ローストチキン

俺はローストチキンとフライドチキンが好きでない。

味はとても好きで、子供の頃は大好物だった。
なんでかと言うと昔こういうことがあったからだ。

俺の実家には領地内に親父が製図の仕事をしていた頃の事務所があり、製図を辞めてからも人に貸したり、倉庫として使ったり、俺のアジトになったりして活用されていた。

ある時、その事務所を親父は知人に住処として貸していた。
その知人は凄く変な夫婦二人で、夫は60代くらいのマッドサイエンティストの様な風貌で、よくヒヒヒと笑い、嫁はこれまたいつもうすら笑いを浮かべている30代のちょっと歳の離れた人だった。
自身が運営していた会社が倒産して身寄りもなく、過去に世話をした親父を頼ったらしい。
事務所は生活するギリギリの設備しかないようなスペースである。本当に全然身寄りが無かったのだろう。どうも会社がうまく行っている時、そうとうに横暴な振る舞いをしていて嫌われている様だ。

それこそ、うちの母親はこの夫婦が大嫌いだった。
寡黙な親父と違い、身体を壊す前はエキセントリックで直情的な母親はこの夫婦への恨みつらみを俺に話した。

何でも、昔困った時に金か何かの相談をこの夫婦に親父と母親がしにいった所、それはそれは横暴な態度でボロクソになじられたと言う。隣で嫁はニヤニヤしながらスーパーで買ったと思われる骨付きのローストチキンだかフライドチキンだかを食べていたと言う。
人が夫婦で頭下げに来てんのに、隣でチキン食うバカがいるか?

俺は話を聞くたびに心底頭に来て、母親の話のリアルで緻密な状況描写ゆえかその嫁がネチネチとチキンを食べ、脂のついた指を舐め回す醜悪な姿までもが浮かんでしまい、それ以降骨付きのチキンを食べるとその状況が思い浮かび変な気持ちになり、気持ち悪くなる様になった。
俺は母親がたまに買ってくる照り焼きチキンみたいなやつが大好物だったが、晩飯に出ても手をつけなくなり、察した母親もそのうち照り焼きチキンを買わなくなった。

そんなド悪党を平気で領地に住まわす親父にも頭に来たし、母親も早く追い出せ、と言っていたが親父は聞かなかった。
親父にしてもムカつく夫婦だったと思うが、一切悪口は言わなかった。
義理堅い親父からすれば、やはり恩は恩なのだろう。それを否定すれば自分自身も馬鹿にする事になるのだ。

それにしても狂った夫婦だった。
俺は音楽をやっているので、「狂っている」という表現が褒め言葉だったりするが、俺は親父に頼ってくる素の意味で狂ってしまった人々をたくさん見てきたので、ちょっと狂っている、の感覚が違う。
その夫婦は会社が倒産して散々色々あったせいで完全にパゲてしまっていた。
今まで顎で使っていた人達に嘲笑われ、底辺だと思っていたのであろう親父を頼って生活しているのだ、そりゃもう笑うしかないのだろう。
ずっと笑っていた。
おぼろげな記憶で、嫁はまだチキンを買っていた気がする。
その生活水準まで落ちてチキン買うとか、どんだけチキン好きなん?

しかし、俺が考えていたのは、案外2人が楽しそうだった事だ。
ダイニングベルトがイカれ倒して酷い音がするポンコツそのものの車でいつもどこかに出かけ、家でもずっとケタケタと笑い声が聞こえてきた。仕事をやっているのか、やってないのか、何も分からない。
一方で、その当時もすでに我が家は相対的貧困の家庭で、ずっと親父と母親は金の話。
全然楽しそうじゃない。
すると、どっちが本当に幸せなんだろうかと思ったし、今もよくわからない。

俺は意識しないと飯を不味そうに食うクセがあるが、この経験があるので、何となく飯をうまそうに食べると嫌な気持ちになるのである。

もうそれから何十年も経つし、フライドチキンは普通に食べる様になったが、ふとこの前「タンパク質全然とってねえな、よし、チキンとかを食うか」と、照り焼きチキンみたいな惣菜を買い、豪快にかぶりつき、何とも言えん気分になり、このことを思い出した。
しかしいい加減俺も大人なので、まあ、いいか、と照り焼きチキンをたいらげた。
そして相変わらず不味そうにパンを食いながら「うーむ、このもっちり感とシンプルな塩味、西洋文化と東洋文化が産んだ偉大なる産物よお」と思って歩いてたら、友達が笑顔で子供と一緒に歩いてきて、子供はめっちゃ可愛かった。
何を俺はパン食って顰めっ面してんだろうな、と思ってパンをカバンに直した。


そしてこれをチキンナゲットを食いながら書いている。
チキンナゲットは大好物である。




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