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【創作】寵妃シュアンの鏡


「このような山深い国に旅の商人とは珍しいことがあるものじゃ。」

皇帝ヴォンは愛してやまない寵妃シュアンを見やった。
17歳。美しい顔立ちだが元来病弱で物静かな気質である。商人が豪華な螺鈿細工の鏡を取り出すと、シュアンは目を輝かせた。
とある国の王妃が国一番の職人に作らせたという、その美しい鏡を見たシュアンは、
「あたくし、この鏡が欲しい。」
と皇帝に甘えるような口調でねだる。
商人は深々と頭を下げると、こう言い残し皇宮を後にした。

「決して寝姿を鏡にお映しになりませぬように。」


シュアンの部屋に掛けられた鏡はまばゆいばかりの輝きを放った。
鏡に自らの姿を映すたびに美しさを増していくシュアンの評判は国じゅうの噂になる。

面白くないのはかつて国一番の美女と謳われた皇妃トゥイである。

ある夜シュアンの部屋に忍び込んだトゥイは鏡の前に立った。
――これが評判のシュアンの鏡か。
振り向くと寝台の上でシュアンが穏やかな寝息を立てている。商人の言葉に従い、鏡は寝ている間布が掛けられていた。トゥイはその布をはぎ取り、鏡の中を覗き込んだ。鏡の向こうにシュアンの美しい寝姿が映っている。
これでいい。
トゥイはシュアンの部屋を後にした。


「いったいどうしたことじゃ。」
シュアンに異変が起きたのは翌日の事であった。
あれほどおとなしかったシュアンが訳の分からないことを喚き散らし、泣き叫んでいる。
シュアンのただ事ではない様子に驚いた皇帝は、高僧ティハを呼んだ。
「これはよろしくない。」
シュアンを一目見たティハは険しい表情になり部屋の中を見回す。やがて鏡の前に立つと、
「これがよろしくない。」
と呟いた。左手で部屋の中の物を掴んでは投げているシュアンを見たティハは、皇帝に訊ねた。
「前から左利きだったのですか?」
「いや、右利きだった。」
皇帝の言葉を聞いたティハは、低い声で言った。
「これはシュアン様ではない。もののけじゃ。シュアン様はあの鏡の中におりましょう。」
「なんと……」
よくよく見れば、シュアンの口元にあったほくろが左右反対の位置にあるではないか。
「ティハよ、どうすればシュアンを助け出せるのじゃ?」
「それは難しい。このもののけを退治したとて、シュアン様を助けられるかどうか。」
「しかし、それしか方法が無いのならば……。」
シュアンそっくりのもののけは捕えられた。
「助けて、助けて…!」
泣き叫ぶシュアンの右胸で鼓動している心臓を確認すると、皇帝ヴォンは剣を振りかざした。
「許せ、シュアン――」

剣が心臓に突き立てられると、絹を裂くような悲鳴が響いた。それはもののけの声のようにも、鏡の中からの声のようにも聞こえた。
ばったりと仰向けに倒れたシュアンの姿を鏡が映し出す。

やがて呆然とする人々の前で、もののけがその醜い正体を現した。

皇帝ヴォンは鏡を見たが、左胸に剣を突き立てられた美しいシュアンは鏡の中で倒れたまま、起き上がることはなかった。



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