『髪のうねり』残り、2493日。
女性の美しい髪のうねりを絵に描けたら、どんなに幸せだろう。
芸術が日常を照らすように、絵は、心を映し出す。
(今考えた)
下手くそな絵を描いて、恥ずかしげもなくUPして、自分の今を晒す。悪くない。
(死ぬほど恥ずかしい)
下手くそな馬券を載せて盛大に外し、貯金残高が、砂漠の給水所のミネラルウォーターのように、みるみるうちに、枯渇したギャンブラーの通帳に振り込まれる。それも、悪くない。
(絶望✕10000000000000000)
いずれ俺の通帳に振り込まれるけどね!
幼稚な文章を載せて、そのことが生きがいみたいになって、熱中して、糸がプツンと切れたみたいに、迷走し、自分自身のやりたいことはなんだっけ?と思いつつ、連休を取ってみたが、なにもしない、という選択肢を選ぶ自分。
それも悪くない。
(やはり、生きている実感が未だにないみたい)
誰にでも最初に好意をもっています、アピールを自然とやっていて、あるラインまで人が近づいてきて、積極的に連絡が来ると、途端に、線香花火の火花が、地面に落ち、暗転。
「いや、そうゆうのじゃないんだけど」
怠惰な自分に好意を持つなんて見る目がない。
と思い
未来を想像できない自分には近づくべきではない。
と、スイッチを切る。
自分に興味のない人が好きだ。
傍観者でいたいのかも知れない。
主体者になれば、それ相応の痛みや、現実と向き合わなければないからだ。
個人って、おそらく、ただのデータに過ぎない。
そのデータが、どこかで働き、税金を納め、家族を作りそこにも税金がかかり、いずれそのデータがなくなる。なくなるときにも税金がかかる。
自分がなにもので、なにをしたくて、何が好きで、どんな仕事をして、どんなことを考え、なにに幸せを感じるか?
それを記録していきたい。
ただの、データだとしても、自分が美しいと思えるもの、楽しいと感じること、悲しいと感じること、心躍るもの。
なんと、それぞれが違うのだ。
考えられない。
ある、カテゴリに放り込んで一般化して、平坦化するのが、データを取るには必要だけれど、個性とはだれになんと言われようと、どうしてもこれをしてしまう、これに魅了される、これだけは譲れない、そんな個々の、湧き出る感情ではないだろうか。
『脳が深夜の暴走中』
60時間、自室に籠もっていたらなにも思い浮かばなかった。
移動して、景色を眺め、人と触れ合い、仕事をして、自室に戻る。
自室が最良なんだとしても、時間が無限にあると、実は人は(俺は)なにもしないことを選ぶんだ、と言うことを知った。
時間がないかも知れないけど『絵が描きたい』
時間がないけど一秒でも『君の顔をみたい』
時間がないけれど『娘の運動会の日は半年前から有給を取る』
おそらく、時間は1番大切なものだが
『24時間の中の4時間をなにに使うのか』
それが人生らしい。
振り出しに戻る。
さて、目標が遠くに感じるから人は今をないがしろにするらしいとなにかで読んだ。
50才ま2493日、すぐに来るように思える。
その時、この世に居なくてもいい。
居ないとしたら、今何ができるだろうか?
寝てから考えよう!
はい、また、先延ばし。
今日も俺にしては良くやったと思う。
なんか、呼吸できてるし。
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