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現代的論語1 学びを通して得る喜び

子曰く、学びて時に之を習う、亦(また)説ばしからずや。
先師(孔子)は言われた。
「聖賢の道を学んで、時に応じてこれを実践し、その真意を自ら会得することができるのは、なんと喜ばしいことではないか」

『仮名論語』学而第一より

私は論語を学んでいる者です。
論語との出会いは、約3年ほど前。
開業する際に、昔からお世話になっている税理士さんから「経営者になるなら論語を学べ」と言われたことがきっかけでした。

当時は論語についてはさっぱりで、
『どんな勉強なんですか?』と尋ねたところ、
「孔子だ」と一言。

何のことか結局よく分からないまま、税理士さんが参加する論語の勉強会に一緒に参加しました。

そこにおられた方々は、人生の先輩というような、高年齢の方がほとんどで、(私のような世代の者が来て良いのだろうか…)と思っていました。

その勉強会の講師をされていたのは論語普及会会長でした。
論語って何?と講義直前まで思っていたにもかかわらず、会長の講義を受けたその時から私はどっぷりと論語にハマってしまったのです。

その講義では、論語を通して、人としての生き方・在り方、真心とは何ぞや、いかに自分を磨き、誠実な振舞いができるか、そういった人生において大事なエッセンスがいくつも語られていました。

心理学の専門家として、生き方・振舞い方、自分を磨くだけでなく、他者や世の中にいかに貢献できるか、それらをさらに学び、自己研鑽にもなる学問だと感じました。
専門家としてだけでなく、人として誠実で、自立し自律した人間になっていくための貴重な教えがいくつも秘められている…これは学ばなければ!と思いました。
そして論語の学びが始まり、今に至っています。

残念ながら若い年齢や同じ働き盛りの世代には、滅多に論語に興味を持ち、学びたいと思ってくれる人がいません。

日本人の生き方・ものの捉え方の原点、日本の土台とも言える教えが多くあるにもかかわらず、今の日本人は論語や中国古典に関心が乏しいです。

自分磨きというものが、生き方や振舞い方というところにあまり向かず、
好きなことを追い求めるとか、美容的なことに力を注ぐとか、そういった方向の自分磨きの方が若い世代には多いかと思います。
それも大事かもしれませんが、二次的な内容だと思います。

もっと根本的な、社会で生きていくための自分磨きをしてこそ、趣味や特技を極めるとか、美容や、芸能的なことなどを楽しんでできるのです。

趣味や遊びや美容も、お金もかかりますし、お金を稼ぐためにまずは勉強やら仕事を頑張る、そういったことからのスタートです。
学びがあってこその、楽しみ・個性磨きではないでしょうか。

「聖賢の道を学んで、時に応じてこれを実践し、その真意を自ら会得することができるのは、なんと喜ばしいことではないか」

人として生きる道、道徳や規範、節度など、
経験も通して常に学び、場に応じた実践をし、
学びを実践してみようと思ったのはなぜか、
実践してみたくなったのはなぜか、
実践してみてどうであったか、
何を得られたか、
そういったことまで振り返り、頑張れた!良い結果が出た!ステップアップできた!と、自分の成長や成果を感じられた時、とても嬉しいはずです。

学ぶことの大事さと、努力の数だけ成果や成功があることを胸に抱きながら日々を過ごしてもらいたいなと思います。

現代人の多くは、努力する前から、「しんどい」「めんどくさい」「手短で、楽ちんな方が良い」と言い、自分の可能性を無視し、勝手に「できない」と見切りをつけて踏ん張ろうとしません。
だから勉強もろくにしません。
辞書も引きません。

調べ物をする時はネットが頼りです。
手軽な方法を選び過ぎています。

ひと手間掛けて頑張ったり、本を読んで調べたり、人の経験を自ら聴きに行って教わろうということをあまりしません。

努力した分だけ、仕事も将来も成功していきます。
頑張らず、そこそこのところで行動を止めてしまうと、将来はそこそこの結果しか得られません。
お金を稼げるかどうかは、過去から現在に至るまでの努力が大きく影響します。

子どもやこれから社会に出ていく人、社会に出たばかりの人、頑張ることが無意味だと思っている人に特にお伝えしたい。
「稼ぎたいなら、豊かに過ごしたいなら、
 まずは学びなさい。
 自ら苦労もして多種多様な経験を積みなさい。
 それが学びです。
 本で読んだだけで終わらず、日頃の行動する中で
 なるほどこういうことか、と
 得た知識を経験という形で自分の中に落とし込めるか。
 そこで得たものを仕事で生かし、人に生かす。
 とにかくやってみよう、踏ん張って取り組んでみよう
 という姿勢が周囲からの信頼を生み
 あなたに新たな仕事やチャンスをもたらします。
 そこでさらにもっとやるぞ、と思えれば、
 働きぶりもさらに評価され、
 それに見合った対価も得られることでしょう。
 そう思って頑張りなさい。
 自ら学んで得たことが仕事で、社会で発揮されれば
 あなたにとっても、周囲にとっても
 喜ばしいことです。
 経験を積むこと、努力すること、
 困難なことやつらいことがあっても、
 えいや!と跳ね除けるイメージを持ちましょう。
 そしてひたむきに目の前のことに取り掛かりなさい」

現代に合わせて、学びて時に之を習う、亦(また)説ばしからずや
「聖賢の道を学んで、時に応じてこれを実践し、その真意を自ら会得することができるのは、なんと喜ばしいことではないか」
を解釈するなら、このようなことではないかという個人的見解です。

『現代的論語』では章句をとりあげ、現代に合わせて考えるならこのような言葉だろう、ということを記事にしていきたいと思います。
現代人になじみやすく、イメージしやすい事柄で解釈をしていくことで、もっと論語を身近に、耳が痛い言葉もありつつも身に染みる…そう感じてもらえたらなと思います。
共に論語を学ぼうではありませんか。

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