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三流

人と関わることが苦手だ。
劣等感を覚え、責められ、怒られているように感じる。
全く自分のことを話せない。
昔より改善したとはいえ、苦手なことには変わりない。
こういうことが原因で、研究に関する一切をやめてしまいたくなることが院生時代から度々あった。

文系大学院生の方はお分かりだと思うが、教授や専門分野を同じくする人とのコミュニケーションが院生時代の苦しみと悩みの大部分をしめる(そうでない人は非常に幸運です)。
コミュニケーションが原因で、心身を病む人も少なくない。
コミュニケーションが得意でないから、ここに辿り着いているはずなのに、結局そこでみんな転ぶ。
私は元々心身を病んでいたから、転んだままでいただけだけど。
あの世界では、アカハラ、パワハラぎりぎりのやりとりなんてザラ。
周りはみんな就職して自分で稼いでいるのにそれができていない焦り、研究が進まない、執筆が進まない焦りを抱えているから心は常にナイーブで、ちょっとした出来事でも「全てが終わった」と絶望してしまう。

私は、博論を書き上げ、ある程度自由になり、自信もついたが、やはり根っこの、コミュニケーションが苦手で自分のことを話せないという部分は変わらない。
また、劣等感も変わらない。
書店で生活費を稼がなければならない私は、優秀な研究者とは言えない。
アカデミアの世界でやっていける能力が、私にはないのだと思う。
しかも、生活費を稼ぐことに追われている癖に、一人暮らしできるほどは稼げない。
なにもできていない。
自発的に何かを書くことが向いていないのかもとさえ最近は思う。
依頼されたものを書く方が楽しい。

自分より明らかにすごい人たちとやりとりする度に、苦しくなる。
一流の人たちは、話すことも明晰。
そういう人たちのやりとりは、情緒が排除されているとさえ映るほどに、淡々としている。
そのやりとりに合わせていると、いつの間にか疲弊している。
自分で動かないと人とのコネクションが生まれない環境にいるから、積極的に動こうとして動いてみるものの、大抵はただ疲弊して終わる。
あぁ、やっぱり私の居場所はここじゃないと疎外感を味わう。
ただ「その場」にいるだけで、コネクションができる環境に身を置く人には、分からない苦労だと思う。
そのような、環境に恵まれた優秀な人たちからは、私はガツガツしているように見えるかもしれない。
しなくていいなら、わたしもしたくないよ。


私は何をしても三流なんだよなと自覚せざるを得ない。
いとも簡単に絶望できてしまう。
いつ安心できるだろう。
いつ落ち着けるだろう。
走り続けて、疲れている。
走っても走っても私は進んでいない。
ただただ体力が奪われているだけ。


山奥に篭もりたいなあ。
なんにも考えないで眠ってそのまま溶けて、骨だけになっていたら素敵だなあ。

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