5番地

思想・哲学・文学・芸術の会(アープラ)

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最近の記事

ハイデガーとアーレントとナチス

まずハイデガー『存在と時間』における自然について。 後年では「ピュシス」として、「ピュオマイ」という動詞に言及しつつその「生成」としての在り方が論じられ、 ほとんど「存在」と近い意味合いで論じられているように思える「自然」について、 『存在と時間』ではハイデガーはあまり「自然」に紙幅は割いていない。 しかしそこには複数の意味合いがあることは、「読み」はできなくても目を通したことはある人ならわかるだろう。 一つ。道具的に在るものとして。 「(前略)風は帆にはらむ追い風である。

    • チェーホフ『カモメ』感想文

      何がニーナに起こったのか? ・ニーナは自身を「カモメ」と評する。 ・トレープレフは「カモメ」を撃ち落とす ・トリゴーリンは「ほんの短編」の題材をニーナに告げる。ニーナのような娘がいる、その娘はカモメのようである。 ・その娘を「男」は破滅させる。トリゴーリン「ほら、この鴎のようにね」。 ニーナは女優になったものの、落ちぶれる。しかし、トレープレフに話しているときのニーナはまるで、ニーナに作家の辛さを語っていたときのトリゴーリンのようである。 「舞台に立つにしろ物を書くにしろ

      • ずとまよ新曲を出してた。相変わらず歌詞は難しいが声が鬱陶しくなくて良いな。「正々堂々 前言撤回」、手紙調の「今もまだ思い返します」、「嘘じゃない」、ってなると、変わったとか変わらないとか色々と言われとるんかね。大変なんやろな。声や曲やpvが良いからどうでもいいが。

        • 『存在と時間』、3頁目

          3頁目 1行目。諸々の予断はその根を古代の存在論じたいに有している。 同じく1行目。ちょい長い。 まず挿入されている箇所は飛ばして、主要なとことから和訳する。 ・zureichend 十分な ・nurは「(先行する文の内容に制限を加えて)ただし、もっとも」ってやつだろう←のちに見当を違えていたとわかる。 副詞は辞書を引いてもどの意味合いで使われているのかわからないときがあるだろう。 そのときはいったん放置。ほかの箇所がわかればわかることなんてザラにある。 わかるとこ、わ

        ハイデガーとアーレントとナチス

        • チェーホフ『カモメ』感想文

        • ずとまよ新曲を出してた。相変わらず歌詞は難しいが声が鬱陶しくなくて良いな。「正々堂々 前言撤回」、手紙調の「今もまだ思い返します」、「嘘じゃない」、ってなると、変わったとか変わらないとか色々と言われとるんかね。大変なんやろな。声や曲やpvが良いからどうでもいいが。

        • 『存在と時間』、3頁目

          竹田青嗣のテクストに対する私からの嘲笑、嫌悪、殺意由来の異見に対してなにか反論ある方は、ぜひ意見をください。

          竹田青嗣のテクストに対する私からの嘲笑、嫌悪、殺意由来の異見に対してなにか反論ある方は、ぜひ意見をください。

          竹田青嗣『超解読 はじめてのフッサール』について

          「「現象学的還元」は、まず客観が存在するという「.措定」、つまり前提を中止する。そしてすべてを自分の「意識体験」に「還元」する。すると、世界の存在のすべては、自分の「意識」に生じている表象である、ということになる。 この「意識表象」を自分で内省し、そこでいかに「世界」が「構成」されているかを記述する。これが一般的に言われている「現象学的還元」の方法の概要である(「事象に帰れ」とは、「内在意識」ですべて考えよ、ということだ)。 (『超解読!』、21頁) この箇所は竹田が、『現

          竹田青嗣『超解読 はじめてのフッサール』について

          vaconに500円だけpaypay送った。無くしてからわかったありがたさとかクソ喰らえなので、気まぐれにでもちょこちょこでも送っていきたいところ。

          vaconに500円だけpaypay送った。無くしてからわかったありがたさとかクソ喰らえなので、気まぐれにでもちょこちょこでも送っていきたいところ。

          「オリジナル」ではない研究者に感謝

          竹田青嗣『超読解! はじめてのフッサール』を、ザハヴィや『イデーン』や『論研』や『理念』と合わせて、仕事の合間にパラパラ見て書いてる。休みもなく、勤務時間も長く、しかしなるべく引用を多くしたいということもあり大変だが、「竹田青嗣は怪しいと言われるけど具体的にどこがダメなのか書いてない」とかいう話をちらほら見かけるので、ガッチリやっていきた伊之助。 しかし「誰も具体的にどこがダメか書いてない(から気にしない?)」って、ダサすぎんか。フッサールはわからないけど竹田青嗣ならわかるか

          「オリジナル」ではない研究者に感謝

          殺人やテロの被害者が無辜であるとし、加害者を悪し様に語るコメントはよくあるが、その被害者がえぐいイジメの加害者だったりとかはありうる、死んで清々している人もいるかもなぁとか思うからか、あぁいうコメントにはなかなかノレない。

          殺人やテロの被害者が無辜であるとし、加害者を悪し様に語るコメントはよくあるが、その被害者がえぐいイジメの加害者だったりとかはありうる、死んで清々している人もいるかもなぁとか思うからか、あぁいうコメントにはなかなかノレない。

          事務処理くそダルいな。 山上を否定できるわけない。

          事務処理くそダルいな。 山上を否定できるわけない。

          現象学の入門書にザハヴィが挙げられてなさすぎやな。「入門書」とか言って誰も『論研』や『イデーン』を読まないんだから、せめて「入門書」はザハヴィにしとくべきなんやが。

          現象学の入門書にザハヴィが挙げられてなさすぎやな。「入門書」とか言って誰も『論研』や『イデーン』を読まないんだから、せめて「入門書」はザハヴィにしとくべきなんやが。

          ノイズについてダラダラ、聞くということ

          リンク先に飛ぶ場合は音量に注意してください。 https://m.youtube.com/watch?v=fjx6R5ouHrM&list=OLAK5uy_n-x_baM3Lz7qG1YdaLc9ys1q-Q0bzsaaA&index=1&pp=8AUB https://m.youtube.com/watch?v=nj6YamxIv4o&pp=ygUad29vZHBlY2tlciDjg6Hjg6vjg4Tjg5DjgqY%3D とりあえずmerzbowから。k2はアカウ

          ノイズについてダラダラ、聞くということ

          竹田青嗣のフッサール解釈がよくわからない

          フッサールは一軒の家や騎士聖ゲオルグという「対象」について、竹田が「リンゴという客観を還元して」、「赤くてまるくてつやつや」とか言うのとは違って、次のように言う。 「外界の事物の知覚においては、まさしく事物がーーたとえば、一軒の家がーー知覚されている。が、この家は一つの超越であって、その実在は現象学的還元の対象になる。現象に明証的に与えられるのは、家という現象、いいかえれば、意識の流れのうちに浮かんでは流れさる、家というコギタチオなのだ。(中略)が、家という現象のうちにはまさ

          竹田青嗣のフッサール解釈がよくわからない

          現象学の入門書なら竹田青嗣ではなくダン・ザハヴィ。 『現象学的な心』は色んなジャンルに言及してて面白いかも。

          現象学の入門書なら竹田青嗣ではなくダン・ザハヴィ。 『現象学的な心』は色んなジャンルに言及してて面白いかも。

          『なぜ働いてると本が読めなくなるのか』って、パーっと目を通すだけなら私ですらできるんだから、たいていの人はそこまで読書に熱心ではないでも終いではないのか。ようわからんな。

          『なぜ働いてると本が読めなくなるのか』って、パーっと目を通すだけなら私ですらできるんだから、たいていの人はそこまで読書に熱心ではないでも終いではないのか。ようわからんな。

          「天才である」とはどういうことか

          ・「天才だ」と呼ばれる人がちょこちょこいる。 ・大多数は「天才である」とは呼ばれない。 ・或る人が、他の人たちはできてなかったことをしたとき、その人は「天才である」と呼ばれうる。  ・年のわりに技術が優れている、新発見をした、新発明をした、など。  ・「天才である」とは、「他の人たちとは異なる」を意味する。 ・或る人がすごいことをしたとき、その「原因」として、その人は「天才である」と言われる。  ・この人がこんなことをできたのは、この人が「天才である」からだ。  ・大多数

          「天才である」とはどういうことか