形而上学から、形而下学へ、転向の法則

形而上学から、形而下学へ、転向の法則

観念的な者というのは、知識のことであり、総括するとそれらは形而上学と成り得るが、身体的な者というのは、本能のことであり、総括すると形而下学と成り得る。

こういった、異なりは、言葉で言い表せば、そういった言葉が当て嵌まる、というだけであって、学者でなくとも、一般人でも、こういう、形而上学や形而下学のことは、感覚として保持している。

自分の事で言えば、やはり、形而上学での敗北から、形而下学での成功という、転向が最近顕著に自己に見られ、そういう法則でもって、世に出ようという気になったのである。

一つには、埴谷雄高と安部公房を、とことんやったこと。それによって、如何に、形而上学が学問であり現実ではないかを学んだのである。故に、形而下学に、活路を見い出そう、と思って居るのである。

小説家として生活するのではなく、生活のために小説を書く、くらいのオプティミストであろうという、精神の推移、つまり、形而上学から、形而下学へ、転向の法則、である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?