見出し画像

幸せの限界と幸せの見解

「この世界はさ、本当は幸せだらけなんだよ」


「リップヴァンウィンクルの花嫁」を観ました。

おいらがいちばん好きな映画である「スワロウテイル」と同じ、岩井俊二監督の映画でずっと観たかった映画。

3時間あるんですよ、この映画。
観るからには中断したりせずきちんと観たいと思っていたらなかなか観れなかったけれど、やっと観れた。

結論から言うと、もう、本当に最高。よかった。からだの、特に心臓あたりがなんか苦しくて、また何度でも大事に大事に観たい映画だなと思いました。

はーん、また大好きな映画に出会えちゃって本当にうれしく思う。ファンアートまで描いちゃったよ。

あらすじといっても長い映画なのでざっくり↓

派遣教員の皆川七海はSNSで知り合った鉄也と結婚した。鉄也とは相反して七海の親族は2人しかいなかったため、SNSで知り合ったなんでも屋の安室に結婚式の代理出席を依頼する。新婚早々、鉄也の浮気疑惑が浮上したが、義母からは逆に七海が浮気をしていると言われ家を追い出される。鉄也の浮気調査でかかった費用を少しづつ返済するべく、七海は安室から紹介される奇妙なバイトをしながら細々と暮らしていた。そんな中、月100万稼げる住み込みのメイドの仕事を紹介され、破天荒で自由なメイド仲間の里中真白とともに暮らすようになる。真白は仕事熱心だったが、日に日に痩せていった。そんな真白が、ある日ウェディングドレスが買いたいと言い出す。

皆川七海役・黒木華、安室役・綾野剛、里中真白役・Cocco。


感想や思ったことをつらつら書くけども、核心的なネタバレするようなことはほとんどないと思うので、軽く読んでいただいて、気になる方は、是非観てほしい。

映画を観終わってまず思ったのは、月並みな言葉ですが、
「幸せとか優しさってなんだろうな」
です。

好きなシーンがあって、そのシーンで真白が言っていた言葉を冒頭に書きました。
あとでじっくり書きます。


映画の前半は、現実の世界で満ちていた。
出会いを求めて、あっさりと恋人を手に入れ、結婚。
恋人がいることとか結婚することが必ずしも幸せとは限らないことは、七海は薄々気づいていたと思う。いわゆる「よくある普通の幸せそうな暮らし」を手に入れても「こんなもんか」と感じるみたいに。
成り行きみたいに手に入れた恋人や生活を心の底から愛せなかったんだろう。

浮気疑惑浮上のくだりなど、前半は本当にもどかしくて苛立つ箇所もちらほら。
自分本位な人間、世間体を気にする人間、浅はかで幼稚な人間。

モヤモヤをSNSで晴らすというネットリテラシーに欠ける行為をしていたとはいえ、どうしようもなくなってしまい、声を殺しながら泣いていた七海の姿が切なかった。

そんな行き場をなくしてしまった七海にとって、なんでも屋の安室は頼みの綱で心強い存在だったんだろう。
代理出席を依頼して、浮気調査も依頼して、困ったときにすぐ駆けつけてくれて、今度は仕事を紹介してくれて、、安室、とにかくしごでき。

とはいえ安室は終始胡散臭かった。笑
よく言えばミステリアス、悪く言えば不気味。
何者なのかわからない、掴みどころがない感じが逆に気になるみたいな。
信頼が募れば募るほど安室の真意が気になって、どこからどこまでが安室の手の内なのかが分からなくて不安になる。こんな感情になるのも安室の策略のようで悔しい。

ひとりで観ててちょっと吹いたんやけども、安室の下の名前が行舛(ゆきます)なんよな。てかそれもおそらく偽名だし、「安室行舛」の他にも「市川RAIZO」と書かれた名刺も持っていたし、場面によっていろんな顔を持っているんだろう。どこまでも謎である。

七海と真白の出会いは結婚式の代理出席のバイトだった。たくさんいる代理出席のキャストの中で、この二人は同じ家族で姉妹という配役で、この時の真白ははつらつとした明るい女性だという印象。
バイト終わり、二人で街中で飲んだ帰りに真白が言っていた、「一人くらいいなくなっても気づかないよね」という一言で、はじめて胸の内の暗い部分が見える。

リップヴァンウィンクルの花嫁の舞台は東京。どこにいても人があふれかえっているのを横目に、真白はそう思ったんだ。

「いなくなっても気づかれないなら、本当にいなくなっちゃおうかな」という投げやりではなく、「存在に気づいてほしい、忘れてほしくない、でもそういうわけにもいかないよね」という切ない気持ちからうまれた言葉だったんじゃないかなあと思う。

わかる、わかる気がするよー、真白の気持ちが。

おいらは生まれも育ちも徳島で、なかなかの田舎なんですが、たまに都会に行ったらとてつもなく胸が苦しくなって膝から崩れ落ちそうになることがある。

都会に行ったら、というか、人だらけのところに行くと。

例えば、電車に乗ったらいろーーーんな人がいて、いろーーーんな顔をして、みーーーんなどこかへ向かう。
当たり前のことがすっごく不思議に思えてきてしまって、
おいらはそんな人々を見ていると、いろんな過去と現在を含んだ「人生」が脚を生やして服を着て歩いているように見えてきてしまって疲れてしまう。

徳島にいてもひとつひとつの「人生」が歩いているのには変わりないけれど、分母が多すぎていろいろ想像してしんどくなる。

だから真白の台詞にはうなずけたんだよなあ。

七海と真白が再会したのは豪邸に住み込みのメイドのバイトだった。
主が不在の大豪邸の掃除や片付けをするだけで月100万稼げるという怪しすぎるバイト。

このお屋敷が登場したあたりからはずっとおとぎ話のような世界だった。
前半部分からは一変、長い夢を見てるような不思議な世界。霧がかったフィルムライクな雰囲気、メルヘンチック。走馬灯のようだった。

七海と真白がウェディングドレスででかけ、帰宅してお酒を飲み、二人ベッドに寝転がり、真白が優しさや幸せについて吐露するシーンがある。

スーパーで買い物をしたらレジの人が買ったものを袋に入れてくれる。
宅配の人に「ここ」と言えば重い荷物を運んでくれる。
雨の日には傘をくれる。

他人が、自分なんかの為にやさしくしてくれると、幸せの限界がくる、というお話。

「人の真心とかさ、やさしさとかがさ、 あんまりそんな、はっきりくっきり見えちゃったらさ 人は、だってもう、ありがたくてありがたくてさ、みんな壊れちゃうよ。」


簡単に幸せが手に入ってしまったら、自分が壊れそうになるから、そうならないためにもお金を払って優しさを買うほうがよっぽどまし、お金って多分そのためにあるんだよ、という真白の言葉に胸がきゅっとなった。

店員さんが買ったものを袋に詰めるのは優しさではなく仕事だからでは?と思いそうなのに、それを「無償の優しさ」だと受け取る真白は、本当の本当に優しいんだろうな。
優しすぎるがゆえに、普通にしてたら気づかないような他人からの優しさに敏感なんだろう。

こんな考えの真白と七海のあいだはなにでつながってたんだろうね。
ここは特に好きなシーンだったので、実際に観た人とお話しがしたいなあ。


おいらはですね、性格が歪んでいるのかもしれない、「はやく幸せになりたい」と嘆く人を見るたびに、「幸せなんて、大小気にしなければそこらへんにたくさん転がってるのに、すぐそばの幸せにすら気づけてないのに、大きく出るわねえ」と思ってしまう。


だから、自分は本当に「幸せ」だと思えるし、真白が言った「この世界はさ、本当は幸せだらけなんだよ」という言葉が好きです。

七海と真白を想起させる2匹のベタと安室。
ベタは気が荒く混泳してはいけないと言われている。


現実的な前半部分とおとぎ話のような後半部分の世界観と七海の表情のコントラストがよかった。状況が変わるたびに、物語が進んでいくうちに七海の表情が明るくなっていく。

ステレオタイプ的な幸せ、みたいな、普通に安心できそうなものを求めていた七海が、いろんな人に出会っていろんな経験をして生まれ変わっていくみたいだった。

普通の暮らしはあっさり失ってしまうのに、非現実的な幸せはどうしてこうも魅力的なんだろう。

七海も真白も安室も、ふっと息を吹いたら消えてしまうともしびのような危うさがある。


でも、こんなの、この3人に限ったことじゃない、生きとし生けるものすべてどうなるかなんてわからないよね、生きてるんだから。

結局今後も安室の手のひらの上で転がされ続けていくのかどうかは定かではない。ラストシーンは爽やかだった。それはそれでよいのだ。

他の人の感想を読んでいると、無駄なカットが多い、と書かれていたけれど、おいらはそんな風には思わなかったなあ。心の中で思っていることがほんの少し表情に滲んでしまう、そんな一瞬の表情のカットがたくさん挟まれていて、ついつい感情移入してしまった。

スワロウテイルもリップヴァンウィンクルの花嫁も、どこを切り取っても画が素敵なんですよねー。
どのシーンでも、額縁に入れたいもんな。

正直、「永い言い訳」に出演していた時の黒木華の役柄が主人公の不倫相手ということもあって、その印象がずっと残ってしまってて「ちょっとな、、」と思ってしまってたんですが、そのイメージは払拭されました。
払拭されたどころか、魅力を120%生かしたような存在で、素朴さ、純粋無垢さにどんどん引き込まれました。

どの出演者の方も、物語も演出も素晴らしかった。
また必ず、観ようと思う。
し、観てほしいなと思う。

このブログを書くのに4日くらいかかりました。
沢山向き合えてよかったです。

今日はどんな一日だった?
みんながいい夢をみられますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?