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【創作】北西航路の地図を描く・前編




ローザ いつか君と話したね
地図に載ってない場所ってどんなところなんだろうって

見たこともない山や川
とてもきれいな花が咲いていて
不思議な村にたどり着いて
洞窟の中を探検したらびっくりするような動物に出会うかもしれない

ローザ 君は信じないだろうね
遠い遠い海の果てに真っ白な世界があることを
僕は今 どこまでも続く 見渡す限りの白い地獄にいるんだよ




成沢遥希なるさわはるきは大学時代の先輩・波多野はたの ゆうに誘われ北西航路を行くクルーズ船に乗船した。


「うちの会社と取引してるところが『北西航路クルーズ』を商業化するんでテスト航行するんだ。お前こういうの好きだろ。乗らねえか?」

成沢はアフリカ放浪の旅から帰国するなり波多野に呼び出された。
( 不思議な魅力のある人だ )
波多野の人懐こい笑みはいつも成沢の懐にすっと入ってくる。
誠実そうな面持ちとがっちりした体格を持つ成沢とは対照的に、一見軽薄そうな優男の波多野だが、芯が強くて妙に負けず嫌いなところがある。それでいて人たらしで、成沢はいつも波多野に付き合わされるはめになるのだ。

『北西航路』と聞いて成沢の頭に浮かんだのは、子供の頃読んだノルウェーの探検家・アムンセンの伝記だった。そこに書かれていたフランクリン遠征隊の悲劇は、成沢の心に強烈な印象を刻んでいた。

「北西航路って、北極じゃないですか。探検家がたくさん遭難してるところでしょう?そんなところで観光目的のクルーズができるものなんですか?」
成沢が問うと、波多野は茶色い髪をかき上げていたずらっぽい目をした。

「それが、できるんだなあ――」




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クルーズ船はアイスランドの首都レイキャビクを出港して、グリーンランド西岸の町に寄港しながら北上した。
乗員・乗客は西洋人とアジア人、あわせて100名ほど。船はこの後西に向かってカナダの北極諸島の間を抜け、三週間かけてビクトリア島のケンブリッジベイという集落に到着する予定だった。





『北西航路』

それはヨーロッパから北西に向かい、北アメリカ大陸北岸を回ってアジアへ到達する幻の航路。

16世紀以降、ヨーロッパ・アジアを繋ぐ未知の航路『北西航路』を発見すべく、数多の探検家がこの過酷な海域を訪れた。
入ったら容易に抜け出せない迷路のような海。夏でも溶けない氷や寒さ、飢え、病気との戦い。それでも探検家たちは必ずどこかにアジアへ続く路があると信じて北西航路に挑み続けた。
そうして北西航路の地図は少しずつ書き加えられていく。

1845年、残された未知の海域に到達して『北西航路』を発見すべく、イギリス海軍が満を持して派遣したフランクリン探検隊129名。彼らは海で氷に閉じ込められ、船を棄てて徒歩で南へ向かうも、寒さと飢えで全滅という悲劇的な結末を迎えている。





「北極の氷が溶けているとは聞いてましたが、北西航路をクルーズ船が通れるようになるほど温暖化が進んでいるんですね――それにしても」

成沢は世界地図を広げ、船が向かうカナダの北極諸島、島々や半島が複雑に入り組んだ場所を示した。

「イギリスはどうして氷に阻まれて先に進めなくなるような危険極まりない北西航路を開拓しようとしたんでしょうね?いかに北西航路がヨーロッパからアジアへの最短航路だったとしても、氷に閉じ込められて何年も脱出できないような航路では実用化は難しいでしょう」

この迷路のような極寒の海域を、地図も無しに航行しなければならないとしたら……。成沢は考えただけで気が遠くなりそうだった。

「アフリカ回りや南アメリカ回りでのヨーロッパ・アジア航路はスペインやポルトガルに抑えられていたからな。イギリスはなんとか新しい航路を発見する必要があったんだろう。あとはあれだな、大英帝国のメンツってやつじゃねえかな。大国ってのはすぐ月だの火星だのに一番乗りしたがる」

「19世紀の北極は月や火星みたいなところでしたか」
「そんなもんだろう」

波多野はグリーンランド西岸の壮大なフィヨルドを仰ぎ見るようにして笑った。

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数日後、クルーズ船は進路を北西に向け、グリーンランド西側のバフィン湾から北西航路の入り口であるランカスター海峡に入っていった。霧の中をカナダ多島海域へ、船はゆっくりと進んでいく。




「19世紀初めにジョン・ロスっていうイギリス海軍の探検家がこのランカスター海峡まで進んだんだが、奥に山があるって言いだして引き返した。海が陸地に塞がれててそれ以上進めないと考えたんだよ。だが、ランカスター海峡はアジアへつながる北西航路の入り口だった。ロスは幻の山を見て大発見を手放しちまったんだ」

「これだけ寒くて氷ばっかりの場所で濃い霧が出ていたら、幻も見るんじゃないですかね。なにしろ平常心ではいられない気がしますよ」

「だが、その後パリ―っていうロス隊の副官だった男が山などなかったと主張してランカスター海峡の奥まで進み、北西航路の地図は大きく描き加えられることになった。その後も多くの探検家が北西航路の発見を目指し、いよいよ地図を完成させるべく満を持してフランクリン隊が出航した――」


〔後編に続く〕








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