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「あの夏」の追体験は甘く穏やかで、苦しかった

私が小学生の頃、父母は私と妹を連れて、毎年夏休みが始まると同時に徳島にある母方の実家に帰省した。
そして、1か月半ある夏休みのほとんどをそこで過ごした。

しかし、私が小学6年生の時に訪れたのを最後に、私たち家族はたくさんの事情にがんじがらめになってしまった。
結果、今回の帰省は13年ぶりのひと家族での帰省となった。

一足先に着いていた父の車から降り、カラカラと玄関の戸を開けると、顔いっぱいに笑顔を浮かべた祖父母が「よう来たな」と出迎えてくれて、何よりも安心した。

そして、家の中に入ると、あまりに甘美な幼少期の記憶が私を殴った。

この玄関の小上がりで、よそ行きの格好をした祖母と一緒に、お盆参りに来た遠い親戚にもじもじとあいさつした。
この和室で、昼下がりに祖父の横に座って、わかりもしない時代劇をテレビで見ていた。
この居間で、祖父と市民プールで遊び疲れて帰った後、少し塩素のにおいが残る体で棒アイスを食べた。
この裏口から、祖母が「こんなん採れたけん見てみ」とにこりと笑って、かご一杯の採れたての野菜を渡してくれた。
この庭では、日が落ちたころ、祖父が夕焼けを背に芝生と松の木に丹念に水をやっていた。

かつての家はリフォームの時になくなってしまったけれど、変わらなかった窓からの眺めは、私が祖父母と過ごした大切な時間の記憶を十分すぎるほどに呼び起こした。

それからの3日間は、記憶の彼方に消えていく私の夏を必死でつかまえるように、あの時の生活をなぞった。

私にとっての朝とは、みそ汁を作る祖父とすいかをかじる祖母の背中を見ながら、ぼんやりとソファに座り、朝日を浴びてきらめく畑を眺めるあの時間だった。

私にとっての朝ごはんとは、祖母の握るおにぎりだった。
口に入れるとお米がほろりとほどけて、塩と紫蘇で漬けた梅干しの酸っぱさに私が顔をしかめる。祖母は私たちの分のすいかを切りながら、私の反応を笑って見ていた。

私にとっての昼ごはんとは、ボウル一杯に出てくるそうめんと麦茶だった。
一口分ずつに丸めた食べきれないほどの量のそうめんを、半分に切ったすだちを絞って苦しくなるまで食べた。

私にとっての昼下がりとは、祖父が見る甲子園のテレビ中継を遠く聞き、さらりと髪をなでる風を感じながら畳の上でまどろむあの時間だった。

私にとっての夕焼けとは、祖父が大事に育てる田んぼの奥に太陽がゆっくりと沈み、伸びる私の影の脇で稲が金色に輝くあの時間だった。

私にとっての夜とは、和室の窓から朝顔のはっぱ越しに蛙の声を聞き、ぼんやりと遠くの星を見つめるあの時間だった。

ここでの暮らしは私の理想であり、夢であり、全ての欲望の原点である。

大人になってしまった私たちは、かつてのようには暮らせない。
乗り越えきれなかった苦しみを抱えて、大人の集まりとして、今の私たちとして毎日を積み重ねていくほかないのだ。

そうわかっていても、あの日々が恋しくてたまらない。

夕暮れのあぜ道を一人で歩きながら、今はもう足が悪くなってしまった祖父と妹との3人で散歩した甘い記憶を反芻するのだった。

コンクリートに囲まれた都会での今の暮らしも、友達と気晴らしに出かけるレジャー施設も、単なる毎日の過ごし方の妥協案でしかないのに、それに気づくまでに長すぎる時間を使ってしまった。

帰りの飛行機の窓から遠ざかる四国の山々を眺めながら、祖父母の優しい笑顔を思い出し、元気な祖父母に会えた安堵と、長く帰れなかった罪悪感と、残された時間の少なさに対する寂しさに胸が押しつぶされて、涙が止まらなかった。

別れ際に車の窓の向こうから、またねまたねまたね、と小さく繰り返す祖母の切ない笑顔が、忘れられない。


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