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劇映画『福田村事件』…152日目

 水曜なので、久々に映画を観る。『福田村事件』
 もとネタは、1923年関東大震災の5日後、9月6日に千葉県東葛飾郡福田村(現野田市)で起きたもので、福田村と隣の田中村の「自警団」らが、香川県から来ていた行商人集団を朝鮮人だと決めつけ虐殺した事件。行商団計男女15人のうち、男女9人(うち1人は妊婦)が殺された。
 そういう話自体に興味があり、監督が誰だったかキャストが誰だったかあやふやなままだったが、今更ながら知ったが、結構メジャーであった。
 まとまっていないが、今日のうちにだらだら書いておく。

監督は森達也、への流れ

 まず監督は森達也(67)。名前は知っている、が、ちゃんと見ていないことに気づく。だめだ自分。ドキュメンタリー系の人、オウム真理教のドキュメンタリー映画などを作ってきた。
 公式パンフ(1500円)やネット検索でまとめると、以下の流れ。
<流れ>
 1923年 福田村(・田中村)事件 
 1924年 被疑者7人の実刑確定(他1人は猶予刑)
 1927年 大正天皇死去に関する特赦で全員無罪放免
~(長い間、歴史の陰に埋もれる)~
 1983年 香川県歴史教育者協議会会長だった石井擁大氏(2022死去)が真相究明のため聞き取り開始
 2000年 香川で「真相調査会」、千葉で「心に刻む会」発足
 2003年 事件現場に犠牲者追悼慰霊碑が建立される(写真撮影不可)
 2003年 森達也が『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(晶文社、2008ちくま文庫)を出版、その中のエッセイで福田村事件に触れる
 2009年6月 森のエッセイを読んだフォークシンガーの中川五郎(74)が楽曲『1923年 福田村の虐殺』を作り、歌う
 2019年10月 井上淳一(58)(本作ではプロデューサー、脚本)と荒井晴彦(76)(本作では企画)が車中で『1923年 福田村の虐殺』を聞き、映画化を思いつく。井上監督案で、構想を進める
 2020年2月 荒井が森と会い、福田村事件の映画化について話す。森も構想を持っていたことがわかり、森監督で進めることに。
 2022年8~9月? 主な撮影期間
 2023年9月 公開

 「(いずれも故人の)大島(渚)、若松(孝二?)監督らの後の椅子が空いたままで気になっていた。これからこうした作品をもっと作っていくべき」と井上。

東出、ピエール瀧、水道橋博士……

 で、キャストが結構「目立つ」
 井浦新
 田中麗奈
 永山瑛太 今年6月、弟・永山絢斗が大麻で逮捕、猶予刑
 東出昌大 不倫・離婚 自ら森監督にアプローチ
 コムアイ 7月、ペルーのアマゾン熱帯雨林で出産
 松浦祐也 よく知らないようなどこかで観た顔、そうだ映画『岬の兄妹』
 ピエール瀧 2019年コカイン使用で逮捕、猶予刑
 水道橋博士 2022年7月参院選「れいわ新選組」の比例代表得票一位で初当選、11月鬱病(再発)で休職、2023年1月に議員辞職、同7月に仕事(芸能界?)復帰
 豊原功補 小泉今日子が不倫を公言した交際相手
 柄本明

 いや、別に不倫は家庭の事情。
 「目立つ」キャストを集めるのも、こうした「埋もれてしまう歴史」を発掘する映画なら、逆手にとってよいのかもしれぬ。

 ところで、注目の東出氏は(個人的感想)、肉体美の「間男」という、まさにぴったりの役どころ。顔が一段と濃くなり、小澤征悦を若くして磨きをかけたような?
 台詞回しは、短いものだと特に気にならなかったが、長いものになるとやはり「棒読みっぽい?!」的な感じが見受けられたように思う。

「〇〇なら殺していいのか」

 さて、観た感想。
 最初に福田村の人々の生活(戦死、間男、姦通etc.)を群像的に描き、その一方で、行商団が香川を出発する場面。ああ、この人たちは殺されに行くんだ、とビビる。派手な格好と口上で半年かけて薬を売り歩き、時に橋の下でハンセン病患者に薬を売りつけ、福田村に入る。
 この間「わしらみたいなモンはのう、もっと弱いモン(=ハンセン病患者)から銭とりあげんとの生きていけんのじゃが。悲しいのう」「わしらと朝鮮人、どっちが下なんな」などの台詞があり、朝鮮人問題だけでなく、被差別部落問題も含まれると知る。
 そして、船頭と行商頭の言い合いから自警団が押し寄せ、巡査が行商の鑑札を確認に行った間
 「(朝)鮮人だ!」「いや日本人だ」「言葉がおかしい」「鮮人に決まっとろうが」と、延々と続く不毛な言い合い
 「日本人だったらどうすんだよ! おめえら日本人殺すことになるんだぞ」
 この台詞が飛び交う中で、自分の頭に「朝鮮人だったら殺していいのか」という疑問が浮かぶ、次の瞬間、行商頭の瑛太が「鮮人だったら殺してええんか」「朝鮮人だったら殺してええんか」と。そして、虐殺開始。
 やはり、ここの群集心理、普通の村人たちが、殺戮者になっていくところの台詞のやりとり、がクライマックスだろう。映像の中でも、この「鮮人だ」「いや違う」のやりとりを聞いてて、なんだか頭がグルグル回った。
 公式パンフでも指摘されているように、殺戮者たちは、もはや朝鮮人でなくとも、所詮は行商人、香具師と見下げ、「自分たちより下位のもの」なら虐げてもいいという雰囲気になっていたように感じた。

得体の知れない恐怖、は感じられず

 ただ、自分に感触がわからなかったのは「得体の知れない、あまりよく知らないものが身近にいて、もしかしたら襲ってくるかもしれない恐怖」だ。
 そうした不安にとりつかれたら、他害に走る可能性は自分にはないだろうか?
 恐怖を観客に感じさせるのはホラー映画ならお手の物だろうが、ジャンルが違うし、そこまで尺はとれないので、難しかったか。
 といって「他人を信じましょう」だけでは簡単に片付かない話の気がする。うーむ。
 でも全体に、丁寧に作ってはいた。

史実との違い

 そもそも、史実をもとにしたフィクションである。そこ大事。
 映画はやはりエンタメなので、上に上げた有名俳優のほとんどは、たとえ福田村民であっても「虐殺を止めさせよう」とする側に回った。私が顔のわかる俳優で(狭い範囲ですまん)、積極的に虐殺を進めたのは、水道橋博士のみである。
 森監督は「福田村の人々」を丹念に描いたが、積極虐殺派はほぼ主要役者ではない。観客の共感を得やすくするためか。そこは引いてみよう。

 また、パンフの中で、結構厳しめのコメントもある。
 「一番心配しているのは、この映画がそのまま史実の定説になっていくこと」(市川正廣・福田村事件追悼慰霊碑保存会代表)。
 行商人が怪しげに描かれ過ぎている、流浪のハンセン病患者はあの時に本当に存在したか、水平社宣言はあの時に行商団に伝わっていたか、複合差別の背景がきちんと理解されるか、現場周辺への冷たい目(その時代、日本はどこもそうだった)などなど、いろいろある模様。

 とはいえ、とはいえ、だ。自分も映画が公開される前にいろいろ話が出て初めて知った福田村事件。知られることは、やはり大事なのだ。勿論、偏見や差別はいけないとしたうえで。

 皆さまのご健康を。 


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