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「正しさ」を押しつけてませんか?

本日もお読みいただき、ありがとうございます。
常に自問自答している、五木田穣(ごきたゆたか)です。

今日は「正しさ」について。

よく「正しい〇〇」みたいな表現をする人がいます。
 でも、そもそも「正しさ」って何を前提にしたものなんでしょうか?

Aさんが考える「正しさ」と、Bさんが考える「正しさ」は果たして一緒でしょうか?

例えば、右翼と左翼は、それぞれ主張する「正しさ」が違うわけです。キリスト教とイスラム教も「正しさ」を主張しあってる。筋トレ絶対派と筋トレいらない派がいる。お互い否定しあってる。

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これ、全く無意味なことだと思うんです。

お互い主張が違うわけだから、相互に歩み寄り、お互いが理解しようとしなければ分かり合えるわけがありません。

「正しさ」というものに絶対的なものはなく、相対的に変わるものです。
その人が「何を前提としているか」なんです。 

例えば、人殺しは正しくないと誰もが思うでしょう。でも、大切な人を殺されて、復讐で殺してしまう。これだと、ちょっと意味が変わってくる。殺すことが悪いことだと思わない人もいる。時代や文化によって変わる部分もあるでしょう。

だから、誰しもが納得する「絶対」なものなんてありえない。

例えば、運動をすることは絶対に必要でしょうか?病院に行くことは絶対に必要でしょうか?テレビを見ることは絶対に必要でしょうか?

あらゆることにおいて「絶対に正しい」ということはありません。その人、その状況状況によるわけです。それを自分の価値観「正しさ」を押し通す人がたくさんいる。

「正しさ」を主張する人はエゴが強いんです。視点が自分主体になっている。相手の立場で物事が考えられていない。

私のコンセプトは、「Your Best Solution(最善の解決方法)」を提供することと言っていますが、「最善の」と言っているところに意味がありまして、その時その時の状況、その人にとってのBestを探すというニュアンスを込めています。

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つまり、私が考える「正しさ」を主張しているわけではなく、その人にとってのBestを考える。

でも、それはBestではなくて、Betterなんです。その時点では、完璧な方法なんてどう考えても無理。長期的視点に立ち、Bestを目指して、Betterを積み重ねていく。「絶対的な正しさ」はないから、常にBetterを求めていくしかありません。

なぜなら、常に移りゆく変化の中で、絶対なんてものは存在しないからです。生命は育ち、いつか衰えていく。諸行無常、栄枯盛衰なんです。あえていうなら、それがこの世界の絶対的な真理です。変化する世の中だから、変化する人だから、その時々に「正しさ」が変わる。「Best」が変わる。

思考の三原則に基づいて考えるとこうなります。


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