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小林秀雄論ーゴッホについて、対話集からー

小林秀雄論ーゴッホについて、対話集からー

講談社文芸文庫から発売されている、『小林秀雄 対話集』という文庫本がある。昔、気になって買って、現在でも時折、読んでいるが、小林秀雄の口調などが文字化されていて、非常に興味深いのである。様々に論じたいが、大岡昇平との対話、『現代文学とは何か』から、抜粋してみる。

ここでは、「ゴッホについて」を、考察する。

大岡 ゴッホは、アタックが来るナと予感したから自殺したの?
小林 あの人は、もう終い頃には、三ヶ月か四ヶ月目にアタックが先ず大丈夫やって来ると知っていたのです。アタックが来たら自殺し損なうからな。まあ、その他原因めいたものがいろいろあるのだ。
大岡 自殺の成否は偶然なんですね。

『現代文学とは何か』/小林秀雄対話集

ここで言われていることの、重要性は、「自殺の成否は偶然なんですね。」という大岡の台詞である。小林秀雄に導かれて出た言葉だが、こう言った発想は、殊の外、驚かされる。即ち、アタックなるものによって、自殺し損なうという事に収斂されるが、アタックの意味も、よく分からない。小林秀雄に深い洞察があって、こういう会話になっているのか、適当tにはぐらかしたのか分からないが、高度な名台詞だと思う。ゴッホの自殺は、どういうものだったのか。

先程の続きを引用。

小林 ええ、そう、併し全く偶然な行為を自殺とは呼ばないな。難しいのはそこだ。この心理と行為との対決問題には、ドストエフスキイの大実験を要するんだ。「罪と罰」は純粋心理批判だよ。

『現代文学とは何か』/小林秀雄対話集

ここで、小林秀雄は、ゴッホとドストエフスキイを関連付ける。結句、自殺も他殺も、偶然の中に有る純粋心理批判だと言う。それによって、ゴッホが自殺したのだとしたら、やはり、小林秀雄の見解は、充分に正しいだろう。ということは、世間を見渡して、いわゆる現代における殺人事件や自殺なども、この、偶然の中に有る純粋心理批判、だと言えるのではないか。現代でも事件において、殺人犯の闇、などと称されるが、それは間違って居る。闇んなどというものでは心理は自殺や他殺には向かわない。純粋心理批判される対象が、自殺や他殺に向かうのだ。

この、「ゴッホについて」における、ゴッホの自殺は、小林秀雄の台詞における検証によって、既に明らかだし、現代の法律や裁判にまで、言及が届きそうだ。性善説や性悪説、現代人の心の闇、フロイト、こう言った問題では解決しないのである。小林秀雄に習うと、その通り、純粋心理批判される対象が、自殺や他殺に向かう、ということになる。こう言った観点からは、やはり日本の法制度をもっと見直すべきである。坪内逍遥は、『小説神髄』で、勧善懲悪の時代遅れと否定しているが、これは江戸時代に生じたものであろう。そして日本はいまだに、勧善懲悪の態度で物事を見定め、法を改正しようとはしないのだ。小林秀雄論ーゴッホについて、対話集からー、ということで、少し脱線している観は否めないが、この、小林秀雄が、既に言って居る、純粋心理批判される対象が、自殺や他殺に向かう、という話と、坪内逍遥の勧善懲悪の否定の、二つをもう一度解釈成せば、日本の法律も、うまく適切に変革できるだろう。これは、「ゴッホについて」から学んだ、小林秀雄の問題提起と解決論理であると思われる。

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