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【12歳の試練】海外移住:ニュージーランド

読んでいただきありがとうございます😊


12歳で家族とニュージーランドへ移住した際の、最初の2年間を綴ります


私は地獄の2年と呼んでいます(笑



きつかった1番の理由は・・・



自分を完全に封印した2年間
だったからだなぁと思います


授業が分からない疎外感や焦り。
ひとりぼっちの孤独感と恥ずかしさ。
心配されない様、平気を装う我慢の日々。
苦しいのに笑顔を作る嘘つきな自分。



自分の素を出せず、
「ただ静かで大人しい子」としてを過ごすしかありませんでした。


というのも、
当時の私は英語力ゼロ


自分の名前の「Ann」すらも、
発音を間違え「そんな名前あるの?」と不思議がられる具合、、汗


12歳という年齢の子供達は、
既に自我がしっかりしているので、価値観や悩み事などを共有して絆が生まれます。一方で幼い子供達は、笑うツボが一緒だったり、遊んでで楽しい!というフィーリングだけで仲良くなれます。


私の年代で現地の友達を作るには、
残念ながら言葉が必須でした。



1年目
この子は私に何て言ってるのか。
先生は何を熱く語っているのか。
なぜ今皆が笑ったのか。
パソコン室に来たけど何を調べる時間なのか。
体育館でチーム分けされたけど今から何をするのか。
何も分からない毎日でした。



先生は基本、ほったらかし
流石NZ、色々てきとうです(笑)


たまに誰かが説明してくれたとしても、理解できず、申し訳ないので分かった風に誤魔化します、、


皆の足を引っ張ってしまうのが怖く、「たすけて」が1回も言えませんでした。言い方すら分からなかった気がします。


特に苦痛だった時間①

算数のクラスはレベル分けされ、それぞれの教室に移動しました。私はそもそも英語が読めないので、もちろん最下位のクラスに。

(ちなみにそのクラスでは、小6の年で「かけ算」を習っていました。日本で既に習得していた私は1人だけスラスラ解ける自分は天才か?と勘違いしそうになりました(笑))


その時間の苦痛な理由・・

それは



席が自由席なのです!



もちろん仲のいい子同士で座ります。


当然私には、一緒に座ろう!なんていう子はおらず、この時間がとてつもなく寂しかった。。


ひとりぼっちにならない様に、優しそうなグループの近くにひっそり座り、あたかも自分も一員かの様にカモフラージュ。

何も言わず着いてきてるやつ!って嫌がられないかなと不安になりながらもポーカーフェイスを保ちます。


最悪な時は、私だけ広い席にポツンと取り残され、皆は別の席に固まってしまっていることも。


側から見たら、私だけハブられて座っている感じ。心配されたく無いので、全然平気なフリをしてしまいます。


優しさで私の横に座ってあげようとする子も、私の平気そうな素振りを見て、皆の所へ行っちゃいます。


しょうがないと分かっているけど、惨めで、恥ずかしくて、居心地の悪さは1000000%

「ここから去りたい」と感じながら
時間が過ぎるのをじっと待つ。。



こんな毎日の繰り返しでした😇チーン



元々大勢と居ることが好きな性格もあり「1人で居る」という事が苦手だったため、
自然とひとりぼっちになってしまう環境が、本当に地獄でした。



早くこの時間が過ぎれば良いのに

一日中そう願いながら過ごしていました。



特に苦痛だった時間②


数少ないアジア人(韓国人や中国人)の留学生とは、ルーツが似ている為お互い安心するのか、そこまで話してなくても自然とランチタイムは集まって過ごす様になりました。



しかし、文化の違いなのか
この子達がランチタイムにずーーっと
やるゲームが私には退屈で、、、汗



スタート地点から、どこまで遠く足を伸ばせるかを競うゲーム
(説明下手くそ、、)


それを皆は楽しそうにずっと繰り返し競うんです。


私の居場所はここしかないので皆に合わせるしかなく、ひたすら楽しそうに振る舞い、自分に嘘をつく日々が、地獄でした。


特に苦痛だった時間③

同じクラスに韓国人の留学生が居ました。名前はリサ。その子と私はアジア人というだけで、自然と一緒にいる様になりました。その子と私は常にペア。
算数以外のクラスは常に隣。
キャンプでも同じテント。
リサの方が少し英語ができたので、かなり頼っていました。


そんな彼女は11歳という幼い時でホームステイをしていたため、そのストレスを私に当たります。私の新しい消しゴムをハサミで切り刻んだり、私がやめてと言う事を、やってしまいます。


周りは気づかれないようにやる為、止めてくれる人はおらず。
でも私もリサから離れられず。。


彼女と離れたいのに、他に居場所が無い状況が、地獄でした。




苦しかった思いは家庭でも、、
よく覚えているのは、当時7歳の1番下の妹が会話の中で「I shouldn’t have said that」と呟いたのに対し、父は
「もうそんな文法も分かるのか!」と喜んでいた姿


5歳下の妹が自然と身につけてきた言葉を、自分は知らない。

という屈辱感。。
姉妹で比べられるのではないかという恐怖。妹達みたいに、スイスイ英語を吸収できない自分はバカなのかと落ち込む日々


(しかし母いわく、妹たち2人も鬱のような時期はあり、相当頑張ってたよと言います。どんなに小さくても最初の葛藤はあるみたいです)



私は1年目のハロウィンの日に、謎の腹痛
によりその場から動けなくなりました。
病院だいっっっきらいな私でも、人生で初めての痛みに耐えられず、病院に行きたいと主張。検査するも原因が分からず、大きい病院の緊急病棟に行ってくれと言われその足で向かいました。血液検査、レントゲン等色々しましたが、原因は不明。
緑色のドロドロしてる液体状の痛み止めをもらい、痛みが引いたので帰りました。

本当に全く同じことが、
翌年の同じ月にも起きました。



不思議でしたが、今ならあれはストレスからだと腑に落ちます。



人生で1番の精神的苦痛を味わうと、
人生で1番の身体的苦痛もやってきました。



心と体って、こんなに繋がっているんだと身をもって学びました。



私の心も体も、
沢山頑張ってくれてありがとう
愛おしくなりました。


そんな私に母は沢山お守りを作ってくれました。刺繍で入れたい言葉ある?という母に私がお願いしたのは、


「大丈夫、大丈夫」


この言葉は私のおまじないでした。

逃げたい😭って思う度、
心で繰り返し唱えると
少し安心できたんです。



私が帰国子女と知ると、いいなぁと言ってくれる子もいますが、
私はあの2年をもう一度経験しないといけないなら「帰国子女」なんて肩書きは秒で捨てます🥲



自分じゃない誰かで居る毎日。
あれほど強い孤独を感じたのは初めてでした。


それでも、両親には感謝しています。





人生で「辛い...」と思う場面も

あの時よりはマシか!!!!!


と自分を励ます力になっています



どんなに苦しくても人は成長するもので、中学2年目からは英語が聞き取れるようになり、少しづつ話せるようになっていたので現地の友達ができました。
クラス全員の前で3分間スピーチの発表ができるようになったり、仲が良かった子の家族に連れられキャンプへ行ったり、バースデーパーティに参加したりと、出来ることも増えていきました。


また、弱い立場を経験し、人の優しさが痛いほどありがたく感じました。😭



授業中、快く私の分のタスクもやってくれた子達や、優しく応援してくれたESOL(留学生の為の授業)の先生。思い返すとあったかい気持ちにさせてもらいます。



苦い経験も全てひっくるめて、大切な宝となっています。




乗り越えられない試練はやってこない、、、本当にそうかもなぁと思います







ですがやっぱり言わせてください








あの地獄の2年間!









もう絶対来ないで!!!!!!!!!


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