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定年後フリーランス☆仕事のさまざまなリアルな記録(2)

 「俳句」2024年3月号に作品十二句(表題〈黒白〉)を発表した。毎年、数本ほど商業専門雑誌には作品なり文章なりを寄稿はするが。この分野(詩歌)で最もメジャーな商業専門雑誌への作品発表は久しぶり。この前はいつの発表だったか忘れたが、2年近く前だったと記憶している。現在の月刊総合俳句雑誌「俳句」の発行元は角川文化振興財団だが実質はKADOKAWA。商業出版社の発行する定期刊行の俳句雑誌はあと数冊あるが、知名度においては群を抜いている。発行部数もおそらくトップ。(NHK出版発行の「NHK俳句」とともに、インターネットサイト上では50000部となっている)。もう少し前までは1年とちょっとの間隔で作品の原稿依頼があったのだが、だんだんその間隔が空いてきている。期待、関心が後続世代に徐々にシフトしてきているのだろう。自然な変化だが危機感を抱いて頑張らなければならぬ。角川「俳句」は発表できる作品欄が限られている。かつその作品欄が増えたり減ったりすることは、臨時で大きな特集が組まれたりしない限りない。さらにかつ作品欄には50句、21句、16句、12句等グレードがついている。〈商業〉が優先されるから当然のことながら大結社の主宰者が優先される。あとマスメディアに頻繁に登場するなどして大衆に認知され人気のあるひととか、あとは世間一般やこの分野で大きな賞を獲ったひと。ただ実年齢の若い文字通りの正味の〈新人〉がいきなり50句欄、21句欄等に大抜擢されることはさすがにない。作品発表をしている俳人を長年見ていると分かるが、作品発表(依頼)対象者の枠を設けてサイクリックに依頼している感じがする。編集部に直接聞いたわけではないが、おそらくそうではないかと思う。歳月の流れのうちに、鬼籍に入ったり老いて作れなくなった人を補填して、作品発表(依頼)対象者が徐々に後続の世代に入れ替わってゆく。

KADOKAWAの「俳句」ようなメジャーなものは言うまでもないが、商業専門雑誌に作品や文章を発表することは極めて大事である。目先の銭金(原稿料)の問題ではない。その分野において認知、評価されているか否かの基準となるから。さらにその認知、評価は常に更新されるから。この分野で生きてゆこうとするならばつねに第一線、あるいは第一線に近い位置に立っている必要がある。オーソライズされた賞を獲るのも意味はあるが、私的には、つねに商業専門雑誌に作品や文章を発表しつづけるほうがもっと大事だ。賞はひとつの〈点〉にすぎないが商業専門雑誌への継続した作品の発表は〈線〉だからだ。〈賞〉の獲得はそれなりに意味はあるが、どんなに大きな有名な〈賞〉であっても、獲得したという事実だけでずっと商業専門雑誌に書き続けられるほど甘くはない。なるほど大きな賞を獲っただけのことはあると思わせるクオリティの作品、文章をつねに発表し続けなければ、いつの間にか先細りして消えてゆく。商業専門雑誌に発表し続けることが、歳時記への作品の採録、本の出版、アンソロジーへの参加、カルチャースクールからの引き合い、新聞選者や大会選者の要請等々、他の有償のさまざまな〈仕事〉に繋がってゆく。

商業出版社からの原稿依頼に基づく作品、文章の発表は至極当然のことながら署名入りである。署名入りで原稿を発表するのが、文筆の〈仕事〉をするプロの基本中の基本。署名入り原稿の実績を積んで、世間に自分の〈仕事〉を知ってもらい、評価してもらわなければ駄目だ。無署名の仕事なんぞなんぼ積んでも、他に紛れのない唯一無二の自分の〈仕事〉にはならない。どんなに稼いでもどこまでいっでも刹那な作業でしかない。〈作業〉と〈仕事〉とはまったく違う。個人・組織関係なく、どの分野においても、只今現在を生きるひとびとに資するもの、後世のひとびとに資する可能性のあるもののみを〈仕事〉と言う。よって不本意な刹那作業でとりあえず糊口をしのぎながらでも、内実のある署名入り原稿を商業專門雑誌にほそぼそでもよいから書き続けてゆかねばならぬ。


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