記事一覧
90年代の楽曲に乗って、あの頃へ
90年代。
あなたにとって、それはどんな時代でしたか?
1983年生まれの僕は、小学生から高校1年生までを過ごした時期。幼少期から思春期に入り、青春前夜とも呼べる頃までにわたる。
振り返ると、もう忘れてしまったことも多いけど、いくつかの記憶に紐づいて必ず思い出されるものがある。そう、音楽だ。思い出を呼び起こす装置としての音楽の性能は、写真と同じくらい有能だ。
おそらく母親の影響で、僕は音楽
音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~
茅ヶ崎に向かって(プロローグ)新神戸から新幹線に乗って、新横浜へ。そこから在来線に乗り換えた。辻堂を出発する頃には、僕のテンションは最高潮に達していた。
茅ヶ崎で、サザンに逢える。思い返せば2000年、高校2年生だった頃、サザンオールスターズは初の茅ヶ崎ライブを敢行した。小学生のときからサザンが大好きだったけど、当時の僕は“サザンライブ童貞”。仲良かったクラスメイトのシュンが貸してくれた、茅ヶ
Relayずっと続いていく【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~エピローグ】
2023年、45周年を迎え、茅ヶ崎ライブの開催を控えていたサザンオールスターズは、3つの新曲をリリースした。『盆ギリ恋歌』『歌えニッポンの空』、そして『Relay〜杜の詩』である。この中で、茅ヶ崎ライブのセットリストから外れた楽曲がある。それが『Relay〜杜の詩』だ。
後に発売された『茅ヶ崎ライブ2023』の完全生産限定盤に付属されている『DOCUMENTARY FILM「茅ヶ崎ライブのすべて
栄光の男にゃなれない心を壊した男【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~⑧】
地下鉄のホームで、僕は何度も何度も電車を見送った。椅子に座ったまま、どうしても腰が上がらない。その日は会社に戻ることができず、事情を説明して、自宅に帰った。
2013年、僕は心を壊してしまった。いわゆる、鬱ってやつだ。そのときのことを思い出しながら文章を書いているが、覚えていることはあまり多くない。忘れてしまったのか、どこかに閉まっているのか、わからないけれど、ぽっかりと抜けて落ちている部分が大
10年経った青春の終わりに【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~⑦】
ここで、時を戻そう。2000年夏、高校2年生だった僕は、友だちと淡路島にキャンプに来ていた。保護者や先生がいない旅行は、このときが初めて。バスに乗って明石海峡大橋を渡り、淡路島のコテージに泊まった。バーベキューをしたり、夜通し喋ったり、男だけのキャンプは、とても楽しかった。
その帰り道、ウッズと呼ばれる男が、メールでこんな提案をした。
『10年後、同じ場所でキャンプしよう』
それから10年が
YOU ARE MY SINGER【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~⑥】
2008年5月、僕は絶望していた。
『サザンオールスターズ、今年の活動をもって無期限の活動休止』
列島中を駆け巡った報道は、ついでに立ち寄った僕の心を直撃し、切り裂いた。今なら「そんな大げさな」と笑い飛ばすこともできる。しかし当時は、このまま事実上の解散になるのではないかという不安が消えることはなく、日々増幅するばかりだった。
僕は社会人3年目を迎え、ライターという仕事に少しずつ慣れてきた頃
惨めなDIRTY YOUNG MAN【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~⑤】
大学を卒業し、就職した僕は、愛知県一宮市にいた。結論からいうと、その生活は3か月も続かず、僕は退職して神戸に帰って来ることになる。当時は「すぐに会社を辞める若者」みたいな特集がメディアでよく組まれていて、自分が学生だった頃はそんなのを見ながらディスってたりしていたのだけれど、そのときはまさか自分がそうなるだなんて思いもしなかった。
就職活動して、就職先に選んだのは「キーエンス」という会社。高収入
ビッグスターに歓喜【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~④】
2005年12月、ついにこの日がやって来た。当時は大阪ドームと呼ばれていた現・京セラドーム大阪で、初めてサザンのライブへ。まだ僕はファンクラブ「サザンオールスターズ応援団」に入会しておらず、友だちのシゲが何とかチケットをゲットしてくれた。
もうひとりの友だち・ワタリとその女友だち、シゲ、僕の4人で大正駅からドームに向かう。その道中から高揚していたし、何ならライブの数週間前からソワソワしていた。
古ぼけたMDに想い出を閉じ込めて【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~③】
2003年夏、ひとつの夢がかなった。その夢とは、サザンを聴きながら運転して海までドライブするというものだ。
サザンといえば、夏。サザンといえば、海。というのは異論のないイメージだろう。サザンほど夏や海が似合うバンドは、TUBEの他にサザン以外にない。子どもの頃からずっと、サザンを聴きながら自分で運転して、海岸線をドライブするのが夢だった。
その年の3月に自動車免許を取得した僕は、親の車で練習を
『TSUNAMI』が教えてくれたもの【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~②】
時は流れて、ミレニアム。高校1年生になっていた僕は、年が明けてチャンネルを合わせたサザンの年越しライブの中継で、あの名曲を初めて耳にした。布団に寝転がりながらテレビを見ていた僕は、凄まじい感動に包まれたのを覚えている。
今回の記事を書くにあたり、タイトルをどうするかとても悩んだ。当時、サザン史上最大のヒット曲が封印の憂き目に逢うなんて、誰が想像しただろう。ただ、僕にとっては間違いなく大切な一曲だ
エロティカの意味もわからずに【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~①】
『我はエロティカ・セブン』
このフレーズを聴いた僕の頭には、ファイブマン的な戦隊もののヒーローが浮かんでいた。エロティカの意味もわからずに。
僕がサザンを好きになったのは小学生のとき、テレビから流れてきた『エロティカ・セブン』がきっかけだった。僕の母親は大のテレビっ子で、特に歌番組やドラマが大好きだった。『エロティカ・セブン』はドラマ『悪魔のKISS』の主題歌として大ヒットしたが、当時の僕がそ
茅ヶ崎に向かって【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~プロローグ】
新神戸から新幹線に乗って、新横浜へ。そこから在来線に乗り換えた。そして、辻堂を出発する頃には、僕のテンションは最高潮に達していた。
初めて、茅ヶ崎でサザンに逢える。思い返せば2000年、高校2年生だった頃、サザンオールスターズは初の茅ヶ崎ライブを敢行した。小学生のときからサザンが大好きだったけど、当時の僕はサザンライブ童貞。仲良かったクラスメイトのシュンが貸してくれた、茅ヶ崎ライブを録画したビデ