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静岡県井平城、奥山城などに行ってきました。

春から静岡県西部に行くことが多くなりそうで、ついでに静岡のお城などを攻めています😁
井伊家の井伊谷城や三岳城、大平城へは去年行ったので、井伊家一門の井平城や奥山館、奥山城などに行ってみました。浜名湖の北東です。

井平城周辺史跡マップ

井平氏は、大河ドラマでの井伊直虎の祖父・直宗の母の実家かつ妻の実家(直虎が男性で今川から送り込まれた関口氏という説ならば違いますが😅)。
そして奥山氏は井伊直政の母の実家。井伊家は一門衆もたくさんいますが、井伊家の浮き沈みに伴ったりして一門衆も浮き沈みはあるようです。

井平城は本丸に民家があり、耕作地など改変されてそうではあるものの、城趾としても整備されています。

城趾碑や案内板が充実してます。


この日は曇天ということもあり、下段の竹林部分の曲輪にはイノシシ(ウリ坊数頭付き)、シカ数頭がタケノコを食べてました。シカは逃げて行ったけど、イノシシは半分無視してくれたので、そこは遠巻きに見学させてね😅女子一人なのがわかるのか、サルとかイノシシは腹が立つほど無視してきます。まぁ、絡まれるのはもっと嫌ですが。
学生時代ずっと神戸なので、イノシシは見慣れていましたが、久々に見ました。

イノシシ達がゴソゴソしていた井戸跡あたり。生き物は水のあるとこが好きだからね。


シカはタケノコの先っぽの芽?をペロっと食べるみたいで、食べ残しが残っているけど、イノシシはガッツリ掘り起こして食べるようでした。タケノコ、生で食べても美味しいのかな‥

井戸跡の向かいの曲輪。竪堀や横堀に囲まれてとても厳重。


主要部あたりの竪堀とされるとこだけど、城道か鹿垣みたいです。


井平城東側の丘。地元のおじさんがこの辺りも砦だったと教えてくれて登ってみる。

奥山城は山城へは立ち入り禁止(崖崩れ?)で山麓の方広寺(奥山氏建立)までしか行けません。けど、方広寺の新緑のコケが雨上がりの曇天で美しかったです。岩も面白くて飽きませんでした。

方広寺山門。ゴツゴツの岩にツヤツヤの苔がキレイです。

方広寺は1371年、奥山朝藤の開基により、後醍醐天皇の皇子無文元選を開山として創建された寺です。

三重塔から見た本堂。右手の山中に奥山城があるそうですが、立ち入り禁止。


この寺に祀られる半僧坊権現は開山の無文が中国の元から帰国する際、悪天候の中、無文の乗った船を守護したとされる神なんだそうです。

半僧坊権現。すごい龍の彫刻もあります。

奥山館跡はミカン畑になっており、丘が残っているだけでした。

すっかりみかん畑になっています。


奥山城も館もお城の遺構はほとんど見れなかったので、さらに山奥だけど後日高根城に行ってみようと思います☺️

今回攻城していると(愛知県新城まで〇〇キロ)などの表示があり
(あぁ、井伊領って三河国境なんやな)っていうのをすごく感じました。
戦国時代、井伊家は今川家に徳川への寝返りを疑われがちで、男子が次々に暗殺されたり、戦の前線に出されて戦死させられたりするのが理解できる気がしました。

大河ドラマ(女城主直虎)のおかげで色々研究が進み、先ほど少し触れましたが
(直虎は女城主でなくて、今川家から送り込まれた関口氏の一族の男子)
という説があるみたいです。
なんやかんやで直虎≠次郎法師説、直虎=次郎法師=女子説、直虎=次郎法師=男子説があり、まだ定まっていない様子。
彦根初代藩主で徳川四天王な井伊直政が、井伊家の庶流であるイメージを払拭するため、主流な直虎が養育するようなストーリーにして、女城主みたいになっちゃったとも。
でも大河ドラマ観てた私にとっては、(直虎=おかっぱの柴咲コウさん)って感じに定まってしまって、なかなか脳内を上書きしにくいです
奥平館からの帰りにマップを見ていると
(伝次郎法師の祠)
とあり、寄って見ました。ほんとに小さい祠が斜面にちょこんとあります。案内板もなかったです。とても小さい祠で(次郎法師さんはやっぱり女性なのかな‥お邪魔しました‥)とお辞儀してきました。

伝次郎法師の祠

それにしても、井伊氏はその井戸から生まれた始まりや、後醍醐天皇の孫の外祖父の家系になった事、直虎?次郎法師?の存在や、直政が四天王になった事など、戦国時代まではファンタジーな感じもあり面白いですね。
秋には龍潭寺に行きたいです。

帰りに見かけた、フジが絡みついたヤマナシ?かな?なんかとても美しく印象的でした。

今日1番ハートを掴まれた光景💦


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