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多様性の中の伝統 『眠りの森の美女』

バーミンガム・ロイヤル・バレエの『眠りの森の美女』をロンドンで見てきた。ピーター・ライト版の舞台演出は、まるで本革と金文字で豪華に装丁された絵本のページを、目の前でゆっくりとめくっていくような感覚で展開していった。その豪華本の物語で主役のオーロラ姫を演じるのは、谷桃子バレエ団の動画で「次元が違う…!」と絶賛されていた平田桃子さん。オーロラ姫の周りだけ重力が軽くなるような魔法がかけられているのかと思うほど、平田さんの踊りには、軽やかに羽が舞うような優雅さが漂っていて、その異次元を体験できたことに感無量だった。

公演のパンフレットには、このバレエが誕生した背景として、作曲家のチャイコフスキーと振付師のマリウス・プティパに童話でバレエ作品を制作することを依頼した当時のマリンスキー劇場支配人のイヴァン・フセヴォロジスキーについて書いてあった。『白鳥の湖』の初演が大失敗に終わった後、フセヴォロジスキー自身がこの作品の脚本を書き上げ、またこの二人に声をかけなければ、後に『3大バレエ』と呼ばれる『眠りの森の美女』も『くるみ割り人形』もこの世に生まれることはなかっただろう。

西洋音楽でロマン派時代では、大人向けの愛憎劇や恋物語がオペラやバレエの題材として人気の題材だった時代に、子供でも楽しめる演目に目をつけたフセヴォロジスキーには、先見の明があった。劇場の支配人になる前は外交官で、帝政ロシアの君主制賛美とロシアとフランスの友好関係を強化するためにこの作品に目を付けたという見方もあるが、芸術を理解していたフセヴォロジスキーは、恋愛事には純粋すぎて内気な性格のチャイコフスキーなら、子供向けに最高の音楽を提供してくれるだろう、ということを見抜いていたのではないかと思う。『眠りの森の美女』3幕の結婚式のパ・ド・ドゥのアダージオには、新婚の若い夫婦が恥じらいながらも少しずつ距離を縮めていくような感じが出ていて、チャイコフスキーの純真な恋愛観が感じられる。特に私が見た公演では、平田さんと組んだ男性プリンシパルも台湾人のTzu-Chao Chuで、アジア系のダンサー同士だからこそ、この若いカップルの初々しさがとても上品に表現されていたようにも思う。

『眠りの森の美女』は、130年前にロシアで始まったクラシックバレエだが、まるで130年前に建てられた都市のようだ、とも思った。バレエ観劇中、幼少期の思い出が残る故郷の街に足を踏み入れたときの懐かしい感覚が蘇ってきた。故郷にはバレエの形式のように100年前の原型を残している部分もあると同時に、時代と共にちょっとずつ変わってきた部分もある。バレエの舞台でも、私がクラシックバレエのファンになった40年前には、日本人が海外でプリマバレリーナとして踊るなんてほぼ不可能だと思われていが、今はイギリスに「プリンシパル」の地位を持つ日本人ダンサーが平田さんを始め5人ほど存在するし、この日のオーケストラを指揮していたのは女性だったりと、舞台に関わる人々も観客の人種も白人だけではない。

いつの時代も、子供は大人から「夢ばかりみてないで、〇〇しなさい。」と言われて育つ。夢を見ないことが大人になること、とどこか刷りこまれていくのが「成長する」ことなのかもしれないが、やっぱり夢の世界に帰りたくなるときが、大人になってもある。古典は人の心が理想化した故郷なのかもしれない。「その理想を守りたい」と思う人がいる限り、人種や国境を超えて、クラシックバレエの伝統は今後も後世に伝えられていくだろう。

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