

そして前述の通り、syamu自身は既製品と既製品を合わせただけの不相応な物をオリジナルメニューと言い張る

しかし皆がそれを考えるとしたらどうなのであろうか

オリジナルメニューの例
既製品に既製品を乗っけただけの物
素材はほぼ既製品無添加

多分きっと皆はポテチを潰してカレーにまぶすとかをするのだろう
だがsyamuはそうではないポテトチップスをレトルトカレーに置くだけの物をオリジナルというのにはあまりにも初歩的で極めて幼稚
いわば小学生のような発送
しかし我々はその初歩的な姿だからこそsyamuを見出したのだ

人々は動画で必死に受ける為に様々な工夫をする
四歩や7歩進む

しかしsyamuは他の人とは違い一歩しか進まない
そここそが、逆説的にsyamuがあそこまで受けた最大の要因である

syamuは我々人間の原点(オリジナル)的な姿である

syamuの姿はどうだろうか30歳を超えて童貞を拗らせ、出会い頭に女にアプローチをかけまくったり、未だにニートでそれに言葉は悪いが性格はかなり酷い
容姿も声もはっきり言って悪い
はっきり言って良いところはほとんどない
欲望のままに生き欲望に縋る男というのがピッタリである

だがそれこそsyamuを嫌悪するというのが我々人間の本質的理想像の自己嫌悪を引き起こすのである
例えば寅さん男はつらいよのシリーズ
性格は流石にsyamuはよりはほんのちょっとマシだがこちら側もあまり良い所はない
世界的に考えるとチャップリンのモダンタイムスや魯迅の阿q正伝などがある。

人間は生きるがままの姿のそれを魅力的に見えてしまう
syamuにも同じ事が言える生きるがままの姿をしそして生きる
そこに我々は魅了され惹かれてゆく
ペルソナ(Persona)とは心理学の用語であり、スイスの心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱した概念

もともとペルソナとは、古典劇で役者が使用する「仮面」を意味する。ユングは「人間の外的側面・自分の内面に潜む自分」をペルソナと定義した。

我々は日々常に仮面をつける者である、だがsyamuは仮面などつけないそのありのままの原点(オリジナル)に惹かれていくという一種の証明なのである

syamuの一度轢いた道は我々に通ずる

夏このワードもsyamuを定義付けしているのである。syamuの動画は不思議と夏休みを感じる
夏休みは終わると知っている、だからこその瞬間にある誰もが一度は感じた刹那的なモラトリアムを引き起こす。
武映画のように夏の限りある時間終わりは知っている
一夏の青春の魅力、しかしそれを30歳ニートがやっている歪さこそが、syamu最大の魅力
syamuは小学4年生の夏休みをずっと繰り返しているような姿

そして筆者が一番言いたい事はsyamuは我々が一度通過した姿なのではないか?という事

考えてみて欲しいsyamuの姿は女を欲し堕落し名声を得たい良くも悪くも彼は欲に忠実で人間の純真的な姿なのである
それはペルソナを被っていない正しく小学生のような姿
我々が今の姿になる前の汚れなき人間のオリジナル(原点)
そこに共感やノスタルジックを得てしまう
つまり我々はsyamuを嫌うと同時に自己本質的嫌悪の現身的な姿であり誰もがsyamuの姿であり人々は本質的には皆syamuであるという考察が出来上がる

そして何故彼が二度目のYouTube成功しなかったのかというとこればっかりは彼がチャンネルを消したからというのが正直な所
30万人も登録してたのに普通消さないだろというsyamuのプライドの高さ

それに当時のsyamuのファン層は二枚岩であるのが失敗を招いたのだろう
まず一種類目はsyamuを実況して突っ込むスタイルのファン
二種類目はmadなどでsyamuを知りそれでsyamuファンなどになったタイプ
の二種類がいる

ここで問題になったのが二種類目のmad動画でファンになったsyamuファンだろう彼らはsyamuの動画を見てすらいないのに数字だけを見て面白い人良い人だと錯覚しありもしない一人歩きをしたsyamuの偶像を作り出した

そして問題はsyamuが炎上した時であるそこで前述のmad動画でファンになった視聴者が離れて言ってしまった
しかしsyamuを昔から見ていた人間はそれに楽しんでいた
言葉は荒くなるがsyamuの動画ファンはsyamuが発言した俺でオナニーしたら駄目だめだでから出た
通称俺オナ民である
まぁこの人達はsyamuが映画好きであるという事に嫉妬するなどsyamuとあまり変わらない人達が中心であり
syamuが良い人だったら確かに受け入れられただろう

しかし社会は善ではない悪やコンプレックスなどのマイナスを内包してるのも事実
良く作品などでこいつはコンプレックス合って良い奴過ぎるこいつより好きなどと人はマイナスに親和性を感じてしまう
syamuが例え良い人だとしたらsyamuは決して人気は出なかったのが皮肉である

そもそもsyamuがここまで受けた土壌は2000年代からあるピアキャスなどの動画サイトでは馬鹿な奴をネタにするという文化があった
いわばsyamuはそのアングラなネットの人気者の終着点という事

そしてsyamu最大の失敗は馬鹿にされてるのが受けるて気づいてしまった点である
我々は純真な初歩的なsyamuが好きなのであり二歩歩くsyamuなどありふれた凡人の一人に過ぎない
貝塚というか殻の中でsyamuはそこで殻を破り羽ばたこうとしただが我々はそこに価値があっただけで汚れを知ってしまった鳥など誰も興味など無く
2枚岩のファンを同時に失うという最悪の結果を招いた

ネット大型進出した10年代のその象徴ともいえるネットの影の王
syamuが成功ほぼ間違い無しの二度目の失敗をしてしまったのはやはり前述の通りオールドスタイルが好きなファンとのmadなどで知ったsyamuとの狭いようで大きい隔たりが要因であると言える

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