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「感動して鳥肌が立つ」は生理現象の記述であって比喩表現ではない

響け! ユーフォニアム』シリーズの積ん読やアニメ・映画を見直して,感動のあまり鳥肌も涙も止まらなかった.

小説の考察を書きながら,なぜ感動して鳥肌が立つのか調べてみたら,どうやら全員に共通する反射ではないらしい.

半数ちかい人が感動しても鳥肌は立たないと言われても,それって感動してないだけなんじゃないの?と思ってしまう.

私の場合,音楽が良すぎたり,それに映像がついて音ハメになったり,小説を読みながら感動したり,あるいはその感動を頭の中で思い浮かべたりするだけでも,ジーンとくれば寒気がして鳥肌が立つ.
感動しなくても,鳥肌は立てようと思えば立てられるが,これも同じ原理でできる/できないが分かれるのだろうか?

私にとって「感動して鳥肌が立つ」とは生理現象の記述にすぎないので,それを慣用句とみなす人がいるとは思ってもみなかった.

感動で鳥肌が立たない人からすれば,鳥肌はネガティブな反応だ.
彼らにとって「感動して鳥肌が立つ」という表現は,たとえの形式をとらない比喩:隠喩(暗喩)である.
そのため,下記のように「寒さや恐怖で鳥肌が立つことから転じて,近年では感動表現としても使われるようになった」などという説明が生じるのだろう.

しかし,私にとって「感動して鳥肌が立つ」というのは事実をありのまま言語化しているだけなのだから,慣用句のレッテルを貼られること自体が心外だ.
「日本語の乱れ」だの「慣用句の誤用」だのという指摘はもとより,「近年の用法だ」という主張も的外れだと思う.

昔も今と同じように,感動したときに鳥肌が立つ人はいたはずだ.
「鳥肌がでた」「鳥肌になった」「鳥肌もの」など言葉のゆれはあっても,「鳥肌が立つ」という表現が成立した時点で,そこから感動したときの用途だけを除外したとは考えにくい.

よく「日本語の乱れ」について,言葉は生き物でつねに変化しているから,意図したことが正しく伝われば良いという主張を目にする.
しかし鳥肌の例からわかるように,日本語として正しかろうが,刺激に対する体の反応のしかたが人によって違うために意味が通じないこともある.
学校では習わない言葉のむずかしさを痛感する.

感動する動画で「鳥肌注意」とか「ポッポ肌」とかいうネットスラングを見たなら,それを書き込んだ人は本当に鳥肌が立ったのである.

本記事は,ユーフォの考察から横道に逸れたために独立させたものだ.
『響け! ユーフォニアム』シリーズは,原作の小説もアニメ・映画も非常に繊細につくりこまれた名作なので,ぜひ見て感想を共有してほしい.


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