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インド滞在記①早朝のチャイ屋で働く少年は、「かわいそう」?

2023/12/17-12/23、10年ごしの思いで初インドに行ってきた。そのとき感じたことを、ちょっとだけ言語化してみようと思う。

写真の少年は、ヴァラナシのチャイ屋さんで働く、すごく控えめだけど人懐っこい男の子。
彼の作るミルクパンは、とてもおいしい。

あつあつのパンに、ふわふわしたミルクの上澄みのクリームに、たまにジャリっとザラメが甘い。
ひとつ多分20円ぐらい。

訪れたのは、朝8時ごろ。
彼は、学校に行けてるのだろうか…

大学1年生…「国際協力」が息苦しくなった頃、インドに出会った

私がインドに出会ったのは、大学1年生の時だった。インドの「光の教室」というNGOで活動している学生たちと話すようになったのがきっかけだ。

当時、ちょっぴり意識高い系の学生の中で「国際協力」は、流行りだったと思う。私たちの世代は、物心ついた小学生の頃にアメリカの同時多発テロをニュースで見て、中学生の国語の教科書では「世界中でハンバーガーが食べられる」やら「バナナやエビが大量輸入されている」という論説文を読み、なんとなく「グローバル市民」としての意識が植え付けられた世代だと思う。

そういえば、私の小学校では、国境なき医師団の医者がなぜか滋賀のヤンキー多めの田舎までやってきて講演し、それに感銘を受けた私は、将来国境なき医師団で働きたい、とけっこう真剣に思っていた苦笑

なにはともあれ、大学1年生になった私は、学生が海外でインターンやボランティアをするのを斡旋する学生団体に所属した。担当部門は「国際協力」。フィリピンやカンボジア、アフリカ圏のNGOに、教育支援を行う学生を長期休みに派遣する。

「世界をよくする、社会をよくする」「貧しい子どもたちの力になりたい」と思って学生団体に入ったものの、そもそも、私は日本において相対的貧困だった。入学金も授業料も免除、奨学金を2つかけもち、ウサギ小屋のような小さな寮で生活し、バイトは食費と交通費がうくため、生協の学食でバイト。スノボーとか車校とか遠い話で、飲み会代3000円もきつかった。
途上国の「かわいそうな」子どもたちの生活を変えたい、とか意気込んでいるくせに、自分の生活は苦しいし、無理していった飲み会では飲み放題食べ放題で、大量の食品ロスを生み出している現状に嫌気がさした。

「このお金で、いったい何人の子どもを救えるのだろう…」
「私たちが残したものを食べれず、お腹をすかしている子がいるのに…」
「私なにしてんだっけ…」
3ヶ月もたたないうちに、「国際協力」とか言っている自分が苦しくなって、同期30人ぐらいいるなかで一番はじめにやめた。

その後もなんだかんだで、関西の国際協力界隈のサークルや団体の人とつながりはあって、インドの「光の教室」で活動する人に出会った。「光の教室」とは、スラムに暮らす子どもたちに、音楽活動を通じた教育支援を行うというもの。
https://indiamylover.com/2018/05/27/slumchildren/
(この記事を書いている、まよちゃん、今やインド界隈で大人気!同い年で、当時からインド大好きな感じだったけど、インド向けYoutubeは登録者数300万人。会社やめて、インドの仕事にしているなんて、ほんとすごい。https://www.instagram.com/mayojapan

結局、私はこのスタディツアーに行くチャンスはなかったけど、ここに出入りする人たちが多分素敵だったんだろうな。折しも、はじめてのボリウッドにもはまった。

母も大学中退後の世界放浪記にいったというインド。行ってみたいけど、お金はないし、危なそうだし、女の子なら余計…そんな国のまま月日はすぎていった。

大学3年生…「かわいそう」ってなんだろう?

しばらく「国際協力」とは一線を画していたが、大学2年生でフィジーを訪れる機会があり、その流れでもう一度「国際協力」というものを考えてみたくなって、大学3年生で国際協力ゼミにもぐりこんでみた。
もぐったゼミは、社会学を専門として、コミュニテイ支援や現地によるエンパワーに重きをおき、○ICAをアンチ気味で捉えていた。
大学3年生の秋にフィリピンへフィールドワークに赴き、都市部と農村部のスラムの子どもたちの教育費支援政策のヒアリング調査を行い、ホームステイもさせてもらった。

特に農村部に行った時に、なんともいえない気持ちになった。確かにお金はない。貧しい生活をしている。でも、じゃあ、「かわいそう」なのかというと、全然そんなふうには見えなかった。自分の兄弟や、友達、家族に囲まれて、彼女なりに全力で生き生きと生きていた。外から来た人間が、なにを、無責任に言えるのだろうか、そう強く思った。

現在…なにが正解か?

今回のインド旅では、ストリートチルドレンに何度も出会った。信号待ちをしていると、ある子どもは歌や踊りを踊って、ある子どもは車の窓をコツコツと叩いてアピールしてくる。町で立ち止まっていると、ごはんがないと寄ってくる。
「彼らにたとえお金を渡しても、彼らが手にするお金はほんのわずかであり、仮に渡っても、それで1日の飢えをしのぐことを覚えてしまってはなんの解決にもならない、なんならそれで成り立ってしまえる社会もどうなんだ」と自分に言い聞かせ、「絶対に、彼らを目を合わせまい、合わせてしまったら、同情心をもってしまったら、終わりだ、そんなんだったら寄付したほうが確実」と、そんな風に思っていた。

インド旅の終盤、タクシーを待って道端でたむろしているときに、6歳ぐらいのボロボロの服を着た男の子がやってきた。おかながすいているから、お金がほしいらしい。私は、いつもと同じように目をそらして、首をふっていると…
地元の中学1年生ぐらいの制服を着た少年が、その子にビスケットのすっとお菓子を渡した。男の子はさっとその場を去っていった。

あの少年は一体どんな気持ちだったんだろうか。
あの子どもはビスケットをどんな思いで受け取ったのだろうか。
私はどうすればよかったのか、正解はまだあんまりわかってない。

お菓子ひとつさえ渡せず、どう向き合うべきか分からず、解をもっていないと、言い逃れをしてしまう自分はなんなのか。

冒頭のチャイ屋さんの少年は、ストリートチルドレンではないけど、多分学校に行けてない。ものすごく若いけど、仕事を朝から頑張って、美味しいものを生み出している。
少年なりに、今の環境で、今を生きているのだ。私は、なにをどうすることがいいのか分からぬまま、20円のおいしいミルクパンを、その土地の適正価格で、ただおいしく食べた。

10年ぶりに「国際協力とはなにか」、少し突きつけられた気がした。

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