死んでしまえばすべて終わり

 若い頃に職場で上司のパワハラにあい鬱病を発症したことのある同僚の口癖は「死んでしまえばすべて終わり」であった。四十代を迎えてそこそこの能力はあるものの昇格に結びつかなかったのは何事に対しても極端な物言いと妙に割り切った仕事ぶりのせいもあったのだろうが、過去の病歴が大きな障害になっていたことはやはり否めない。

 なにか特別な宗教でもない限り、死が決定的な断絶であることはそれなりに常識的なことに属しているといえるのだろう。キリスト教徒であれ仏教徒であれある種の比喩でも使わない限り死者を生者と同列に扱うことはやはり難しいことだろう。哲学でもまた「死後の霊魂の有無の問題が封印されることで、死後を問うこと自体が・・排除されてきた」(末木文美士『死者と菩薩の倫理学』、p.83)。生者の心理を表現する比喩でもない、ましてやオカルトでもない「死者」は果たして存在しうるのだろうか、どのように語りうるのだろうか。

 70年前の大戦時、当時の知的エリートの頂点にいたといっても過言でない哲学者田邊元は自分が積極的に鼓舞して戦場へ送り出した若者達のほとんど無益といえる夥しい死を前にして自らに問う、「死んだらすべて終わりなのか」と。そして最晩年の思想で次のように言うことになる。

自己のかくあらんことを生前に希って居た死者の、生者にとってその死後にまで新にせられる[死んだからといってその気持ちはもう存在しないとは決して言えない]が、死者に対する生者の愛を媒介にして[それを回顧する人間が存在する限り]絶えずはたらき、愛の交互的なる実存協同として、死復活を行ぜしめるのである。」(田辺元『死の哲学 田辺元哲学選Ⅳ』藤原正勝編、岩波文庫2010年、p.203)

 釈迦の死から数百年を経て起こった大乗仏教がいう仏とは、すべての衆生を救済しない限り仏となることはないと宣言する菩薩である。この大乗の教え自体は、悟りを得た釈尊が一人その境地を愉しみ、すみやかに涅槃に入ろうとするのを押し止めたという梵天勧請の仏伝をなぞったものといえるのであるが、もう少し一般化して考えてみれば「たとえそれが真実だとしても、それが分かったからと言ってそれがどうした」いうことなのである。都会の雑踏の中をブツブツと独り言をいいながら歩いてくる人間はやはりおかしいのであって、言葉は受け手がいなければどこか完結しない性質のものなのであろう。人間という存在の個に属すると思っているようなもののほとんどが、その個人の範囲内だけでは完結しない性質をもっていると言えるのではないかということである。他者がいなければ完結しない、「対」の関係であるといったことである。おそらく吉本隆明の『共同幻想論』の「対幻想」(それは性的なものによりすぎではあるが)も同じくくりということになろう。

 自分の生が他者の存在を前提としなければ全うしないこと、いかなる現実的な行為においてもそれがオカルトでない限り、直接的な影響力を行使しているとはいえない死者という姿で、それも程度の問題ではなく全面的に、私の今を支えているのだという他力の思想が大乗仏教の根幹の思想であった。

 法華経に現れる「かってわたし(釈尊)は、二億もの仏のみもとでお前(舎利弗)を教化し続けてきたのであり、お前とわたしの関係は突然生まれたものではなく、ただお前はそのことを忘れていただけだ」と、どこまでも執拗に生者に纏わり付つこうとする究極の他者である死者がそうであるように、生者に祟らないように靖国神社に祀ろうとも、「もうお前の声など聞こえない」のだと鬱の身振りで遠ざけようとしようとも、私にとっての他者たちは本来、「死んだら終わり」というわけにはいかない面倒な存在なのである。


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