天籟の麒麟

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尾は牛に、胴は鹿に似た、獣が荒れ地を行く
吉兆の雲が太陽にかかり、政事の繁栄を明示す
人民は大成功を収め豊作の年となり
みんな歌を歌って偉大な平和を讃える
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           中国西安府十五世紀の絵巻
          「キリン伝来考」より引用

―1887年― アフリカ東海岸・ソミニア共和国・キスマーヨ港

 まだ真新しい港に大きな船が停泊している。船の真ん中には煙突が生えており、黒い煙をモクモクと吐き出している。イギリスから購入したばかりの蒸気船が次の航海の準備を行っていた。船には多くの人がせわしなく乗り降りしている。船の後方には一際大きな口が空いており、屈強な男たちによって積荷が運び込まれている。荷物の中は綿花を始めこの辺りの特産品ばかりだ。荷物を担いで船に乗り込んだ男が中から顔を出して船外の男に声をかけた。
「おーい、荷物はこんだけか? このでかい船にこれだけの荷物じゃスカスカで船が沈まねーよ! バラストでも積むのかい?」
 船の外で積荷の確認をしている男に声をかける。荷物が少なすぎるとバランスが悪くて転覆の心配がある。水などのオモリを積んでバランスを調整する必要があるのだが、声をかけられた男は首を振りながら大声で答える。
「いんや、バラストを積むとは聞いてないな。なにか大きな荷物を最後に積むから、後ろを大きく空けといてくれって話だ」
「大きな荷物? なんだそりゃ、ピラミッドでも持っていこうってのかよ。 なんにしても早くしてくれよ! こっちは昼飯がまだなんだ」
「俺に聞かないでくれよ!」
 男は答えると次の荷物を取りに行ってしまった。

 港の入り口がにわかに騒がしくなった。
「おーい、道を開けてくれーー!」
 港の入口から大きな声とともに数人の男たちがこちらへ向かってくる。そして男たちの後ろから現れたものに、荷物の積み込みをしていた者も、船の修繕をしていた者も、甲板の掃除をしていた者も、みな目を奪われてしまっている。この国には生息地もあるので、皆決して初めて見たわけではないのだが、港に現れるのは非常に稀だ。特にイギリスから来ている連中は完全に目が見開いてしまっている。先程、愚痴を言っていた男がつぶやいた。
「おいおい、まさかあれを乗せるってのか?」

―1888年3月― 天籟国・宮殿内
 
 天籟王が机に向かって執務を行っている。多くは書類に判を押すだけの退屈な作業である。すると部屋の前に人影が現れるのを感じ取った。
「我が王よ。 天籟王宛に書簡が届いております。ソミニア共和国というアフリカの国からでございます」
 王は手を止めず、書類に目を落としている。
「読み上げよ」
 宰相が書簡を持って敬々しく王の前へ歩み出て、書簡を読み始めた。
「天籟王即位の祝辞と、面会及び通商交渉の申し出でございますね」
 ソミニアといえば、アフリカの西海岸に最近できた共和国だ。様々な国と交易を結ぼうとしているようだと聞き及んでいる。我が国とも交易を結びたいというのは願ってもないことだ。我が国には資源こそないが天籟更紗という他国にはない質の高い更紗を作っている。清の宮廷にも納めており、西欧にも贔屓にしている貴族がいるほどには名が通っている。
「それともう一つ、パレードをしたいと」
「パレード?」
「はい、三ヶ月後にこちらに伺いたいとございます」
 宰相は書簡を読み終えるとそれを私の机の上において一歩下がった。
しかし、パレードまでやりたいとは、私へゴマスリして交渉を有利にということか。
 王は暫く考えた後、宰相に告げた。
「では、こう返事を返しなさい」
「天籟王への面会を許す。その代わり日程はこちらから指定する」
「三ヶ月は待てない、半分の期間で来るように」とな
 宰相は深く頭を下げたまま部屋を後にした。王は「ふぅ」と息を吐き、椅子に深く腰掛け直した。我が国のような小さな国が生き残るには他国との繋がりを断ってはならない。このような交易の申し出は我が国にとっても良い話だ。四方を山に囲まれたこの国で他国を知るのは容易ではない。パレードをさせるというのは国民達にも良い刺激になるだろう。それに……

―1888年4月― 天籟国・宮殿前広場

 宮殿前の広場に繋がる大通り、数十メートルはあるその通りは石畳で舗装され、脇には数メートルおきに街灯が立ち並んでいる。該当には天籟国の国旗と交互に見慣れぬ国の国旗がかけられている。いつもは静かな通りだが、天籟王から民に言葉をかける時には、ここに国民が隙間なく集まり王の言葉に耳を傾ける。
 しかし今日は少々様子が違った。集まった人々は大通りの左右に分かれ通りの中央を広く開けている。境目には兵を配置して人々がはみ出さないように注意をしている。王族の祝賀パレード前と同じ光景だ。国民にも今日の詳しいことは伝えられていない。集まった人々は押し合い、背伸びをしてみたりしながら、始まってもいない祭りを待っている。
「まだか?」
「一体なにが始まるんだ?」
 待ちきれない人々の声がそこかしこから聞こえてくる。
「広場に王座が用意されているぞ。天籟王もお見えになるのか?」
「王だけじゃない、今日は姫様たちもお見えになるようだぞ」
 集まった国民達は宮殿前に用意された王座と天蓋のかかった2つの椅子を見て噂をしている。
 そんな中、宮殿から官吏の者と思われる男が数人現れた。続いて天籟王と2人の王子、2人の姫が宮殿から出てくる。王はもちろん姫達も更紗の着物に冠という正装を身に纏い、歩くたびに”シャリン、シャリン”と音を鳴らせている。「王だ」「天籟王だ」「静麗姫様もいらっしゃる」とにわかに広場がざわつきはじめる。

 天籟王と四人の王族が宮殿の入り口で立ち止まると、途端に辺りを静寂が支配する。皆、天籟王へ向き、言葉を待っている。官吏に促され天籟王が歩み出る。
「皆のもの良く集まってくれた。今日は朕が新たに天籟王に即位した祝に、皆に珍しい催しを見せてやる。存分に楽しむように」
 王は振り返り、大きな椅子に腰掛けて肘掛けに腕を置いた。王子と姫も王の言葉に従い席に着く。
 国民たちが普段は絶対に姿を見せることのない姫たちを物珍しく眺めていると、遠くから大きなラッパの音が響き渡る。同時に始まる太鼓のリズムで人々はパレードの開始に気づいた。会場はにわかに騒がしくなり、集まった民たちも向かってきているであろうパレードを我先にと探す。
 
 パレードの先頭には両国の旗を持った男がふたり、友好を表しているのだろう。音楽を奏でる音楽隊とそれに合わせて踊る踊り子が後ろに続く、そしてその後ろには太い綱を持った男がふたりいるのだが、観衆はみなその綱の先をみて目を丸くしてしまっている。口を開けたまま立ち尽くす者、中には跪いて手を合わせて拝み始めている者すらいる。

 会場の混乱の中、パレードは前に進み、様々贈り物を担いだ男たちが大通りを進んでいく。大通りの奥から人影が見えるが早いか、観客の歓声が広場を包み込む。

 天籟王は歓声に民が喜んでいるのだろうとうなずいていたが、どうも様子がおかしい。歓声というよりは悲鳴に近いように思えた。王は近くに立たせている官吏の一人を目配せして呼ぶと
「何が起きている、様子を見てまいれ」
 官吏の男はうなずくと、通りへと走っていった。が、通りの入口付近で立ち止まっている。どうしたのかと思っているうちに顔を青くして戻ってきてしまった。
「た、大変でございます」
「何事だ」
 官吏の男は大通りを指差し立ちすくんでいる。声が震えており、王である私の前で跪くのすら忘れている。ただ事ではない。
「き、吉兆が訪れました」
「なんだと? なんと申した」
「麒麟でございます! 神の使いが現れました……あれを御覧ください」
 私はそう言われると、すぐに立ち上がり官吏の指差す方に目を凝らす。
 麒麟は清国の神話上の霊獣であるが、我が国でもそれは同じだ。鹿の身体を持ち、顔は龍で牛の尾と馬の蹄を持つ。身の丈は五メートル以上で背中には五色の毛がたなびき、身体は鱗に覆われ金色に輝く体毛を持つとされている。しかし、これはあくまで神話の話だ。その神話上の生き物が私の眼前に、まさに今そびえ立っているではないか。身の丈五メートルは優に超える身体、牛のような尾と、黄色い体毛に鱗にも見える茶色い斑。顔はまさに龍のように見え、二本の角が生えている。まさに麒麟である。
「なんということか」
 日々、国民の前では堂々と何事にも動じぬよう自分を律して来た私であったが、目の前の光景に呆然としてしまった。
 徐々に冷静さを取り戻すと、まだ王になる前、歴史書で読んだ事を思い出した。アフリカの国には麒麟に似た動物がいると。そして、十五世紀には清の皇帝に貢物として贈られた事もあると。これはその生き物に違いない。

 パレードの列は通りを抜け、宮殿前広場に広がり曲に合わせ大道芸や踊りを披露しているが、誰も見ていない。みな広場の中央にそびえる空を見上げている。天籟王の末妹、静麗姫もそのうちのひとりであった。
 「ムオ、天蓋を開けてくれませんか」
 「なりません。 姫が民衆に素顔を晒してはなりません」
 「だって、私、このようなもの見たことがない…… ムオ、お願いです」
 ムオは静麗姫のそばに跪いたまま、動かなかった。姫の願いとあっても動いてはならないと自分に言い聞かせた。

 パレードの音楽が止み、列から男がひとり私の目の前まで歩み出て静かに跪いた。パレードの踊り手達も同様にその場で頭を下げている。
「この度は御目通りをお許しいただき光栄にございます」
「我々のパレードは楽しんで頂けましたでしょうか」
 私は、一拍置いてから
「大義であった、我が国民も大いに驚き楽しんだようだ」
「我々が連れて参りました”ズィラーファ”もお気に召されたようで何よりでございます。貴国ではキリンと呼ばれていると伺っております」
 やはりこの男、この国の文化を調べあげた上でパレードの申し出をしていたのか。この男との交渉には気をつけなければ。
「いかにも、麒麟は我が国では吉兆の知らせ。本当に素晴らしい贈り物をしてくれた」
「交渉は明日からであったな、良き関係を結ぼう」
 
 その間も静麗姫は麒麟を見上げ続けていた。天蓋の五色の布の中から覗くその姿はまさに神話の麒麟そのものであった。静麗姫は国民が笑顔の中そびえ立つ麒麟の姿に、静かに祈りを捧げるのであった。

 この一ヶ月後、静麗姫の婚姻が決まることになる。

 その瞬間、宮殿の上空に一筋の光が射したが、それに気付いたものは誰もいなかっただろう。

 天籟日記へつづく……

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