『不必要な医療と介護』をなくしたい。
ハイサイ。
最近の趣味はプランター栽培な、五木田穣です。
先日は、じゃがいもを植えました♪
無事に育ってくれるか楽しみです😁
さて、6年前にこんなこと書いていました。
リアルに医療費が半額になったという話です。
改めて、個人的に思うことを書いておきます。
不必要な医療と介護が多すぎる。
病院なんか、行かなくていい。
介護なんて、受けなくていい。
本来、必要がない。本来、存在しない。
予防さえしっかりしておけば、医療も介護もいらない。
医療と介護というものがあるから、受ければいいやという思考になる。
他力本願になる。依存的になる。自立できなくなる。
そもそも、医療と介護というものがなければ、
自分でどうにかしなければいけないとなり、
予防しておこうという思考になるはず。
アメリカでは保険がきかないので、
自分の身は自分で守るという発想から、
ジムに通う人が多いというのも良く聴く話ですよね。
そういう文化だから、銃も持つんだろうし、
自分の自由というものを守るために、
人権意識が高く、戦う人が多いんだと思います。
医療は、本当に必要なのか?
医療従事者も、介護従事者も、
困ってる人の役に立ちたいという信念から、
その職業を選び、携わることになった方が多いと思います。
でも、かえって医療というものが、病気を生み出し、
医療を受けることで悪化してるとは思っていないでしょう。
でも、かえって介護というものが、
さらに介護が必要な人を増やしているとは思っていないでしょう。
そこに気がついてしまった時には、転職という形になるのでしょうね。
そういう方々が、私の周りにもちょくちょくいらっしゃいます。
気がついていない方は、ここまで読んだ時点でイライラしているでしょう。
何を言ってるんだと。怒りが込み上げてきているかもしれません。
でも、これは残念ながら事実です。
結局、今の医療は、対症療法でしかないからです。
症状を消すことばかりで、
根本的な問題・原因に目を向けないから、
本質的に治らない。
むしろ、問題をややこしくてして、悪化させている。
そもそも、「治す」という発想が烏滸がましくて、
治すのは、自分自身です。自分の免疫です。
風邪を引いたら、熱が出ます。それは、免疫が働いているからです。
そこで、解熱剤を投与してどうするんですか?
なんで、わざわざ免疫が働けなくするんですか?
高血圧になったら、なぜ降圧剤を処方するんですか?
なぜ、血圧が高くなっているんですか?その原因は何ですか?
それを考えずして、
とりあえず下げておけばいいって短絡的すぎではないですか?
年をとると細胞の数が減っていくので、
硬化することで、血管を守ろうとします。
硬くなった血管で、全身に血を送るには、
それまで以上の圧が必要になり、必然的に血圧は上がるわけです。
むしろ、血流が悪くなるほうが、人体に悪影響を及ぼすので、
血圧が低い方がむしろ不健康です。
つまり、「高血圧=病気」ではない。
にも関わらず、高血圧は病気だと洗脳され、
降圧剤を飲まされ、血圧を下げられる。
血圧が下がることで、血流が悪くなり、病気になる。
果たして、「治療」という行為は、本当に必要でしょうか?
※救急医療のみ、必要であると考えています。
※慢性的な疾患は、すべて治療ではなくて、根本的な原因、生活習慣、食習慣、運動習慣、思考習慣、環境要因、人間関係などから起因しているのですから、そちらに目を向けた方がいいと考えます。
※必要な医療と、不必要な医療、その線引きが必要と考えます。
介護は、本当に必要なのか?
介護が必要になった時には、基本的に運動機能が低下しています。
必要な介助はあるでしょう。必要な支援はあるでしょう。
でも、過剰に介護してしまったら、
運動機能はさらに低下してしまいます。
必要な介護はある。それはわかる。
でも、運動指導者としての立場で、介護施設での運動内容を見た時に、
これでは何の役にも立ってない。機能が回復することはないと思いました。
以前、介護施設で行っている運動内容の監修をしたことがあります。
運動指導者だからこそできる運動指導があるし、
原理原則というのは決まっているものですから、
低体力者に対しても、原理原則は適応されます。
基本的に、専門分野はリハや介護の立場ではありません。
ですが、原理原則に沿って考えると、対応できます。
原理原則ですからね。
(もちろん、その都度、リハや介護の知識も入れてきました)
自力で立てる人であれば、姿勢を良くするのが、最優先されます。
なぜならば、仮に背中が丸くなってしまった状態だと、
腰や膝に負担がきますし、呼吸が浅くなります。
呼吸が浅くなれば、酸素摂取量も減りますし、
脳に酸素がいかず、脳の機能低下も引き起こします。
さらにいえば、
自律神経の働きにも影響あるし、心理的にも影響があります。
また、動作にも制限がありますから、全体的な運動量が落ちます。
血液の循環も悪くなるでしょうから、
内科的疾患を引き起こしやすくなります。
背中が丸くなりますから、圧迫された内臓たちにも影響が出ます。
消化不良になりやすいし、排泄にも影響があります。
高齢者の方を相手にすると、どうしても筋力低下に目が向きやすいですが、不適切なスクワットしても、筋力はつかないし、かえって腰や膝に負担をかけるだけです。
また、過負荷の原理や漸進性の原則が考慮されていないので、
筋力アップに必要なレベルで負荷がかけられていません。
正直、介護施設にある器具は、
おもちゃ程度のものでしかなかったというのが、個人的な感想です。
筋力アップをさせるなら、
まず身体を支える体幹部からであり、次に下肢です。
要支援の方も、要介護の方も、ご年配の方全般も、
個人的な知見では、いくらでも改善可能だと思っていますし、
対応させていただいた方は、必ず良くなっています。
適切なことをやれば、適切な効果が出ますし、
不適切なことをやっていれば、適切な効果は出ません。
これは、どんなことにも言えることです。
現在、介護としてやられていることは、
運動機能の回復にもならないし、認知機能の回復にもなりません。
もう一度言います。必要な介護はあるでしょう。
でも、その先に何がありますか?
本当に回復を目指していますか?
回復を目指していないならいいです。
でも、回復する可能性が潰されているな、
というのが個人的な見解です。
原理原則とは何か?本来どうあるべきか?何が必要か?
何が不必要か?その結果、どうなるか?
果たして「介護」は、本当に必要でしょうか?
※しつこいですが、必要な介護はあると考えています。
でも、不必要な介護、余計な介護をしていないか?という問題提起です。
「医療ビジネス」と「介護ビジネス」
こういう違和感や、事実に気がついてしまった時に、
医療や介護の現場に残り、自分ができることをやり、
医療や介護を減らすことに尽力している方々もいらっしゃるでしょう。
でも、医療と介護というものがある限り、
依存してくる人を生み出すのは事実だと。
むしろ、医療ビジネス、介護ビジネスですから、
そういう方向に持っていくように洗脳されているんです。
病気があればあるほど儲かるのが、医療ビジネスです。
被介護者がいればいるほど儲かるのが、介護ビジネスです。
そんなつもりでやっていないという声も聴こえてきます。
その通りでしょう。それは十二分にわかっています。
でも、本来、命に関わるものに、お金が必要ってのがおかしな話なんです。
(これをおかしいって思わないのがおかしい)
そういう大前提からの話をしているのです。
増え続ける「医療費」と「介護費」
なんにせよ、医療も介護も必要ない
(今受けないとどうにもこうにも行かない人のためには必要でしょう)
と考えるし、
最低限の医療と介護を受ける形にできるし、
不必要な医療と介護は減らせるんです。
最初に貼ったこの記事は実際に減らせたよという記事でした。
そもそも、医療費と介護費は、増え続ける一方です。
それは、医療と介護は治すためのもの、生活を良くするためのものではないということを証明しているとは思いませんか?
医療が本当に病気を治せるものならば、
なぜ、医療費は減っていかないのでしょうか?
なぜ、がん患者は増え続けているのでしょうか?
なぜ?なぜ?なぜ?
うん、医療が病気をつくってるから。医療ビジネスだから。
今回のコロナ茶番で病院はウハウハ。
今の医療形態をつくったのは、ロックフェラー家であり、
製薬ビジネスをつくったのも、ロックフェラー家です。
陰謀論?いや、陰謀事実です。
陰謀なんて、昔からいくらでもしてるんですよ。
陰謀なんて、誰でも少なからずあるでしょう。
陰で謀を練るなんて、誰でもするでしょう。
それをひどいレベルでやっているか、やっていないかです。
世界を牛耳る彼ら自身は、薬も飲まないし、
いわゆる代替療法を受けてるというのも有名な話です。
もちろん添加物や農薬まみれなものなど食べません。
お金をたくさん持ってますから、
良いもの食べれるし、良い治療を受けれるわけです。
金持ちが貧乏人から搾取し、奴隷化させる仕組みが、今の資本主義です。
繰り返しますが、
資本主義に則って医療や介護(いのちに関わるもの)をやっているのが、
おかしいんですよ。
介護が本当に良いものなら、人を助けるためのものなら、
介護する人減っていかないとおかしくないですか?
介護費は減っていかないとおかしくないですか?
要支援・要介護認定を受けてから、
要支援・要介護認定が外されるように
回復される方がどれだけいるでしょうか?
言葉というのは重要で、「要支援」「要介護」という、
その認定を受けることで、自己肯定感が下がり、
諦めムードに入る人がどれだけいるでしょうか?
支援・介護を受けることで孤独感を紛らわし、
至れり尽くせりしてくれることに
味を占めている方がどけだけいるでしょうか?
介護施設関係に携わる人は、
また歩けるようにしてあげたいって本当に思ってるんでしょうか?
できると思ってるんでしょうか?
そのための努力、勉強をしているんでしょうか?
できるんですよ。
寝たきりの人が歩けるようになった。
半身麻痺の人が歩けるようになった。
そんな例も多々あります。
利害関係がなければ、問題は変えられる。
医療従事者も介護従事者も、
医療と介護を必要ないものにできないんですよ。
なぜなら、それらがあることで食べていけてるから。
だから、利害関係がない人しか変えられないのかもしれません。
運動指導者目線で見ると、医療も介護も必要ないし、
最低限にできるし、無くせると思うわけです。
同じく、理学療法士、柔道整復師、鍼灸師など、治療家の方々、
本当に治す気はあるのでしょうか?
本当は、もっと数少ない治療で治せんじゃないの?
回数券ってなんなの?
本当に評価して、何回くらいの治療が必要で、
そのためにはいくらかかるから割引しますよ、
なら多少は分かりますが、
そもそも、割引必要なくないですか?
10回治療が必要と言われている人を8回で治してあげれば、
割引以上に嬉しいんじゃないでしょうか?
本来そうあるべきじゃないの?
通う回数自体を減らすことが、本来理想なんじゃないの?
そうなると、商売上がったりになるけど、
究極の理想は、必要とされなくなることで、
本来それが理想でしょう。
資本主義に則ってる限り、それは無理なのかもしれません。
治してあげたいという想いと、
稼いで自分が生活していかなければいけないという想いが、
矛盾してるから。
だから、お金に支配されない世界になることが理想なんでしょう。
「依存させない」というのは、資本主義に矛盾してるんです。
あらゆるビジネスが、
依存させればさせるほど儲かるようになっているから。
運動指導者の場合は、
予防のために取り組むものという前提もあるので、
通ってもらうためにあるとも言えます。
でも、自分でできることは自分でやりなさいよって思うんです。
トレーニングしにきていい。習いにきていい。
でも、日常生活で、自分でできることは自分で、やりましょうよ。
自分を高める努力をしましょうよ。
その上で、さらにプラスになるから、
向上を求めるから、習いにくる。
そんな形が理想だと思います。
治療に通う場合も一緒です。
メンテナンスのために通うのはいい。
安心して任せられるプロフェッショナルがいるのはとても大切。
でも、依存しちゃダメよ。
自分である程度養生する。自分の体は、ある程度自分で管理する。
その上で、自分じゃできない範囲があるし、さらに学ぶために、通う。
脱依存する。自立する。自己管理する。
自ら学び、実践する。
肉体的にも、精神的にも、社会的にも健康的に過ごす。
そんな人が増えていけば、医療も介護もなくなると信じています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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