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ハーベストタイムメールマガジン11月20日より

2023年11月20日
「イスラエルのための祈り(13)」-パレスチナ問題の現実的解決策-

 オスロ合意の破綻
 (1)オスロ合意は、1993年9月13日に、ワシントンDCで公式に署名された合意です。署名したのは、イスラエルのイツハク・ラビン首相とPLO(パレスチナ解放機構)のリーダーであるヤセル・アラファト、仲介者は、米国のクリントン大統領でした。この合意は、パレスチナ問題の解決につながる歴史的快挙ともてはやされました。①イスラエルは、PLOをパレスチナ人の正当な代表として認め、PLOは、イスラエルの国家としての生存権を認めました。つまり、両陣営が「相互承認」を行ったということです。②ガザ地区とヨルダン川西岸地区でのパレスチナ自治政府の設立が承認されました。つまり、パレスチナ人は自身の政府を持つようになったということです。③オスロ合意は、最終的な平和解決に向けたプロセスを提示しました。
 
 (2)オスロ合意の設計理念は、「二国家共存」です。つまり、イスラエルもパレスチナも、相手の生存権を認め、平和的共存を志向するということです。もしパレスチナ人がイスラエルの生存権を認めていたとするなら、とうの昔にパレスチナ国家は設立されていたはずですが、そうはなりませんでした。それどころか、両者の対立はより激しくなっています。余談になりますが、当時筆者は、エルサレムの帰属問題が解決しない限り現実的な和解はあり得ないと論じ、ある専門家の方から叱責されたことがあります。今でも、「二国家共存」こそが現実的な解決策であると論じる方が多くいますが、以下に述べる理由により、それが「非現実的」解決策であることが分かります。
 
ハマスの台頭
 (1)2006年1月、パレスチナ自治区の立法評議会選挙が行われました。これは、パレスチナ自治政府の立法機関である立法評議会のメンバーを選出するものでした。①ハマスは、初めて立法評議会選挙に参加し、132議席中76議席を獲得しました。これにより、ハマスは単独で政府を形成することが可能となりました。②パレスチナ自治政府を長年にわたって主導してきた主要政党ファタハは、敗北しました。③2007年、ガザ地区で武力衝突が勃発し、パレスチナ自治区は事実上ガザ地区(ハマス支配)とヨルダン川西岸地区(ファタハ支配)に分裂しました。今イスラエルが戦っているのは、ガザ地区を実効支配するハマスです。ヨルダン川西岸のパレスチナ人たちは、現在のところ、一部例外を除いて自制しています。この状況が続くことを願います。
 
 (2)「二国家共存」が現実的でない理由は、ハマスの宗教的確信にあります。パレスチナ問題の本質は、パレスチナ対イスラエルの対立ではなく、イスラム教徒対ユダヤ人の対立です。①イスラム教は、世界を「平和の家」(Dar al-Islam)と「戦争の家」(Dar al-Harb)に二分します。②「平和の家」とは、イスラム法(シャリーア)が支配する領域や国家を指します。そこは、イスラム教の教えと文化的な価値観が生活のすべての側面に浸透している地域です。③「戦争の家」は、イスラム法が支配していない地域を指します。つまり、非イスラム世界だということです。④イスラム教徒の最終ゴールは、全世界を、武力を用いてでも、「平和の家」にすることです。
 
この地の支配者の変遷
 (1)イスラム教徒が現在のイスラエルの地とガザ地区を征服したのは、紀元7世紀です。①それ以降、この地域はイスラム教徒にとっては「平和の家」となりました。②ところが、紀元11世紀になると、十字軍がその地を奪還しました。イスラム教徒にとっては、「平和の家」(イスラム教徒の土地)が異教徒の侵略を受けたのです。これは由々しき事態です(イスラム教徒の土地を取り戻す戦いが、ジハードです)。イスラム教が誕生するはるか前からキリスト教徒はこの地を支配していたのですが、そのような歴史は無視されます。③イスラム教徒は、十字軍を撃破して土地の支配権を奪還しました。そして、アイユーブ朝、マムルーク朝、オスマントルコ帝国と、イスラム教徒による支配が続きました。
 
 (2)今起こっていることは、歴史のくり返しです。①イスラエルの建国は、イスラム教徒から見れば「平和の家」に対する侵略です。②それを奪還するのは、イスラム教徒の使命です(これがジハードです)。③イスラム教が誕生するはるか前からユダヤ人はその地を支配していましたが、そのような歴史的事実は無視されます。④ハマスのリーダーであるガーズィー・ハマドは、「平和の家」を奪還するまでは、何度でもイスラエルを攻撃すると宣言しています。ハマスの辞書の中には、イスラエルとの平和共存という文字はありません。
 
 (3)私たちは、「周辺のアラブ諸国は、パレスチナ人たち(同じイスラム教徒)を難民として受け入れるべきだ」と考えますが、これは、自由主義諸国の価値観に基づく判断です。イスラム教の国々は、そのようには考えません。エジプト、ヨルダン、サウジアラビア、カタールなどは、パレスチナ難民の受け入れを拒否しています。2つ理由があると思います。①パレスチナ人たちの苦しみが続くことは、イスラエルを攻撃する材料となる。②パレスチナ難民とともに大量のテロリストが自国にやって来ることを恐れている。
 
現実的解決策
 (1)今イスラエルは、テロリスト組織ハマスを相手に、自国防衛戦争を戦っています。これは、10月7日に起こったようなことが2度と起こらないようにするための戦いです。この戦いの最終ゴールは、テロリスト組織ハマスをガザ地区から排除することです。いかなる妥協も、将来に禍根を残すことになります。なぜなら、テロリストたちは民衆を人間の盾にして、「平和の家」奪還のために何度でもイスラエルに攻撃を仕かけてくるからです。
 
 (2)ハマスを排除したなら、次はイスラエルの地とガザ地区の間に広い緩衝地帯を設けることです。緩衝地帯が広ければ広いほど、イスラエルは自国の安全を容易に守ることができるようになります。ゴラン高原にある緩衝地帯は、良い手本になるでしょう。
 
 (3)最終的には、ガザ地区の統治はガザの住民たちに委ねるべきです。ガザは、「天井のない監獄」と言われることがありますが、そのことばから受ける印象とは全く異なった可能性を秘めています。①農業の可能性があります。2005年8月、イスラエルはガザ地区からイスラエル人入植者を撤退させ、その地の管理をパレスチナ自治政府に委ねました。その時点では、ガザ地区の国境地帯には見事な農場ができあがっていました。ガザの住民たちが農業を興せば、豊かな農産物を生産することが可能です。②観光業の可能性があります。ガザ地区には南北40kmに及ぶ海岸線があります。ガザの住民たちが発奮すれば、観光立国が可能です。③ハイテク産業の可能性があります。イスラエルでは、海岸都市ハイファがハイテク産業で有名ですが、ガザ地区にも同様の可能性があります。手本になるのは、カタールの首都ドーハ、マルタ共和国、シンガポール、UAEのドバイなどです。

 ちなみに、面積を比較すると、ドーハが132平方km、マルタが316平方km、シンガポールが728.6平方km、ドバイが4,114平方kmです。ガザ地区の面積は365平方kmですので、マルタとシンガポールの中間の広さになっています。ガザの住民は、活気ある都市国家建設へと舵取りをすべきです。
 
祈りのテーマ
 ①ガザ戦争が、速やかに、決定的に終わるように。
 ②ガザに連れ去られた人質たち(200名以上)が、ただちに解放されるように。
 ③苦しんでいるイスラエル人とガザの住民が、ともに癒やされ、危険から守られるように。
 ④イスラエルの指導者たちに、人道的な視点、知恵、そして勇気が与えられるように。
 ⑤ハマスが排除された後に、大規模な緩衝地帯が設置されるように。
 ⑥ガザの住民たちが、都市国家建設の夢を持つことができるように。
 ⑦イスラエル人の心が神に向かうように。
 
感謝。中川健一


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