休職112日目 Time is limited

タイトル思いつかず、スティーブ・ジョブズさんの言葉。

お誘いに乗るかどうか。
LINEに何と返信するか。
この本をいつまで読み続けるか。
次どうするかをいつまでに決めるのか。
悩む時間は、いくらでもあるように感じてしまう。

でも、時間には限りがある。
人生が終わる瞬間は、遠い未来に感じるけど、今日でないとは言えない。

5/1、母の弟に当たる叔父が亡くなった。
その頃私は相変わらず、どうしようどうしようと東京で悩んでいた。

母に、次はいつ帰ってくるのかなと待ってもらっていたし、友達に、初めて出演するミュージカルを連休中名古屋まで観にこないかと誘われていたし、知り合いに、WEB開発について教えるので時間を作って欲しいと誘ってもらっていた。

全ての予定は、次どうするかを決めてから、と保留させてもらっていた。

叔父が亡くなった、と母から連絡があったのは5/2。
叔父が糖尿病で状態が良くないのは聞いていた。でも突然だった。
叔父の姉である母と、叔父の両親である祖父母は、私にとって弟のほか唯一の家族で、何にも替えられない。
先のことは何も決められていないけど、いまこの時の私にとって、母と、祖父母に会うこと以上に大切なことはないと思った。
新幹線が満席状態で、結局みんなに会えたのは5/3のお通夜になった。
母は、やっぱり元気がなかった。
祖父は、泣き腫らしたのか、目がぱんぱんになっていた。
祖母は、笑顔で、久しぶり、ちょっと痩せた?と聞いてくれた。そう、私はnoteを更新しないでいた3週間、4キロ近く痩せたのだ。

3人がどうしているか一番心配だったけど、まずは、悲しくても生きて、落ち着いていてくれていて、ほっとした。

5/4、叔父のお葬式が行われた。
93歳になる祖父は喪主を務め、息子を亡くして間もない状況で、叔父がこれまでどのように過ごして頑張ってきたことがわかる、挨拶をした。私は、数年前に奥さんに出て行かれ、お酒を飲みすぎて病気になっていつまでも祖父母に世話をされる叔父のことを、快く思っていなかった。だけど、思い出もあった。祖父の挨拶で、叔父を想ってはじめて泣いた。祖父の挨拶のすぐ後、祖母も前に立ち、参列者に簡潔にお礼を述べていた。祖父も祖母も、本当にかっこいい。

だけど、その日、祖母の様子がおかしいことに気づいた。
誰と誰が兄弟で、誰が誰の息子娘で、ということを何度も聞いたり、私は前回3月に会って、それまでもほとんど毎月帰るようにしていたのに、やけに久しぶりのような口振りに聞こえる。徐々に違和感を感じた。
極め付けは、弟のことを覚えていなかった。
祖母と弟が会ったときに、祖母は「どちら様ですか?」と言ったらしい。私に会った時、痩せた?と聞いたのも、前回ではなくて、いつかの、もっともっと太っていた頃から記憶が抜けていたのかもしれない。
調べたところ、高齢者が心理的に大きなショックを受けたとき、一時的に記憶が無くなることもあるらしい。
一時的なもので、回復することを心から願う。

私や私の家族、友達の人生の時間が、あとどれだけあるかはわからない。
会える時間は、コミュニケーションが取れる時間は、どれだけ残されているんだろう。
改めて、いま母がいて、祖父母が生きていてくれて、弟もなんとかやっている状況が、かけがえのないことだと感じる。

悲しいことも消えたくなることも何度もあるけど、受け入れて、今この一瞬を切実に大切に過ごしたい。

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