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「家康の謎・名古屋城本丸御殿の黒木書院」を観てきました。

名古屋城 西の丸御蔵城宝館の企画展(家康の謎・名古屋城本丸御殿の黒木書院)を見てきました。名古屋城の年パスを持っているので、展示が変わるのを楽しみにしては出掛けています。

城宝館入り口横からの大天守。冬枯れで見やすいです。

名古屋城の本丸御殿は、尾張藩主の住居+藩の政庁として1615年に完成しました。1634年に三代将軍家光の上洛途中、名古屋城に宿泊します。それに先立って増築されたのが、本丸御殿の中で最も絢爛豪華な上洛殿です。
黒木書院は上洛殿より奥向きの御殿で、二部屋のみの小さな建物、襖絵も水墨主体の地味な感じです。時々御湯殿御殿(将軍専用の浴室)と共に公開されていることがあり、私も数回入ったことがあります。
あと、実は(すすはらい)で黒木書院の松の柱を磨いたこともあります😅黒木、というのは他の御殿が柱にヒノキを使っているのに対し、黒木書院はマツを使っていて、年月を経るにつれ、柱が黒みを帯びてくるからなんだそうです(すすはらいで聞いたお話)

すすはらいしているワタシ。着込んでいきましたが、寒かった〜


実際入った時には(絢爛豪華な上洛殿から出て、足を崩して?ホッとリラックスする場所かな)というイメージが湧きました。
襖絵は乃木倉庫に避難していた為、全て残っていて、今回(入れ替えあり)展示されています。 

一之間東側の障壁画 瀟湘八景図 上洛殿の絢爛豪華さとのギャップがすごいです。

襖絵は画題も古様かつ伝統的だそうで(清洲城にあった家康の宿舎)の移築、っていう記録も残っているとのこと、それを踏まえて展示を見るととても楽しかったです。

義直が家光専用の上洛殿の最奥に(家光が心酔する家康の宿舎)を移築して作ったとしたら、最高のおもてなしも感じるし、ドヤって意気込みも感じてしまいます。
それに対する将軍家光の気持ちも嬉しいばっかりじゃないような気もするけど😅

将軍は上洛殿から菊之廊下を通って黒木書院に行ったと推測されている様です。

同じく清洲越しの伝えがある西北隅櫓についての展示も多く面白かったです。

西北隅櫓三層南側妻部破風鰭 昭和の解体修理時に劣化が目立ち再利用できなかったもの。力強い彫から当初のものとだ考えられているそうです。


前に書いた記事にも書きましたが、西北隅櫓はポジション的に外れにあるので、いつも黄昏ているように見えます。実は清洲城天守の移築とも言われている古い建物なので、見所の一つなんですけどね。

御深井丸側から見た西北隅櫓


で、最後は外堀越しから西北隅櫓を見て帰りました。堂々たる雄姿でした。(黄昏てる)なんて言ってごめんね‥

隅櫓にしてはやはり壮大で、元天守だったかも、と言われても頷けます。

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