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小林秀雄論ーその批評と生涯ー

小林秀雄論ーその批評と生涯ー

小林秀雄は、東大文学部を卒業している。学生時代は、様々な作家との交流があった。後に、奈良に住み、志賀直哉家に出入りしたこと、その後、文學界の編集責任者になったこと、1938年に明治大学文芸科教授になった、など、紆余曲折を経ている。後は、精力的に作品を発表し、地位を築いて行く。

1951年 日本芸術院賞 第一次『小林秀雄全集』
1953年 読売文学賞 『ゴッホの手紙』
1958年 野間文芸賞 『近代絵画』
1963年 文化功労者
1967年 文化勲章
1978年 日本文学大賞 『本居宣長』

1983年、死去している。80歳まで生きた小林秀雄は、数々の賞を手にして、なお、素晴らしい作品を残し続けた。批評家、としての範疇を逸脱せずに、貫いたことは、何よりその態度に、魅せられるものがある。敗戦当時の小林秀雄の台詞で有名なものが有る。

僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。

座談会にて

ここからも、小林秀雄が、信念をもって、文学や国家と対峙していたことが分かるし、その姿勢に救われた人々の何と多いことか、という思いがある。

小林秀雄論ーその批評と生涯ー、として書いて来たが、恐らくは、小林秀雄は、非常に頑なな人だったのではないかと思う。晩年の『本居宣長』などは、執筆時期が、(1965年 - 1976年)という大作である。ここまで、小林秀雄論を論じて来たが、その批評と生涯というものは、批評家の確立をも担っていたから、闘争心というものも強く合ったに違いない。現代でも、日本と言う敗戦国の底を担って居るのは、

僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。

座談会にて

という台詞である。敗けたことは事実だが、反省する必要などない、当たり前の事を最も賢く言ったこの台詞を、我々は信用したい。日本を救済したのは、小林秀雄だからだ。これにて、小林秀雄論ーその批評と生涯ー、を終えようと思う。

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