見出し画像

母のそばで♡何がキツイのか?篇

母との生活も4か月目。まだまだたったの4か月。
一応「要介護2」。
しかし「介護」というにはゆるい生活。

たいして世話も焼いていないけど、最近きつい。
おもに心がね。


日常の動作がリハビリ


95歳にしては、母はしっかりしていると思っていた。
緩和ケアを在宅で受けている割には元気。
見かけだけは。
酸素を吸いながらの日常にも慣れた。

私が手を貸すことはあまり、無い。
危ないときに備えて、いつでも手が出せる距離にいる。

訪問看護の看護師さんの言葉。
「トイレに行く、お風呂に入るなどの普段の行動がリハビリになります。」

ということは、できることにまで手を貸すと良くない。
ひとつひとつの行動をゆっくりていねいに行うことが運動だ。
急ぐ必要はないのだから。

「自分でできる」ということがプライドを保ってくれる。

そろそろ怪しい

元気そうなのは見かけだけ。
血液検査のデータを見るとギョッとする。
データを見なかったら、病気が回復しているのかと思う。

では、見なかったことにしようか。

身体の方は対策をとっているから、良い。
本人が苦しいときの対策をしているから、まだ良い。

覚悟はできた、と思う。
腹を据えて、慌てず騒がず、落ち着いて!!

しかし問題はそこではない。

最近、怪しいことがいくつか起こった。

薬の管理が怪しい。

飲むべき数種類の薬が1回分ずつ、きちんと袋に入っている。
そこに「日にちを入れましょうか?」と提案されたけど
「大丈夫です」と断っていた。

しかし「ん?」と思うことがあって私がマジックで日にちを書いた。
今度から薬剤師さんの提案に従おう。

薬の袋は全部連なっているので端から順番に切って使う。
そこに日にちを書いた。
なのに「足りなくなった」と母が言うのでびっくり!!
そんなはずはない。
よくよく話を聞くと、どうやら飲むタイミングが怪しい

薬を飲むところを見てはいる。
しかし、見ていない所でも飲んだら足りなくなる。
これは、マズイ。
どうしたものか?

次にお金の数え方が怪しい。

母は驚くほど、サプリ類を定期購買している。
「病院から出される薬があるのだから、解約しようか。」

提案を素直に受け入れてくれた。
電話で解約のお願いをする。
いくつ解約したろうか?

でもまだ届くものがある。
同封の払込票をみて、母はお金を私に預ける。
こんなことは今までもよくあった。

お金の数えまちがいはただの一度も無かった。

しかし!!
母から預かったお金を握ってコンビニへ。
何の疑いもなく払込票と預かったお金を出す。
「2,000円足りません」
レジの人に言われ、心底驚いた。
慌てて不足分を出したけど、久しぶりに本当に驚いた。

あぁ、これからは確認せねば!
こういうことはきっちりした母だったけど、ついに!
仕方ないな。
ショックすぎて母には言えなかった。

今までのことは言わない


なんだ、そんなことか!
高齢者あるある、でしょ。
というか、別に高齢者でなくてもあるでしょう。

そんな声が聞こえてくる。

私は昔からドジでおっちょこちょい。
自分の大小さまざまな失敗には慣れている。
だから自分のことには寛大。

母はそうではない。
記憶力に自信があり、さまざまなことを「間違わない」「ちゃんと覚えている」ことに自信があった。

「こんなこともわからなくなって!!」
「こんなこともできなくなって!!」
と、母は言う。

「そんなことは誰でもある」
「なんてことはない」
「若くても、ある」

思いつく限りの言葉を言うが、あまり響いていない。

母の自己肯定感が下がっていく。

あぁ、カウンセラーだったら何というのだろうか?
カウンセラー的存在にはなれそうにないな。
励ましたいのに、言葉が、気持ちが届かない。

もどかしいーーー。

昔はどうだったか、なんて忘れてしまえば良いのに!

疲れの原因


大したことしていないのに、なぜ疲れるのだろう?
それをずっと考えていた。

・衰えていく親を24時間、目の前でみていること
・いつ何時、最後が来るかわからない緊張感
・元気がないとき、励ましたいのに役に立たない無用感

あぁ、これだ。
私の疲れのもとは「無用感」だ。
母ではなく、私の方がカウンセリングが必要かも。

生活を整え、安心できる環境を作り、ご飯を用意し・・・
非常に役にたっている場面もある。
しかし「心を支える」ことができているのか?

もう一つ。
「これしき!」という考え。

世の中にはキツイ介護を、長い年数がんばっている人がたくさんいる。
それにくらべ、アンタなんか苦労していないじゃないか!

自分の中で別の自分がこんなことを言う。
確かにその通り。
だから「キツイ」なんて言うとバチが当たると思っていた。

しかし、なぜ最もキツイところと比べる必要があるのだろう?

こんな、自分の中のもう一人の自分と会話するのも疲れる。
私の疲れは自分でつくっているようだ。

嫌な人とはつき合いたくない。
自分の中のうるさい自分とはつき合いたくない。
他人と違って「つき合わない」のも難しいけど。

少しスッキリした。
疲れの原因が少し見えた。
自分で疲れの原因を作っているなんて!!

自分を少し甘やかしてみよう。
ゆるくて良いよ、と許してみよう。

まだまだ続く甘ちゃんの介護生活。


最後まで読んでくださりありがとうございました。

ミカンの花






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?