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「聞く」を取り戻せた感覚です


先日、まさにこの本に書いてあることを実感しました。


対人援助職は「聞く」よりも「聴く」を重視するところがあると思いますが、
日常の人の「聞く」という行為も奥深いと言いますが、十分にできていないことが多い。
 

職員の何気ない会話、家族の会話。
日常の会話ですが、聞いているようで聞いていない。
伝えたのに伝わっていない、覚えられていないという経験ってありますよね。
 
 
そんなのを繰り返されると、自分自身も「聞く」余裕がなくなってきます
話しているけれど、聞いてくれないって本当に孤独だと思います。
 
 
先日、尊敬する社会福祉士の方と研修やご飯をご一緒させていただく機会がありました。

 
「聞く」と「聴く」のグラデーションはあるとは思いますが、この方はどちらも素晴らしい方。
 

私は猫様が亡くなってから、人と話すのが面倒臭くなっています。
それは何度も書くように気持ちへの応答よりも、「長生きしたじゃないですか」みたいな何も寄り添わない解答を言われることに疲れたところが大きい。
 

それから自分が人の話を聞く(私の場合は「見る」も含まれるかも)ことが十分にできていないなと実感していました。
もうそれすらどうでも良いと思える、くらいに。
 

ただ、その方は聞いてくれました。 
まともに話すのは7年振りくらいかと思います。
カウンセリングや相談援助ではありませんので、まさに「聞く」という言葉が相応しい。
 
今、気持ちに凄く余裕があります。
いつまで続くかわかりませんが、私・・・人の話・・・聞けます(笑)。
 

上記、東畑氏の書籍にある

「『聞く』は『聞いてもらう』に支えられています。」

という言葉を本当に実感しています(p20)。
 

何気ない日常の「聞く」、「聞いてもらう」ことを丁寧にしていくと、もっと世の中良くなるかもしれないなと、大きな話ですが思いました。
学生さんの話を聞くことから始めてみます。
 
本日は以上です。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました☆




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