リサの訪日記
by 古家
photos courtesy of Lisa, Kikuko-san, Danau, Y
エリザベス(リサ)リャンさんのインタビューを「ぐるる」に掲載したのが昨年11月20日。その後すぐ、リサがベトナムを訪れる予定ができたことを知った。彼女の住むカリフォルニアからベトナムに行くには、東京を経由することもできるはずだと思いつき、僕は早速リサに連絡して「日程を少し延ばして東京に立ち寄ってもらうことはできないだろうか」と打診した。そこからトントン拍子に話が進み、彼女が東京を訪れてもいいと言ってくれるまで2週間もかからなかった。条件は1つ。リサによるワークショップを日程に含めることだ。期日は彼女がベトナムから戻ってくる今年1月末を予定。
会場は、その名もTCK Workshopという会社を主宰する水田さんが自由が丘にある事務所の1部屋を無償で提供してくれることになった。同時に「ぐるる」やSNSなどで参加者の募集を始め、12月19日までに十分な人数が集まればGOということにした。
結果として1月31日にワークショップが実現。水田さんが提供してくれた部屋にはリサを含めて9人が入って、狭く感じられるぐらいだった。
一方、リサにとっては初めての来日なので、できる限り観光もしてもらいたい。浅草や渋谷、鎌倉やジブリの森などが候補に上がったが、僕は個人的に自分が住んでいる町に来て僕らの日常生活を見てもらいたいとも思っていた。それぞれについてどんなところか、どれだけ時間をかけるべきかなどの情報をメールで伝え、最終的には彼女自身に選んでもらう。
以下、日を追ってリサの日本滞在記をお伝えしたい。
1月30日(火)
午後3時ごろ、リサが羽田に到着。僕とパートナーのYが迎えてリムジンバスで武蔵小杉へ。
宿泊については、ワークショップの会場が自由が丘だということも合わせて電車の便を考えて渋谷か武蔵小杉の選択になった。武蔵小杉にしたのは、僕らの家から近いため。いったん宿に落ち着いてもらってから、武蔵小杉の駅前にある飲み屋街などを抜けて隣の新丸子駅まで歩き、僕らが常連として通っている居酒屋へ。僕らにとってはまさに生活圏で、リサにとっては日本で最初に見るものが観光地ではなくごく普通の日常の光景になった。僕らがふだん飲み食いしているものを経験してもらい、宿への帰りはタクシーで。
1月31日(水)
ワークショップ当日だが、日中は空いているので、前日に続き僕らの日常生活を見てもらう。まずは電車を初体験してもらおうと多摩川を挟んで対岸の多摩川駅まで行き、そこから散歩を開始。新丸子や武蔵小杉方面の眺めを見るのには最適なスポット、多摩川浅間神社に上る。ここは映画「シン・ゴジラ」のロケで自衛隊が最初の防衛基地を築いた場所として使われている。
僕らは映画の中でゴジラが容赦なく破壊した丸子橋を渡り、多摩川の川崎側の土手を上流に向かう。サッカーの多摩川クラシコで対戦するFC東京と川崎フロンターレのマスコットが描かれた河川標識や、かつて河川敷にモータースポーツのスピードウェーがあった記念碑などを見ながら進むと、なんと何かのCMのロケをしている一団に出会った。「世界中どこにでも撮影隊がいるのね」と、ハリウッドで女優の仕事もしているリサ。土手の桜並木が花を付けるには早すぎる季節だったので、過去に僕らが撮った写真などを見てもらう。
等々力緑地にはフロンターレのホームスタジアムのほか、最近できた野球場もある。スタジアムは無人だったが野球場では高校生だか大学生だかが練習している様子も見ることができた。すぐそばの小杉神社は、今回の旅でリサが見る最も小さい神域だ。続いて西明寺へ。かつて徳川将軍がこの寺を宿に使っていたからこの辺りは今でも小杉御殿町と呼ばれている。ちなみに隣には小杉陣屋町もある。小杉神社から西明寺に向かう裏道には、季節を問わずなぜかいつでも咲いている桜の木が一本あり、リサは「生まれて初めて桜の花を見た」と感激していた。
我が家の前を素通りして、前夜の居酒屋の昼の姿(もちろんまだ開店していない)を見てもらい、徒歩で武蔵小杉に戻り、これまた行きつけのラーメン屋へ。「ロサンゼルスにも味自慢のラーメン店はいっぱいあるけど、どこもここにはかなわない」とリサが褒めてくれた。
リサを宿に送り、午後は休憩。僕らもいったん家に帰って、夕方に出直す。
午後7時からはいよいよワークショップ。ふたたび電車に乗って自由が丘へ。参加者の大半と駅で待ち合わせることになっているが、僕らはやや早く着きすぎた。僕が参加者を待つことにして、リサはYと駅前を一回り。リサは交番にいたく興味を持ったそうだ。参加者のなかにはリサの大学時代の親友キクコさんと、アジアのTCK界隈では名の通ったダナウもいる。ふたりがやってくるとリサはハグして迎える。じつは僕の旧友もいる。僕もハグで迎える。ほぼ定刻にみんな集まり、ぞろぞろと商店街を抜け、すでに日が落ちた住宅街へと入って会場へ。
ワークショップ自体については、参加者のプライバシーもあるので多くを語らない。しかしリサがみんなの緊張をほぐしリラックスさせて居心地をよくする姿に感銘を受けた。なぜ自分語りをしようと思ったのか、語るにあたってどういうためらいやおそれを意識しているのか、丁寧に聞き取りながら安心を広げていく。その上で、それぞれの生きてきたなかで経験した辛いことや嬉しいこと、自分を自分として見てもらえなかったこと、自分をあるがままに受け入れてもらえたことなどを、振り返っていく。そのときの光景は?匂いや温度、風や音、自分が着ていたもの、人が着ていたものなども、できるだけ具体的に思い出してノートにメモしていく。なかにはそのときの思いがありありとよみがえってきたのか、涙ぐんでしまう人もいたほどだ。1時間半ほどのワークショップを終えたころには、みんなが旧知の間柄になったような共感と共鳴の渦ができあがっていた。
あちらで二人、こちらで三人とおしゃべりしながら商店街に戻る。何人かはそこで解散したが、残った数人でイタリアンレストランへ。そこでも話に花が咲く。各自、終電を気にしながら電車に乗った。
2月1日(木)
メインイベントを終えたリサにとって、この日は浅草と渋谷を中心に「東京観光」を満喫してもらう一日。前の晩までに話し合ってだいたいの行程は決めてある。武蔵小杉から浅草に向かうルートは何通りも考えられるが、車窓から風景を見てもらえるように地上を走る路線を選んだ。まずは横須賀線で品川へ。山手線に乗り継いで上野へ。これで有楽町から銀座、大手町や秋葉原までを経由したことになる。上野からはタクシーでかっぱ橋の道具街を抜けて雷門まで。
浅草では、演劇畑のリサの興味に従って、まずは木馬館で大衆演劇を見ることにしていた。歌舞伎をよりわかりやすく、より安価に、より狭い会場で、より身近に、より庶民的に大衆化したようなものだ。観光客で賑わう商店街でちょっとしたお菓子をつまんでいるとキクコさんとダナウが合流してきた。ちょうど月初だったので、1か月ごとに交代する劇団の初日。しかもこの日からの劇団は日本の大衆演劇界で著名な木馬館に初登場の晴れ舞台。幕が上がるとまず舞台挨拶がある。舞踊ショーに続き、本題の演目は忠臣蔵。ダナウがリサの隣に座って逐次通訳を耳打ちする。
リサの感想が傑作だったので引用させてもらう。
劇場を出て浅草寺に戻り、ふらふらと散策したり買い食いしたりしながら地下鉄銀座線の浅草駅へ。日本最古の地下鉄を渋谷まで全線踏破だ。渋谷ではまずスクランブルスクエアの上階(屋上の有料展望台ではない)に行って、街を見下ろす。遠くは新宿や池袋の高層ビル、近づくにつれて代々木体育館や神宮の森、そして直下には世界的に有名な渋谷のスクランブル交差点。
次に地べたに降りて、その交差点をあっちに渡りこっちに渡りして体感してもらう。スペイン坂にも行った。女性陣がプリクラを撮る店に入っている間、僕は外で待つ。彼女たちが戻ってきて、みんなでのんべい横丁を素通りする。まだ開店前の店ばかりだが、そろそろ日が沈む。
お腹も空いてきた。記憶の底から掘り出した何でもおいしい宮益坂の居酒屋に電話してみたら5時から入れるとのことで、一同で日本の珍味と酒を味わうことができた。
みんなすっかりいい気分になったところでお開き。僕とYでリサを武蔵小杉のホテルに送り届けた。翌日はリサがアメリカに戻る日。夕方の便で羽田を発つ予定だが、キクコさんとダナウがもう一度会いたいということで任せたから、僕とYにとってはこの日が最後だ。僕らはリサに日本に来てくれたことを感謝し、リサには滞在中のあれこれを感謝されながらハグして別れを惜しんだ。
このリサの旅をきっかけに、僕のなかで一つ新たな習慣が生まれた。日本でのスケジュールを検討するためにメールをやりとりしているなかで、さまざまな物事について英語でリサに説明する必要があったから、「リサに、英語で」どのように伝えればいいかを繰り返し考えた。それがクセになって、自分の心の中に浮かぶものを「リサに、英語で」説明する文章をいつも考えるようになったのだ。
それが結実したのが、まもなく「ぐるる」にアップする「居場所を探して」だ。じつはこの文章、まず英語で書き起こした。日本語版は、その後で書いた。ワークショップで学んだヒントも、この文章には生かされていると思う。あらためてリサに感謝したい。
(完)
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