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惨めなDIRTY YOUNG MAN【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~⑤】

大学を卒業し、就職した僕は、愛知県一宮市にいた。結論からいうと、その生活は3か月も続かず、僕は退職して神戸に帰って来ることになる。当時は「すぐに会社を辞める若者」みたいな特集がメディアでよく組まれていて、自分が学生だった頃はそんなのを見ながらディスってたりしていたのだけれど、そのときはまさか自分がそうなるだなんて思いもしなかった。

就職活動して、就職先に選んだのは「キーエンス」という会社。高収入がウリで、まさに自分はそれに釣られて入社を決めた。だけど、すべてが早々に無理だった。もちろん、落ち着いて振り返れば、自分が未熟だったと認められる部分もある。でも、辞める直前はそんなふうにも考えられず、自分の頑固さに若者特有の勢いが相まって、辞める以外の選択肢はなかった。

辞めてしばらくすると、襲ってきたのは自己嫌悪感。自分が情けなく、ネットカフェで転職サイトを見るのが惨めでしょうがなかった。気持ちが切り替わったのは、ふとした瞬間だった。「せっかく辞めたのだから、好きなことを仕事しよう」。大学卒業間近、mixiのおかげで文章を書くのが急に好きになっていた僕は、運良く未経験募集のライターの求人に巡り合え、再出発を切ることができた。

新しい会社に入社した月に発売されたのが『DIRTY OLD MAN ~さらば夏よ~』だった。サザンの新曲リリースは、どんなときも僕をワクワクさせてくれる。そのときも、例外なくそうだった。

「DIRTY OLD MAN」というタイトルだけあって、歌詞は中年を揶揄したもの。けれど、20代前半、社会人になったばかりの僕の心にも沁みた。思い起こせば、小学生の頃から『祭りのあと』の歌詞にグッと来るなど、哀愁というものに惹かれることが多かった。若年寄というか、今風に言えば「人生2回目か3回目あたり」といったことかもしれない。

『人生 大逆転へ』『うな垂れちゃ駄目さ』。登場するフレーズに、DIRTY OLD MANならぬDIRTY YOUNG MANは大いに励まされ、勇気づけられた。

その後、何社か転職し、2015年10月に独立開業した。9年ほどの間、僕なりにいろいろあって感情の浮き沈みも当然あったけれど、ようやく少し前から自分の過去の決断や選択をしなやかに肯定できるようになってきた手応えがある。

あのときに辞めてライターの道に進んだからこそ、このエッセイを書いているだろうし、小説も書いただろうし、出会えた人たちがたくさんいる。結婚した妻とも転職先で知り合ったから、当たり前に今そばにいてくれる家族も、あのときに辞めていなかったら出会えていない。

『DIRTY OLD MAN ~さらば夏よ~』を歌っていた桑田さんと比べても、今の僕は10歳くらい若い。まだまだ老け込むつもりはないけど、『「いい人だね」と皆に言わせて無邪気に道化を演じてる』そんな粋なおじさんになれたらいいなと願う今日この頃なのである。

(つづく)

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