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ありあまるお金。学び編。50才まで、あと、2537日。『心が動き出す』

瞼がずり落ちてくる。

引くほど眠いから簡潔に書こうと思う。

本を読むことが習慣化してきた。

お金が余ると本を買い、本を読み終わると、誰かにあげる。

あげた相手と本の中身を話したりする。

そんな時間が自分の人生で訪れるなんて、思っても見なかった。

もちろん、ペラペラと捲り、最終ページまでさらっと目線で追うときもあるし、1つの文章を読み返し、自分の言葉に変換できるまで、読み込むときもある。

最近は調理師の試験の問題集を買った。

なぜか手にとってみた。

学びにジャンルなど関係ないのだ。

食材の選び方、食材のそのときの料理にあった切り方、調味料の配分、熱の入れ方、盛り付け、数えたらきりがないが、ルールと、センスが試されるのだろう。

だから、今更ながら、料理って凄くないですか?と、気づいて、反対に調理の基本から学ぼうという魂胆だ。

その段取りや基本になにか、自分の人生に通ずるものがあるかもしれないし、ないかもしれない。

今はステーキを美味しく焼けるくらいしか、できることはないので、学びたいと思う。

料理は頭を使うと聞いた。

脳にある料理の完成図を想像しながら、段取り良く、作業をこなし、しかも、美味しくなければ、美しく盛り付けなければならないのだ。

富を得る前から料理の腕をあげておこう、と思う。



文庫の中古の小説も買った。 

石田衣良とか伊坂幸太郎とか、昔読んでいて、購入してみた。

数ページ捲り、読み流す。

読んでみて、過去の自分を思い出す。

その作者の文章だとわかるのはなぜなのだろうか。

文体とかいうものなのか、言葉の選び方なのか、句読点の付けるタイミングなのかわからないが、その人の文章だとわかる。


それが、過去の自分の感情を思い出させた。


楽しいと思えたことなど、1日もなかった。


もう、43才?

いや、まだ、43才だ。

永眠する時、最高の自分で。

今が楽しい。まだまだ、学べる。

明日は何を学ぶんだろうか?






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