塵箱

現実では研究職とかしながら、だいたい休日の1/4はテニスしてます。グミと音楽がちょっと…

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現実では研究職とかしながら、だいたい休日の1/4はテニスしてます。グミと音楽がちょっと好きです。

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2023年 空

    • 春も薄れて

      春が春らしさを徐々に失い、心は少しずつ落ち着きを取り戻してきた。けれど気がついてみればそこは、やはりただの空虚だった。 もう春の夜を思い出すこともない心では、週末の予定も、毎晩の夢も、憂鬱すらも、自分で思い描くことができなくなった。 ただ、外界からの刺激に反応するだけの死体となっている。死体は動かないか。まあいいや。 そろそろマズいかもしれない、とぼんやりと思う。 最近、交友範囲を徐々に狭めてきた。誰かの言動の一つ一つに、一喜一憂したくはなかったから。心が狭くなったのか、「

      • 最近夢を見なくなった、というより、夢の中で希望的なものを思い描けなくなったね。

        • ふと気がつくと、書いたものをいつも読んでくれていた人がnoteから消えてしまっていて、取り戻しようの無い空白が自分の中に生まれた感じがした。けれど、いや、どうかどこかで元気にやっていらっしゃると良いな。

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        2023年 空

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        • 春も薄れて

        • 最近夢を見なくなった、というより、夢の中で希望的なものを思い描けなくなったね。

        • ふと気がつくと、書いたものをいつも読んでくれていた人がnoteから消えてしまっていて、取り戻しようの無い空白が自分の中に生まれた感じがした。けれど、いや、どうかどこかで元気にやっていらっしゃると良いな。

          4月も終わる。春の春らしさは少しずつ和らいで、頭も落ち着いてきた。

          4月も終わる。春の春らしさは少しずつ和らいで、頭も落ち着いてきた。

          路地裏

          最近、もう全部諦めても良いだろうか、と思える理由を探して積み重ねているような感じがする。 梅雨を先取りしたような日だった。日が出れば暑く、曇り空で日焼けした肌は今もまだ熱を帯びている。 午後は門前仲町まで足を延ばした。大通りは混み合って雑多な印象だったけれど、一つ裏道に入れば、小さくて静かな街が広がっていて好感を持たせた。小さな個人店が並ぶ裏道の景色に、いつかの北千住を思い起こして少し心がきゅっとした。 富岡八幡宮の辺りまで出れば、門前町は商店と出店で賑わって楽しげだった。

          雑記:外出(都内)

          駅前。 まだオープンしてもいないカフェのテーブルに、何故か食器だけが整然と並べられていた。まるで虚構の世界のようで、終わってしまった世界のようだった。 電車に揺られながら、学部時代、「木材と人間」という講義があったことを思い出していた。 「例年、秀を取れるのは受講者の10%程度」と説明のあった講義で、秀を取れたことを少しだけ自慢げに思っている。同時に、どうして高い評価を取れたのか、少し不思議だ。 「木材の有効活用」についての最終レポートで評価のほとんどが決まるのだが、自分は

          雑記:外出(都内)

          散文(春)

          3月の初めから続いていたアパートの外壁工事は、ようやくひと段落した。防風ネットが取り払われ、久しぶりに外の景色が見えるようになったが、何の変哲もない、いつもの景色だった。当たり前である。 これが終わればきっと、といつも何かに期待する。この春が終われば、この仕事が終われば、コロナ禍が終われば。実際、何かが明けたところで待っているものなどなくて、そこはただの空白だった。これがずっと待ち望んできた景色だというのか。いつも、自分で自分を落胆させる。そんなことを繰り返しながらも、生き

          散文(春)

          人が自然に巡り合うものなら、私が誰とも巡り合わないのも、また自然なのでしょうね。

          人が自然に巡り合うものなら、私が誰とも巡り合わないのも、また自然なのでしょうね。

          狂わずに生きてゆくのが難しい

          狂わずに生きてゆくのが難しい

          少し早い、あるいはもう戻らない

          春も深まってきたので、言うまでもなく狂っている。今日は夏日を記録した場所もあったらしい。春って、夏ってなんだったっけ。 「もう少し生きても良いか、みたいな猶予を重ねていくのが人生かもしれない」 などと他人には偉そうに言っておきながら、その実、自らに許してやれる猶予は年々少なくなってきている。 日々、もう二度と戻らないものが手から零れ落ちてゆくような感覚がある。それは記憶であり思い出であり、過去であり若さかもしれない。生き延びるために少しずつ、頭から削ぎ落として来た記憶は、

          少し早い、あるいはもう戻らない

          東京に住みたい、というか、一度で良いから観光客ではなくそこに住むものとして東京を見つめてみたい、という欲求がある

          東京に住みたい、というか、一度で良いから観光客ではなくそこに住むものとして東京を見つめてみたい、という欲求がある

          午睡

          春の昼。 架空の横浜駅を、大きな大きな懐かしさに包まれながら観光する夢を見た。 ただ街の構造的には、横浜駅というよりは「横浜駅並に発展した天王町駅」の方が近かった気がする。 夜の橋から目えた、暗がりの向こうでただネオンだけが明滅する景色が綺麗で、友人と写真を撮っていた。 何より夢の中の自分には、春に侵されて重くなった頭を引きずるような感覚が無く、身体は軽く、心地良かった。 夢の中の横浜駅は、帰る時に途方に暮れるほど遠かったが、そういえば昨年の6月、横浜まで足を延ばした時は

          更地にしたかった

          風呂に入ろうとしてシャツを脱いだ時に初めて、今日一日、ヒートテックを裏返しに着ていたことに気づいた。人生、だいたいそんな感じ。 もうすぐヒートテックを着るような季節でもなくなる。今年は暑いらしい。暑い夏は好きだが、暑い春には価値を感じない。 小さな白い茶碗を割った。 シンクと冷蔵庫の間の謎の隙間に、何かが吸い込まれていったかと思うと、嫌な音がした。彼(あるいは彼女)は大学時代、一人暮らしを始めた頃から使っていた食器の一つだが、ちょっと小さいので、最近は専ら汁物にしか使ってい

          更地にしたかった

          死ねないから生きているに過ぎない。そう書くと、まるで不死身の怪物のようだけれど。

          死ねないから生きているに過ぎない。そう書くと、まるで不死身の怪物のようだけれど。

          春、日曜日。

          3月くらいから、住んでいるアパートでは外壁塗装工事をしている。二週間くらい前から、とうとう窓が空けられなくなった。 頭はすっかり春に置換されてしまったが、外の空気を取り込めないこの部屋には、まだ、冬の空気が残っている。そう信じている。 いつもの日曜日であれば、昼過ぎに家を出ては駅前で食事をとる。なんとなく習慣になっている。オフモードの時は、馴染みのない店に一人で入るのが苦手なので、大抵、いつもの蕎麦屋か、駅ビルの中のラーメン屋に入るのだが。元はと言えば、翌日に迫る憂鬱を吹き

          春、日曜日。